食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

スペインの失敗-イギリス・オランダの躍進(1)

2021-06-16 23:22:41 | 第四章 近世の食の革命
4・6 イギリス・オランダの躍進
スペインの失敗-イギリス・オランダの躍進(1)
歴史に「if」は無いと言われます。

でも、「もし織田信長が本能寺の変で死んでいなかったら、その後の日本の歴史は大きく変わっていただろう」などと考えると、いろいろな妄想が頭の中を駆け巡って、少しワクワクするものです。

今回取り上げるスペイン王フェリペ2世も、「もし彼があの時しくじっていなかったら、その後の世界史は大きく変わっていただろう」と思えるほどの、歴史の転換点にいた重要人物です。

彼に相対したのがイングランド女王のエリザベス1世で、彼らの時代にスペインとイギリスはいくたびもの戦いを繰り広げました。その中でもっとも有名なものが「アルマダの海戦」で、スペインが誇る無敵艦隊がイギリス海軍に敗れるという大番狂わせが起こったとされています。


フェリペ2世
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スペイン王カルロス1世(カール5世)(在位:1516~1556年)が1519年に神聖ローマ帝国皇帝に選ばれた年に、スペイン人のコルテスはメキシコに派遣された。彼は1521年にアステカ帝国を征服してスペイン領とした。また、同じようにスペイン人のピサロは1533年にインカ帝国を征服した。こうしてブラジルを除き、中南米のほとんどがスペインの植民地となったのだ

一方、1519年にはカルロス1世の命を受けてマゼランが世界一周の冒険旅行に旅立つ。マゼランの船団はアメリカ大陸南端のマゼラン海峡を通過して太平洋を横断し、香辛料諸島(モルッカ諸島)やフィリピンなどに立ち寄りながら1522年にスペインに帰国した(ただし、マゼランは途中で戦死した)。こうして香辛料の生産地の情報を得たスペインは香辛料貿易にも乗り出した。これ以降スペインは海洋帝国・植民地帝国として発展して行く。

1556年にカルロス1世(カール5世)が退位すると、スペイン王は息子のフェリペ2世(在位:1556~1598年)が引き継ぎ、神聖ローマ帝国皇帝の座は弟のフェルディナント1世(在位:1556~1564年)が受け継いだ。この結果フェリペ2世は、スペインが有するスペイン本土、ナポリ、シチリア、ネーデルラント(現在のオランダやベルギーなど)、アメリカ大陸、フィリピンなどの支配者となったのだ。

フェリペ2世はスペインの領土をさらに拡大する積極的外交を展開しようとした。この背景にはカトリックの保護国として、カトリックを全世界に広めるという野望があった。

フェリペ2世が即位した頃の地中海はオスマン帝国が支配していた。オスマン帝国がイタリアにも迫る姿勢を見せたことから、ローマ教皇は各国に支援を呼びかけた。それに応じてフェリペ2世はスペイン艦隊を派遣し、レパントの海戦でオスマン帝国軍を打ち破った。この結果、スペイン艦隊は「無敵艦隊」と呼ばれるようになる。

フェリペ2世は即位前の1554年にイングランド女王のメアリー1世(1516~1558年)と結婚しており、イングランドの共同統治権を得ていた。メアリー1世はイングランドの宗教をカトリックに回復させようとしていた。うまく行けばイングランドはカトリック国に戻り、その領土もスペインのものとなる可能性があったが、メアリー1世の逝去によってこの夢はとん挫した。なお、フェリペ2世は次の女王となったエリザベス1世(在位:1558~1603年)にも求婚したが断れている。

エリザベス1世は、メアリー1世が回復させたカトリックを排除し、プロテスタントであるイギリス国教を復活させたため、フェリペ2世と対立するようになる。

一方、ネーデルラント(現在のオランダやベルギーなど)ではプロテスタントの勢力が拡大していた。この地は毛織物業を中心に商工業が非常に発展しており、スペイン王国の資金源となっていたのだが、フェリペ2世は即位後すぐに重税を課すとともに、プロテスタントを厳しく弾圧するようになった。これに対してネーデルラントの人々は、プロテスタントとカトリックの関係なく一致団結して反乱を起こすようになる。

後の歴史を知っている者にしてみれば、スペインが資金源のネーデルラントを失うことだけは避けなければならなかったことを分かっている。しかし、フェリペ2世はこれに失敗した。うまく統治を行うためには「アメとムチ」が必要と言われるが、スペインが行ったのはムチだけで、スペイン軍は反乱を徹底して押さえつけただけだったのだ。例えば、捕らえた者の全財産を没収し、それでも歯向かう者を次々と処刑したとされる。

こうしてネーデルラントの人々のスペインに対する反抗心がさらに強まることとなり、1568年には本格的な独立戦争が始まった。特にカルヴァン主義のプロテスタントが勇敢に闘ったとされる。

