食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

北京ダックの歴史-17~19世紀の中国の食の革命(2)

2021-12-07 19:31:30 | 第四章 近世の食の革命
北京ダックの歴史-17~19世紀の中国の食の革命(2)
北京ダックは、ローストしたアヒルのパリパリした皮を、ネギやキュウリ、テンメンジャンなどのソースと一緒に薄い小麦粉の生地で包んで食べる料理です。

伝統的な北京ダックは次のようにして作ります。

まず、白いアヒルを放し飼いにした後、15〜20日間強制的にエサを食べさせます。後は、羽がむしられ、内臓は小さい穴から取り除かれます。そして、皮と肉の間に空気を送り込み、皮と脂肪を分離させます。こうすることで、ローストしたときに張りのあるふっくらとした見た目になります。次に、鴨を吊るして乾燥させ、麦芽糖のシロップをかけて皮をパリパリにします。最後に、伝統的な密閉式オーブン、もしくは、清代に開発された吊り下げ式オーブンを用いて、肉はジューシーに、皮はパリパリになるまでローストします。

北京ダックはその名の通り、北京を代表する料理であり、海外からの要人をもてなす料理としてよく利用されてきました。今回は、このような北京ダックの歴史について見ていきます。



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アヒルはマガモを家畜化して、肉や卵、羽などがたくさん摂れるように品種改良したものだ。その結果、体が大きく重くなり、反対に翼は小さくなって、ほとんど飛ぶことが出来なくなってしまった。

中国でアヒルの丸焼きが食べられ始めたのは、隋が中国を統一する前の南北朝時代(420〜589年)と言われている。の時代(618~907年)には、新鮮なアヒルを薪や炭火で焼いた料理は「燒鴨子」と呼ばれていた。これをもとに、アヒルのローストの調理法が改良されて行った。ただし、これは民間レベルのことだと言われている。

アヒルのローストが宮廷のメニューとして初めて記載されたのは、代(1271〜1368年)のことで、宮廷の食医(皇帝の食事と健康の管理を行う医者)であった胡思慧が書いた料理書「飲膳正要」に記されている。

(1368~1644年)の最初の首都は南京だったが、南京が位置する江南地方ではアヒルの飼育が古くから盛んで、アヒルのローストは南京の名物料理になっていた。そのため、明の宮廷でもアヒルのローストが出されるようになったが、これを皇帝が大変気に入り、「烤鴨」と名付けてよく食べられたという。なお、江南のアヒルのローストは、下茹でして柔らかくなったアヒルを短時間火であぶって作っていた。

明の第3代皇帝永楽帝(在位:1402~1424年)の時代に、首都が南京から北京に移ったが、それにともなって、アヒルのローストも北京に伝えられた。この料理は、当初は「金陵烤鴨」(金陵とは南京の古称)と呼ばれていた。

北京ではアヒルのローストに様々な工夫が施された。その一つがアヒルの品種改良だ。江南から持ち込まれたアヒルを品種改良することにより、雪のように白い羽、薄い皮、そして柔らかい肉質を持った、それまでよりもはるかに質の高いアヒルを生み出すことに成功したのだ。これが、現在世界中で広く飼育されているペキンアヒル(白いアヒル)の元となった。

また、南京ではゆでたアヒルを直火であぶっていたのが、北京では密閉式のオーブンでローストされるようになった。これは四角いレンガ造りのオーブンで、四方に扉がついている。アヒルをローストするときには、まず中で薪を燃え尽きるまで焚く。その後、それぞれの扉の内側に4羽のアヒルを吊るし、レンガからの放射熱で焼き上げるのだ。

こうして、新しいアヒルのローストは北京の宮廷の重要な料理となって行った。そして、次第に「北京烤鴨」と呼ばれるようになったのだ。北京ダックの始まりである。1416年には、北京に初めての北京ダック専門店の便宜坊がオープンし、北京市民も食べることができるようになった。

ところで、北京ダックは北京語で「北京填鴨」と言う。この「填鴨」とは強制的に餌を与えることで短期間のうちに太らせたアヒルのことだ。この填鴨の飼育方法も明代の北京の郊外で始まったと言われている。

北京ダックが全盛期を迎えたのは、の時代(1644~1912年)だ。清の宮廷では、アヒルをオーブンの中に吊るして焼くという、新しい調理法が採用された。この新しい調理法が優れていると考えられたのだ。1761年には、清の皇帝の乾隆帝は2週間のうちに8回も北京ダックを食べたという記録が残っている。

1864年には、北京に全聚德という料理店がオープンした。この店では、元宮廷料理人が雇われており、宮廷で食べるのと同じくらいおいしい北京ダックを食べることができたという。こうして、焼けた皮とジューシーな肉を持つ全聚徳の北京ダックは、瞬く間に貴族などの上流階級や文人たちの間にも広まり、学者や詩人の間で賞賛されるようになった。

なお、1978年から改革開放の政策が始まると、海外からの要人を全聚德でもてなすことが多くなり、北京ダックは中国の国家的なシンボルとなって行く。