食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

古代ローマの食材(3)ハムとソーセージ

2020-06-18 22:10:21 | 第二章 古代文明の食の革命
古代ローマの食材(3)ハムとソーセージ
古代ローマでよく食べられた肉と言えば豚肉になるだろう。ブタは繁殖力が強く、エサを与えておけばたくさん子供を産んでどんどん増えていく。そして、みんな知っている通りとても美味しい。宗教上のタブーはなかったし、農耕や輸送には使用できないので食べるしかない。豊かになった古代ローマではブタとともに、近縁のイノシシも捕まえられ、肥育されて食べられた。

冷蔵庫や冷凍庫が無かったので、すぐに食べない食材は長期保存するために塩漬けにされた。これを専門用語で「塩蔵」と呼ぶ。現代でも私たちが食べている、塩鮭や塩サバ、イカの塩辛、塩数の子、塩たらこ、明太子、塩わかめはすべて塩蔵品だ。大豆などに塩と麹を混ぜて作る醤油や味噌も塩蔵品の一種と言える。塩づけによって食物の長期保存ができるのは、塩が微生物の生育に必要な水を奪うために腐らなくなるからだ。また、塩には肉の繊維を壊して柔らかくする効果もある。

ブタやイノシシのモモ肉を塩漬けにしたのが「ハム」で、それ以外は正式にはハムとは呼べない。しかし日本では、ハムに似せた塩漬けの加工肉を何でも「ハム」と呼んでいる(魚肉ハムも存在する)。また、日本人は豚肉のハムの代表は背肉のロースを使ったロースハムと思っていることが多いが、これはロースハムの方がモモ肉のハムより日本人の口に合うからだ。なお「ボンレスハム(boneless ham)」は骨(bone)を抜いた(less)モモ肉のハムのことを言う。

塩漬けをしたモモ肉は、そのまま乾燥させる場合と加熱や燻製をする場合があり、日本では前者のそのまま乾燥させたものを「生ハム」と呼んでいる。

ハムが世界のどこで最初に作られたかは定かではないが、紀元前3500年頃のオリエントや紀元前4000年頃の中国では既に生ハムが作られていたと考えられている。オリエントの生ハムはその後、古代ギリシア人や古代ローマ人に伝えられた。古代ローマでは、塩漬けしたモモ肉は乾燥させ、酢と油を塗って完成としたらしい。現代のイタリアではハムのことを「プロシュット(prosciutto)」と呼ぶが、これは「とても乾いた」を意味するラテン語の「prae exsuctus」が語源だと言われている。

古代ローマで有名だったのがパルマの生ハムで、紀元前100年頃の記録によると「豚の後足に少量の脂をぬって乾燥すると全く腐敗することなく熟成される。それは美味なる肉となり、その後しばらく食べ続けることができ、芳しい香りも衰えない」とパルマで作られていたハムについて記されている。現代でもパルマは生ハムの産地としてとても有名で、「プロシュット・ディ・パルマ(パルマハム)」は世界三大ハムの一つに数えられる。とにかく、イタリアの人々は古代ローマの時代からはハムが大好きなのだ。


一方、ソーセージも古代ローマ人が大好きな食べ物だった。四世紀の中頃にキリスト教を公認したコンスタンティヌス帝が贅沢だと言ってソーセージが禁止する法律を出したが、ソーセージの密造がいたるところで行われ、全く効果が無かったそうだ。

ソーセージも、刻んだ肉と塩を混ぜて袋状の物(ケーシング)に詰めて作られる塩蔵品の一つだ。ソーセージの語源は「塩漬けして貯蔵された肉」を意味するラテン語「salsus」だと言われている。

ソーセージもいつどこでつくられ始めたかははっきりしないが、紀元前8世紀頃に成立したとされるホメロスの「オデュッセイア」に「脂身と血をつめた山羊の胃袋」とあり、これはブラッドソーセージの一種だと考えられている。ブラッドソーセージは家畜を余すところなく食べるために、血液をひき肉や内臓、脂肪などとともに腸に詰めたもので、現代でも人気がある(よく食べられているドイツではブルートヴルスト(Blutwurst)と呼ばれている)。

古代ギリシアのポリスでは、広場に並んだ出店でソーセージが売られていたと言われている。古代ローマになると、ソーセージの種類が増えるとともに、それまでは焼くだけだったのが、ゆでるや煮るなど新しい食べ方も登場した。

古代ローマの調理法を集めた「アピキウス」にはブラッドソーセージを始めとする複数のソーセージの作り方が記されている。材料には血やひき肉、脳(よく使われていた)のほかに、西洋ネギやコショウ、松の実、ローリエ(月桂樹の葉)も使われており、今食べてもとても美味しいに違いない。