ワインの歴史(5)キリスト教とワイン
ワインの歴史の中でキリスト教とワインの関係は特別である。このことをよく示しているのが、イエス・キリストが処刑される前日の「最後の晩餐」の席上でイエスが12使徒に話した内容だ。
その時イエスはパンを裂き、これは私の体であると言って皆に配った。また、ワインは私の血(契約の血)であると言って皆に飲ませた。そして、自分の記念として今後もこれを行うようにと命じたのだ。こうしてパンとワインを分け合う儀式が、キリスト教ではもっとも重要な儀式のひとつとなっていくのである。
現在、人類の約3分の1はキリスト教徒と言われている。このようにキリスト教が世界中に広まるきっかけを作ったのが古代ローマだ。
もともと古代ローマは多神教であった。キリスト教もその一つとして認められた時代もあったが、ネロ皇帝(在位54~68年)の時代からたびたび迫害を受け、宗教として認められないことが多かった。
しかしキリスト教は、貧民層を中心に次第に信者の数を増やして行ったため、ローマ帝国もその影響力を無視できなくなった。そして、ついに西暦313年にコンスタンティヌス帝はキリスト教を公認することになる。さらに西暦380年にはキリスト教が国教として定められ、392年に他の宗教が禁止されることによってローマで唯一の宗教となった。
ちなみに、古代オリンピックは紀元前776年からギリシアとその後ギリシアを属州にしたローマによって開催が続けられていたが、このスポーツの祭典はオリンピアの神々に奉納する儀式であったため、393年をもって終了した。
ところで、キリスト教が国教化した当時は既にイエスの時代から300年が経過し、キリスト教には様々な教派と教義が存在していた。そこで、ローマ皇帝が主催して公会議を開き教義の統一化を行った。こうして、イエスの神性を認め三位一体説を中心とする教義がキリスト教の正統なものとなったのである。
キリスト教がローマの国教となることで、キリスト教はローマが支配したヨーロッパ全土に広がってゆくとともに、多くの教会が作られていった。それにともなって、キリスト教にとって極めて重要なワインを常備するために、教会が自らブドウを栽培し、ワイン醸造を行うようになるのである。そして、このことがワインを世界中に広める大きな原動力になったのだ。
さて、キリスト教はユダヤ教から生み出された。ユダヤ教の聖書である旧約聖書はユダヤ人の歴史書と呼べるものであり、紀元前2000年頃からのユダヤ人の歴史が描かれている。その中で有名な一節に次のノアの方舟の話がある。
悪い人間が世の中に満ち溢れたのに怒った神が大洪水を起こして、彼らを一掃しようと決めた。唯一正しい生活をしていたノアには方舟を作らせ、家族と全ての生物を乗せて大洪水から逃れさせた。やがてノアを乗せた方舟はアララト山に漂着した。
ワインの歴史(1)で話した通りアララト山付近でブドウが栽培化されたと考えられている。アララト山に漂着したノアは農夫になり、なんとブドウの栽培を行いワイン造りまで行うのだ。つまり、聖書ではノアがワインを最初に作った人間とされているのである。
しかし、ある時ノアはワインを飲んで酔っ払ってしまい、裸になって天幕の中で寝てしまう。それを見た息子のハムは兄弟に告げ口をする。二人の兄弟は父の裸を見ないように布をかけた。酔いから醒めたノアは怒って、ハムの息子のカナンに呪いをかけた。
旧約聖書も飲み過ぎに警告を発しているのだろう。