食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

「ツバメの巣」「北京ダック」「フカヒレ」の始まり-10~17世紀の中国の食(10)

2021-03-05 20:20:15 | 第三章 中世の食の革命
「ツバメの巣」「北京ダック」「フカヒレ」の始まり-10~17世紀の中国の食(10)
皆さんは高級中華料理と言えば、何を思いつくでしょうか。

ツバメの巣のスープ、北京ダック、フカヒレなどが一般的に高級中華料理と言われていますが、これらはすべて明の時代に本格的に食べ始められたと言われています。

今回は、ツバメの巣・北京ダック・フカヒレ料理の始まりを通して明代の食について見て行きます。

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明王朝(1368~1644年)の最初の首都は南京だったが、1421年に永楽帝によって北京に遷都された。

明王朝を興した朱元璋(洪武帝)(1328~1398年)は倹約家だったと言われている。彼は子孫が美食にふけって怠惰な生活に溺れないように、できるだけ質素で健康に良い食事をとるように心がけていたという。例えば、普段の朝食と夕食には豆腐をできるだけ食べるようにしていた。また、宮廷では肉や魚よりも野菜や果物をよく食べたという。

とは言え、やはり美味しい食べ物は大好きだったようで、彼の好物の「焼きハマグリ、エビいため、カエルの肢、干しシイタケ、ナマコ、アワビ、ニワトリ、ブタのアキレス腱の煮込み」を美味しそうに食べていたそうだ(劉若愚『酌中志』より)。

なお、中華料理では「アワビ」も高級食材だが、明代以降の宮廷料理にアワビが取り入れられたのは朱元璋の好物だったからと言われている。

朱元璋は江南の人間であったため、宮廷で出される料理はだしのきいた薄味の江南風だった。それにならって、その後の明の宮廷料理も基本的に江南の味付けだったと言われている。

「ツバメの巣」が宮廷で食べられるようになったのも朱元璋の代からである。それについて次のような逸話が残っている。

朱元璋が王位に就いてすぐのことである。彼は杭州の港に100歳を越える男性がいると聞き、宮廷に呼びつけて長寿の秘訣を尋ねたそうだ。すると、健康に良い食べ物と飲み物を教えてくれたのだが、その中に「ツバメの巣」が入っていたという。こうしてツバメの巣はそれ以後、皇帝と一部の特権階級で不老長寿の薬として食べられるようになったのである。

ツバメの巣は東南アジア沿岸部などに生息する「アナツバメ」の巣で、そのほとんどがツバメの唾液からできている(海藻からできているという話は間違い)。東南アジアではツバメの巣は健康に良い食材として古くから食べられていたそうだ。老人が住んでいた杭州は対外貿易港の商業都市として栄えていたため、東南アジア産のツバメの巣が手に入りやすかったと考えられる。

明代になってメジャーになったもう一つの料理がアヒルのあぶり焼き、つまり「北京ダック」の原型である。

北京ダックは太らせたアヒルを丸ごと窯で焼き、その皮の部分を薄餅(ポーピン)呼ばれる小麦粉で作った皮でネギやキュウリ、甜麺醤(テンメンジャン)と一緒に包んだものだ。アヒルの皮を客の目の前でカットしてくれるパフォーマンスが印象的で、これが日本人に有名な理由かもしれない。なお、北京ダックは日本では高級料理として知られているが、本場の中国ではそれほど高級なものではないそうだ。

アヒルはカモを家畜化して、肉や卵、羽などがたくさん摂れるようにしたものだ。アヒルによく似ている鳥にガチョウがいるが、これはガンを同じように家畜化したものだ。アヒルもガチョウも飛ぶ力はほとんどない(『ニルスの不思議な旅』では、飛べないと馬鹿にされたガチョウの「モルテン」がニルスを乗せて一緒に旅をする)。

江南ではアヒルの飼育が古くから盛んで、南京ではアヒルを焼いた料理がよく食べられていたという。1421年に南京から北京に遷都するが、この際に宮廷の料理人も北京に移った。そして、南方の料理をベースにした宮廷料理が発展して行くのだが、ここにアヒル料理も持ち込まれたのである。

江南のアヒルの焼き物は、下茹でして柔らかくしたアヒルを短時間火であぶって作っていたが、北京ではイスラム世界やインドから伝わった「窯」を用いてアヒルを焼くようになった。窯で焼くことによって、肉はジューシーなって皮はパリッとする。北京は元の首都だったが、対外貿易が盛んだったこの時代に窯を用いた炙り焼きの技術が伝わっていたのである。

ところで、北京ダックを北京語で「北京填鴨」と言う。「填鴨」とは強制的に餌を与えることで短期間のうちに太らせたアヒルのことだ。つまり、北京ダックに使うアヒルはこのようにして飼育されているのだ。この填鴨の飼育方法も明代の北京の郊外で始まったと言われている。

アヒルのあぶり焼きは宮廷でのみ食べられていたが、16世紀には民間の専門店が北京にオープンした。そして、その後も多くの店で出されるようになった。現代のような皮を切り取って食べる北京ダックは1896年に老舗の便宜坊が作り始めたと言われている。



三つ目のフカヒレの姿煮は、乾燥させたサメのヒレをアヒルやニワトリのスープでじっくり煮込んだもので、濃厚な味わいととろけるような舌触りを味わえる逸品だ。

「フカヒレ」が初めて記録に現れるのは1596年に南京で出版された李時珍医学書『本草綱目』(ほんぞうこうもく)である。サメのことを「背中にかたいヒレがあり、腹の下にはフカヒレがあり、味はいずれも美味しい」と書いているが、主に南方の人々が食べていたようで、まだ地方の食べ物だったようだ。

明の末期の17世紀半ば頃になると料理書などにフカヒレが取り上げられるようになることから、この頃には広く食べられるようになったと思われる。そして現代のようなフカヒレの姿煮の作り方が考案されるのは18世紀末から19世紀にかけてのことだ。



以上のように、明の時代はツバメの巣・北京ダック・フカヒレ料理などの高級中華料理が始まった時代と言えるのだ。

最後に、明の宮廷で食べられていた料理のいくつかを紹介して今回のお話を終わりにしたいと思う。

羊肉の焼き物:羊肉をスライスし、塩水と醤油に時々浸しながら炭火でじっくり焼く。

揚げスズメ:羽をむしり、内臓・骨を取り出す。少し乾燥させてから、紹興酒、塩、タマネギのタレに漬け込む。もち米粉を表面にまぶし、ピーナッツオイルでカリカリになるまで揚げる。油をきったあと皿に盛り、その上にニンニクのみじん切り、砂糖、酢、でんぷん、ごま油を熱して作ったソースをかける。

蒸し鶏:やわらかい鶏肉を水で洗い、塩、醤油、八角で作ったタレを塗り半日置く。じっくり蒸したあと骨を取り除き、鶏肉を細かく裂いて香辛料を加える。そしてもう一度蒸す。ガチョウ、アヒル、豚肉、羊肉を使ってもよい。

卵巻き:卵をといて薄く焼き、香辛料で風味付けしたひき肉を入れて巻く。それを砂糖と醤油で煮たあとスライスする。

アワビ入りのチキンスープ:アワビを薄くスライスし炒めたものを豆腐と一緒にチキンスープに入れて煮込む。

どれも美味しそうだなぁ。