※kabuyochuさん/写真AC
縋る身は哀しきものよ空の蝉
季語:空の蝉・空蝉(うつせみ):夏(晩夏)
蝉の空、蝉の脱け殻をいう。※俳句歳時記
[悲しい・哀しい]とは心がいたみ、泣きたくなる気持ち(にさせるようす)だ。※三省堂国語辞典
しがみついている姿を(縋る)とし、蝉の殻を(空)とし哀しきものと詠っている。
この句は縋るしかない境遇を空蝉に重ねているのだと思う。
空蝉を詠った母の句はもう一つある【空蝉の一つは供華にすがりおり】
去年のブログ
こちらもやはり「すがる」の言葉が入っている。
詠いたかったことは二句とも同じなのだろう。とても似ている。
ただちょっとこちらのほうが、やわらかな情景が浮かぶ。
私も空蝉をお題に詠んでみた。(添削レポート提出)
作品の背景:庭掃除をしていると空の蝉がまだ枝に留まっていた。空で軽くて小さいのに一年過ごしたのだなあと思った。
提出した句:【枝の上一年越した空の蝉】
先生の添削:日常のふとした発見が読みこまれていて好もしく思いました。
ただ、「一年越した」という表現が素直すぎるようにも思いました。「空蝉や」と切字を用いて、焦点を絞った表現にされたらいかがでしょう。
また中七を「一年越しの」として、「枝の上」につなげるようにするとよろしいかと思いました。
提出句はテキストにあった「説明になっています」「報告的です」になっていたようだ。
【空蝉や一年越しの枝の上】
源氏物語に『空蝉-3帖』などの話もあり、その姿からも(儚い)とか(哀しい)とか詠われる空蝉・・・。
否…殻なのに(空になっても)その存在を保ち続けるとは、意外と逞しいのではないだろうか・・・?。
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