寒月のするどさ夫の手を取りぬ
季語:寒月(冬・天文)
【冬の月】寒月(かんげつ)・冬満月・冬三日月・月冴ゆ(つきさゆ)
冴えわたった大気の中で冬の月は研ぎ澄まされたように輝く。※俳句歳時記
父は70歳を過ぎた頃、脳梗塞で入院しその時は運よく退院できたのだけれど、その後、徐々に認知機能が衰えて行って、
70歳後半には、薬の管理やらその他日常生活で、出来なくなった部分を母に補ってもらい生活をしていた。
この頃母は、夜寝てから父が何度も起きるので、自分もなかなか睡眠がとれないと言っていた。
実家には長い廊下があり、その突き当りがトイレだったので、これは母が、父をトイレに連れて行く夜のことを詠ったのではないかと思う。
カーテンの隙間から見えた夜空の「冬の月🌙」に、現実の厳しさと寒月の鋭さを重ねたのだろう。
こんな短冊箱に母の俳句は入っている。
2019年8月からブログに載せはじめた母の句、この句で59句目となった。
昨日、晴れて比較的暖かかったので
夫の弟妹が結婚し実家を出るまでの間(息子達がまだ小さい頃)住んでいたアパート隣室のお世話になった人を訪ねました。
そのアパートで男子2人を育て始めた私は、既に男子3人を育てていたその人に、育児、家事と、いろいろなことを教えていただきました。
とても逞しい、優しい人でした。
子供達が大きくなると、その家族は海近くのマンションに引っ越し、私達も夫の実家に入り、各々仕事も忙しくなって、もう何十年も会っていませんでした。
退職したら、すぐにでも会いたいと思っていた人でしたが、その年からコロナ禍になってしまい、延び延びになっていました。
今年その方から、こんな年賀状が届きました。
「長い間お付き合い頂いてありがとうございます。年齢的にも今年で終わりにさせて頂きたいと思っております。おからだにお気を付けてお過ごし下さい」
年齢的って?今80歳?何か病気なのかな?と思っていると、電話がありました。
「変なハガキ出してごめんなさい。気を悪くしているかと心配になってしまい…」と・・・
聞くところによると、昨年の秋、心筋梗塞で救急車搬送され、ちょっと遅ければ危なかったようです。
同居している息子さんの機転と、すぐそばに市大病院があったことが幸いして一命をとりとめたけれど、
「足が不自由になり、手押し車がないとどこへも行けないので気弱になっているだけで、来てくれたら会いたい」とのことでした。
彼女は7年前にご主人を亡くされたのですが、胃瘻までして(看護師さんでもない)自宅介護を2年間遣って、看取った凄い人です。
義父にバナナを丸ごと渡し、ナースコールになってしまい、死なせるところだった私にはとてもできないと思います。
そのような人が気弱にって・・・
またまたコロナ感染者数が増えていて、私はともかくとして、うつしてしまっては…と少し躊躇したけれど「時は戻せない。思い立ったが吉日」…と会いに行きました。
崎陽軒の「冬」弁当とショートケーキ🍰を買って行き、お邪魔して4時間程、尽きないお話をしてとても楽しい時間でした。
帰りにはシーサイドライン駅の階段を上る私の姿が見えなくなるまで、マンションの前で手を振っていてくれました。
駅の近くにちょっとだけ咲いていた梅の花
私って、夫が先に病気になった時、母のように、彼女のように優しい介護ができるのでしょうか?
遣ろうと思っているけれど、正直ちょっと不安です!
その前に、夫より長く生きようとしている私がいます・・・