隊長のブログ

元商社マン。趣味:ヒップホップダンス、ジャズダンス、日舞(新舞踊)、旅行、映画、スポーツ観戦。阪神タイガースのファン。

旅行記 第45回 『北陸新幹線で行く秋の北陸 4日間』 (その2・永平寺)

2024年11月16日 | 旅行記

旅行記 第45回 『北陸新幹線で行く秋の北陸 4日間』  (その1・北陸新幹線乗車記) https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/5a4b7ddac2683cfc3b922a03a521f406

 


旅の1日目、福井駅東口の1番バス乗り場から、10時50分発の「特急永平寺ライナー」に乗車し、終点の「永平寺門前バス停」に到着したのが、11時18分頃。乗客の約半数が、外国人旅行客でした。

 

 


バス停の先にある「永平寺川」にかかる橋を渡り、直進します。

 

 


両側にみやげ店や飲食店が軒を連ねている、門前町の緩やかな坂道を上ります。


門前町の一番奥にあるそば処「てらぐち」に、外国人ツアー客が次から次へと入っていきます。

 

 


バス停から歩くこと5~6分、「龍門」(正門)に到着しました。

 

 


高さ四メートルほどの右の標柱には、「杓底一残水(しゃくていのいちざんすい)」という句が、左には「汲流千億人(ながれをくむせんおくにん)」の句が、刻まれています。ここから、境内に入ります。


当山は、寛元二年(1244)、道元(どうげん)禅師によって開かれた座禅修行の道場です。四方を山に囲まれた深山幽谷の地に、大小七十余りもの殿堂楼閣が建ち並び、中でも「七堂伽藍(しちどうがらん)」と呼ばれる七つのお堂(法堂・仏殿・僧堂・庫院・山門・東司・浴室)は、僧侶が修行をする清浄な場所として特に重要な建物とされています。

 

 


道元禅師は、正治二年(1200)京都に生まれ、十四歳の時に「比叡山」にて出家します。寛元元年(1243)、越前の国(福井県)の地頭・波多野義重(はたの よししげ)公の招きで、越前志比荘に移られ、永平寺を開かれました。


写真の正面が、一般の人が出入りする「通用門」です。

 

 


写真を撮影した場所の後ろには、永平寺川が流れています。

 

 


奥にある「唐門(からもん)」は、新しい住職を迎えるための門で、一般の参拝者は通れません。

 

 


通用門を潜ります。額には、入道者の求道を喚起させる「天童叢規勃興名巒(てんどうのそうき・ぼっこうのめいらん)」の句が書かれています。

 

 


門を潜った右手の拝観受付で、拝観料 700円を払います。


最初に目を奪われたのは、「傘松閣(さんしょうかく)」二階の156畳敷きの「絵天井の間」です。

 

 


昭和5年(1930)建築当時の著名な日本画家144名の筆になる、230枚の美しい色彩画が天井に飾られています。


「東司(とうず)」から「僧堂」に続く、長い木製の階段を上がります。

 

 


道元禅師を奉祀する御真廟の「承陽殿(じょうようでん)」。

 

 


七堂伽藍の一番奥に位置し、朝課(ちょうか・朝のおつとめ)などの各種法要が行われる「法堂」。

 

 


法堂から「山門」を、見下ろします。紅葉の時期には少し早かったのが、残念です。

 

 


七堂伽藍の中心に位置し、曹洞宗のご本尊であるお釈迦様(釈迦牟尼仏・しゃかむにぶつ)が祀られている「仏殿」。正面には、五十世玄透禅師の直筆「學皇寶殿」の額が掲げらています。

 

 


勾配の急な、木製の階段を下ります。

 

 


最後に、宗派を問わず一般の人の法要・納骨を行う「祠堂殿 ( しどうでん) 」を、参観しました。

 

 


御朱印を頂けるのは、「吉祥閣」一階にある御朱印処です。御朱印は、「承陽殿(じょうようでん)」の一種類。持参した御朱印帳に、浄写して頂けました。納経料は、300円。

 

 


尚、拝受した御朱印の数は、これで122印になりました。その内、第1印~100印は、こちらをご覧下さい

 


★ 続きは、『北陸新幹線で行く秋の北陸 4日間』 (その3) で ★ 


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