この独立戦争を支援したのがエリザベス1世だ。スペインはイギリスにとっても敵国であり、また、ネーデルラントの人々はイギリスと同じようにプロテスタントだったからだ。しかし、ネーデルラントの人々もイギリスも兵力の面ではスペインにとてもかなわない。そこで採用した戦略が「海賊行為」というゲリラ戦法だ。

弾圧から逃れたネーデルラントの人々は小さい船に乗り込み、スペイン船を襲撃することで物資を奪ったり、船そのものを奪ったりした。エリザベス1世も海賊を配下におさめ、スペイン船に対して海賊行為を命じた。有名な海賊フランシス・ドレイクはアメリカ大陸沿岸まで乗り出し、大量の物資や財宝、そして軍艦を手に入れたという。

ネーデルラントとイギリスはともにヴァイキングが住み着いた土地であったことから、海賊行為は先祖から受け継いだ血のなせる業と言えるかもしれない。

こうした状況を打破するために、スペインは1588年にアルマダの海戦をイギリスに仕掛けたのだが、この時もドレイクら海賊の活躍によってイギリス側の勝利となった。無敵艦隊の敗北である。

そして、ネーデルラントではカトリックの多かった南部が独立戦争から脱落したが、1596年にはフランスとイギリスが北部7州を国家として認める条約を締結したことから、ネーデルラント連邦共和国(通称オランダ)が成立する。

オランダはその後オランダ東インド会社を設立し、ポルトガルからアジアの香料貿易を奪うなどして海上帝国として強大化して行った。そして17世紀には、黄金時代を迎えることとなる。また、イギリスもスペインなどから植民地を奪うことで大国化し、大英帝国を築いて行くことになる。

一方、スペインはドル箱のネーデルラントを失い、海賊によって財宝や物資を奪われるとともに、植民地も失って行った。この結果、大した産業がないスペインは凋落の一途をたどることになるのだ。

もしフェリペ2世がネーデルラントの統治をもう少しうまく進めていれば、ネーデルラントが独立することもなかっただろう。そうなれば、ネーデルラントから莫大な資金を調達できたし、イギリスだけを相手にすれば良かったので、イギリスに勝利して自らの領土としていた可能性がある。しかし、これは歴史のifで、言っても仕方がないことだ。

さて、ここで、フェリペ2世の時代のスペインの首都の料理について見て行こう。

フェリペ2世は1561年に宮廷をマドリードに移し、ここが事実上の首都となった。マドリードは海から約300 km離れた内陸にあり、気候は乾燥しておりコメの栽培には適さない。このため、魚介類やコメの料理を良く食べる他の地域とは異なり、どちらもほとんど食べない。その代わり、肉と豆を良く食べるのが特徴だ。

スペインとポルトガルは以前の支配者のイスラムから土地を奪い返して建国された。このため、スペイン人はイスラム教やユダヤ教がタブーとする豚肉を好んで食べるようになったとされ、教会も豚肉を食べることを奨励した。

このような豚肉料理の一つに、豚肉と豆の煮込み料理であるコシード(Cocido)がある。

スペイン各地にコシードがあるが、最も有名なのがマドリードの「コシード・マドリレーニョ(Cocido Madrileño)」だ。これは、鶏肉、豚肉、生ハム、チョリソ(トウガラシ入りポークソーセージ)、モルシラ(ブラッドソーセージ)などの肉類をひよこ豆や野菜と一緒に煮込んだ料理だ。この料理はユダヤ人が食べていた料理を豚肉風にアレンジしたもので、16世紀に始まったと言われている。

コシード・マドリレーニョを食べる時には、煮込んだ具材とスープを3つに分けて、スープ、豆と野菜、肉類の順に食べるのが伝統となっている。現代ではスープにパスタを入れることが多い。


コシード・マドリレーニョ

これ以外のマドリード料理には、牛の胃を煮込んだ「カジョス・アラ・マドリレーニャ(Callos a la Madrileña)」がある。この料理の起源も16世紀までさかのぼると言われている。なお、ヨーロッパで内臓を食べる場合は肝臓や腎臓がほとんどで、胃を食べるのは珍しいらしい。

マドリードはドーナツでも有名だ。「ロスキージャス(Rosquillas tontas y listas)」というドーナツは、5月のマドリードの守護聖人サン・イシドロの日にレモネードと一緒に食べられる伝統的なものだ。その表面は卵黄や粉砂糖、メレンゲでコートされる。

また、11月の諸聖人の日には、「ブニュエロ(Buñuelos rellenos)」というカスタードクリームや生クリームが入った揚げパンが食べられるそうだ。

カトリックの国だけあって、キリスト教に関係がある料理が多いのが特徴のようである。