食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

フカヒレの姿煮-17~19世紀の中国の食の革命(4)

2021-12-14 17:00:01 | 第四章 近世の食の革命
フカヒレの姿煮-17~19世紀の中国の食の革命(4)
フカヒレの姿煮」は、乾燥させたサメのヒレ(フカヒレ)をアヒルやニワトリのスープでじっくり煮込んだもので、濃厚な味わいととろけるような舌触りが味わえる、とてもおいしい料理です。また、「フカヒレのスープ」という、糸状のフカヒレの身が入ったスープも絶品です。

フカヒレの姿煮は満漢全席でも重要な料理の一つですが、歴史上に登場したのはそれほど古くなく、明代以降と考えられています。

今回は、フカヒレの姿煮の歴史と、近年のフカヒレにまつわる話題について取り上げます。



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フカヒレ」が初めて記録に現れるのは1596年に南京で出版された李時珍が書いた医学書『本草綱目』だ。サメのことを「背中にかたいヒレがあり、腹の下にはフカヒレがあり、味はいずれも美味しい」と書いているが、主に南方の人々が食べていたようで、まだ地方の食べ物だったようだ。

明代(1368~1644年)末期に出版された辞典である『正字通』には、フカヒレのことが「とてもおいしい」と記されており、この頃には北京などでも食べられるようになったと思われる。また、清代(1644~1912年)初めの料理書『食憲鴻秘』には、フカヒレをアヒルやニワトリのスープで煮込む調理法が記載されており、現代に近い調理法が確立されていたようだ。ただし、この頃のフカヒレは生で、乾燥させたものはまだ使用されていないと考えられている。

清代の文人であり、食通としても名高かった袁枚(えんばい)(1716~1798年)が1792年に出版した料理書『随園食単』には、フカヒレは「二日間に込んでようやく柔らかくなる」とあることから、これは乾燥させたフカヒレと推測される。フカヒレが生から乾燥ものに変わった理由としては貯蔵や運搬が容易だったことなどが考えられるが、乾燥ものへの変化は18世紀中に起きたことと思われる。なお、『随園食単』には、フカヒレの身をほぐして作った「フカヒレのスープ」のレシピも載っている。袁枚が活躍したのと同時期の書物にはフカヒレの姿煮がとてもおいしい料理としてたびたび登場することからも、この頃にフカヒレの姿煮がメジャーな料理になったのだろう。そして、満漢全席の一品となった。

清代の末期になると、高級な宴席はメインとなる料理名で呼ばれるようになる。最上級は仔豚の丸焼きがメインの「焼烤席」であり、次がツバメの巣がメインの「燕窩席」、そして、フカヒレがメインの「魚翅席」だった。最高級料理の地位をしっかりと獲得したのである。

ところで、フカヒレは日本産が質が高く、江戸時代からたくさんのフカヒレが日本から中国に輸出されていた。この背景について簡単に触れておこう。

明朝(1368~1644年)は、「北慮南倭(ほくりょなんわ)」に悩まされていた。これは、中国北部でのモンゴル人の侵入と、南の沿岸部での倭寇による略奪のことを意味する言葉で、明朝が貢物を持ってくる朝貢貿易しか認めなかったために、民間貿易によって金もうけをしたかった人々が略奪行為を行ったのである。

結局、明朝末期になると、民間貿易が認められるようになり、清朝(1644~1912年)もこの政策を引き継いだ。つまり、朝鮮半島や琉球、ベトナムとは朝貢貿易を行うとともに、日本や西洋諸国に対しては民間貿易を認めたのである。

日本では、安土桃山時代の1570年頃から、もっぱら長崎の港が国際貿易港として南蛮貿易や中国との貿易に利用された。このため、この時代の国際貿易は長崎貿易と呼ばれる。こうして、日本各地から集められた物品は長崎から海外に輸出されたのだ。

江戸時代の日本から中国(清)への主要な輸出品は、「俵物(たわらもの/ひょうもの)」と呼ばれる乾燥させた海参(ナマコ)鮑(アワビ)翅(フカヒレ)だった。いずれも中華料理の高級食材であり、俵に詰められて輸出されたことから、俵物と呼ばれたのである。

フカヒレについては、気仙沼が今も昔も一大産地になっている。目の前に魚介類が豊富な三陸の海があり、マグロやカツオに加えて、サメが大量に水揚げされてきたからだ。また、加工技術に優れていたため、気仙沼のフカヒレはとても質が高く、中国で最高級品としての地位を築いたのである。

さて、明代に高級料理として確立されたフカヒレの姿煮であるが、近年はサメの生息数が大幅に減少したことから、イギリスやアメリカなどの欧米諸国がフカヒレ漁やフカヒレの輸出入に規制をかけるようになった。その背景には、中国の経済発展によって大量のフカヒレが消費されるようになったことがある。

特に大きな問題となっているのが「shark finning(シャークフィニング)」と呼ばれる漁だ。これは、サメからヒレを切り取った後に、ヒレのないサメをそのまま海に戻すという漁法だ。価値の低いサメの本体を運ぶ必要がないため、収益性を高めることができる。しかし、海に戻されたサメは泳ぐことができずに最終的には死んでしまうため、人道的な面からもサメ資源を保護する面からも批判を集めており、多くの欧米諸国がshark finningを禁止している(ちなみに、気仙沼ではshark finningは行われておらず、サメの肉は練り物などの材料として利用されているそうだ)。

サメは生態系で食物連鎖の頂点に位置していることから、サメの生息数が変わると、生態系が大きく変化する可能性が示唆されている。人の食欲が環境を破壊する例の一つと言えるかもしれない。