※写真AC/ポカさん
※俳句歳時記
季語【椿】春(植物)【乙女椿】椿の傍題
今日、朝起きて温度計を見ると22℃!そして現在25.5℃!
テレビでは5月の連休時と同じ気温になると言っていた。
お隣(南側)の乙女椿が今満開だ。
この椿の咲いているのは南側お隣さんで、80歳代と60歳代の母子(息子さん)ふたり暮しだった。
「だった」というのは、つい最近お母さんのほうが亡くなったからだ。
そのお隣さんのこと「もう少しで椿が咲いたのに、咲いたところを見ないで逝ってしまったね!」と詠ってみました。
【旅立ちは乙女椿の知らぬまま】
文言を違えず入力したAI画像(※マイクロソフトAIgenerator)
とても綺麗な着物姿の画像となった。
でも椿と言っているのに何故?桜?。
義母が「お隣にお嫁に来て挨拶に来たときには、とても可愛い綺麗な人だった」と言っていたけれどこんなだったのかな?
実は3月に入ってから姿を見かけないので、とても気になったはいたのだけれど、
夫が「他家には他家の事情があるのだから、余計なことはするな!」というので、聞きにも行けずにいたところ、
春分の日(20日)の翌日、息子さんが我が家へ来て「実は母が11日に亡くなりました」と・・・
何でも息子さんが午前3時ころトイレに起きた時に、お風呂場の電気がついていたので見に行ったところ、お風呂場でもう息が絶えていたとのこと。
「懇意の葬儀屋さんに相談して、いろいろなことを済ませ、今家に帰ってきているので、もしよろしければお線香でもあげて下さい」と…
なので直ぐ夫とふたりで、お線香をあげに行った…
南側のお隣さん
私の嫁いで来た50年前は5人(夫婦とお子さん3人)の家族だった。
まもなく長女さんは嫁ぎ、4人家族になった。
庭には大きな栗の木があって、わが家の方へせり出しているので、わが家の庭へ落ちた栗は食べていいとの暗黙の了解だった。
私はその栗で栗ご飯を炊いておすそ分けをしたりしていた。
ご近所の交流が多かった時代では、みんなそのようなお付き合いをしていた。
月日がながれ、暫くしておじさんが亡くなった。
その後、交通事故に遭い17年間寝たきりだった次男さんが亡くなり、お隣さんは息子(長男さん)とのふたり暮しだった。
私とお隣さんとは、庭で垣根越しに時々会話をするといったお付き合いだった。
その時「丈夫だから絶対根付くから~」といって、ランタナやユキノシタを頂いた。
わが家は日陰のせいか、私の世話が下手だったのか?ランタナは枯らしてしまったけれど・・・
ユキノシタは残って大きくなって、今咲いている。
多分乙女椿も義母が貰っていたのだと思う。
家の椿も、ピンク色の同じ乙女椿だ。
先日雨の降った後に写した我が家の椿
「別れは突然に…」というけれど「ほんとうだ…」
心臓が悪いとは言っていたけれど、こんなにも不意に訪れることもあるのだなぁ~なんて思った。
それにしても、最近はお別れが「簡素?」になってしまった。
ひと昔前は町内会の掲示版に報告があり、お葬式がある場合には通夜・告別式と、お別れに行ったものだった。
今、庭に出ていると道行く人に「お隣さんは?」と、ときどき声をかけられている。
プライバシーが強く言われる昨今、簡素化が良いか悪いかよく分からないけれど、
やはり日常に会話をしたりした人の姿が見えなかったりすれば、気になるものだと思う。
私も、庭に出るとつい「お隣さんいる?そうか…もういないんだ」と、しばらくは寂しいと思う。
「いない」事が日常化するまでは・・・