食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

元(モンゴル帝国)の食-10~17世紀の中国の食(9)

2021-03-02 18:15:59 | 第三章 中世の食の革命
元(モンゴル帝国)の食-10~17世紀の中国の食(9)
1206年にチンギス・カンが興したモンゴル帝国はまたたく間にユーラシア大陸の大部分を征服していきました。そして中国では1271年から1368年までモンゴル民族による元王朝が統治を行います。

こうしてモンゴル帝国が西アジア・中央アジアを含む大帝国を作ったことによって、東西の様々な技術や文化が双方向に伝えられることになりました。例えば、最先端の医学や天文学などがイスラム世界から中国にもたらされる一方で、中国からは印刷技術や羅針盤などがイスラムやヨーロッパに伝えられました。

それ以外の重要なものとしては、大きな威力を有する武器が挙げられます。
元が南宋を滅ぼす際に威力を発揮した武器に「回回砲」と呼ばれる巨大な投石機があります(「回回」は西アジアの意味)。これは西アジアやヨーロッパで使用されていた「トレビュシェ」という投石器のことです。

一方、中国からイスラム世界やヨーロッパへは火薬とともに、火槍や鉄砲などの火薬を用いた兵器が伝えられました。鉄砲はその後ヨーロッパで革新的な進歩を遂げることで極めて強力な武器になり、ヨーロッパが世界各地を征服する上で大きな力を発揮することになります。

食文化も同じように東西の混合が見られましたが、食の嗜好はそう簡単に変わるものではなく、それまでの食文化に新たな要素が付け加わったものになりました。

今回は、このような元代のモンゴル民族の食について見て行きます。

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元代の食を知る上で貴重な資料となっているのが『飲膳正要』という書物だ。これは、元王朝で飲膳太医という皇帝の栄養士兼侍医の職にあった忽思慧(こつしけい)が著したもので、その第一巻には皇帝が食べたと思われる95の料理が記されている。

この95の料理には100種類ほどの食材が使われているが、とりわけ目立つのが羊肉・羊尾子・羊肚・羊肺・羊舌・羊血・羊皮・羊蹄などのヒツジに由来するものだ。95の料理のうち実に77のものにヒツジの食材が使用されているのである。



遊牧民族にとってヒツジは最も重要な食材であり、元王朝の人々も引き続いてヒツジが大好きだったようだ。また、野菜ではネギが最も多く使用されているが、これもモンゴル民族が昔から食べてきたものだ。

このようにモンゴル民族の基本的な嗜好は変わっていないように見える。

一方、他民族の食文化の影響もところどころに見られる。例えば、コメなどが複数の料理に使われているが、これらは宋朝(漢民族)の食文化の影響を受けていると思われる。また、調味料として塩・酢・醤のほかに、コショウなどの香辛料陳皮(チンピ:マンダリンオレンジの果皮を干したもの)などが使用されているが、これらはイラン系のムスリム(イスラム教徒)によって持ち込まれたと考えられる。

モンゴル政権の中央には、モンゴル民族以外に「色目人」と呼ばれた中央アジア出身のトルコ系ウイグル族やイラン系の民族がいた(「色」とは種類という意味で、漢民族とは異なる民族という意味)。彼らは元の人口の数%しか占めなかったが、そのほとんどはムスリム商人で商才に長けていたため、モンゴル帝国の中枢で経済政策や通商政策を担当していた。彼らは故国との貿易を通じて故郷の味をモンゴル帝国の料理に組み込んだのである。

例えば、トルコ系ウイグル族から持ち込まれた料理としてはガーリック入りのヨーグルトソースであえた麺料理があり、これは現代のトルコ料理によく似ている(ガーリックヨーグルトソースはトルコ料理の定番です)。

『飲膳正要』の95の料理のうち27がスープ料理だが、これはスープがモンゴル料理の代表的なものだからだ。しかし、その調理法からも様々な民族料理の影響がうかがえる。スープに入れる食材がそれぞれで異なっているのだ。

モンゴル民族の伝統的なスープと思われるものにはヒヨコマメやオオムギの粉でとろみがつけられている。一方、漢民族のスープには、小麦粉で作った麺や団子、もしくは米粉の麺を入れられている。また、イラン系ムスリムのスープと思われるものはコメでとろみがつけられ、シナモン・サフラン・ターメリック・コショウなどの香辛料で風味付けがされている。これらを見るだけでも、宋王朝では国際色豊かなスープが食べられていたことがよく分かる。

『飲膳正要』の第2巻には様々な飲み物やジャムなどが取り上げられているが、これらも様々な民族のものが取り入れられているように見える。モンゴル民族が伝統的に好んだ飲み物が馬乳酒ミルク入りの茶であるが、このほかに、西方の飲み物であるワインやイラン系ムスリムが良く飲んだフルーツジュース、そして蒸留器(アランビック)で造った中近東の蒸留酒アラックなどが記載されている。

元には他の地域から移住して来る人がたくさんいた。彼らはブドウを育ててワインを造ったり、サトウキビを栽培して砂糖を作ったりしたという。そして、砂糖からは甘いジャムやお菓子が作られた。時にはシャーベットが作られることもあったらしい。

元以外のモンゴル帝国の支配地にも、モンゴル民族など他民族の食文化が伝えられて現地の食文化と融合した。そして、その後モンゴル民族による支配が終わった後も、その時に生まれた新しい食文化は生き残ったのである。

それは中国の箸の置き方にも見ることができる。日本では箸は横向きに置くが、中国では箸は縦向きに置く。実は元代になるまで中国でも箸を横向きに置いていたのだが、モンゴル民族が肉を切る時に使っていたナイフを縦向きに置いていたことから、それに合わせて箸も縦向きに置くようになったのだ。この箸の縦置きは元が滅んでも廃れず、現在に至るまで続いているのである。