写真は、現在の箱根(芦ノ湖)春らしい写真
退職後始めた写真整理(スキャンしてPCへ取り込む)がなかなか進まない。
3年くらいかかるかも?が、冗談でなく本当かもしれない、と思うようになった。
1枚1枚、思入れが多すぎるのだ。
このセピア色の写真は学生時代、お世話になったアルバイト先(出版関係)の人達と箱根へ行った時の集合写真。
(皆さんお顔をぼかしてしまいスミマセン )
当時、社員旅行はどこの会社も、いわば行事のようなものだった。
しかもこの頃は確か春、秋2回あったと思う。
そして私のようなアルバイトも連れて行ってくれた。
左端のぽっちゃりした、ぼかしのかかっていない女子(女性?)が当時19歳の私。
この頃、私の体重はマックスだった。
後列中央の白い服を着た女性が業務担当の方で一番お世話になった。
母と同い年だったが、独身で服装も若々しく、とても同い年には見えなかった。
時々、渋谷の職場から鎌倉の自宅までタクシーで帰っていて(お金持ちだった?)
世田谷で下宿住まいだった私をよく途中まで同乗されてくれた。
食事もたびたびご馳走してくれたし、鎌倉の大きなお宅にも泊りでお邪魔したことがある。
その右が、編集長。
いつも帽子を被りパイプをふかして(くわえて?)いた。
この旅でもパイプをくわえ、いたるところで「コーヒーを出せ~」って叫んでいた。
右上でベレー帽を被っているのは編集者で一番年上の方でとても面白い人だった。
右側に編集者が集まっている。編集の人達も皆それぞれいろいろなことを教えてくれた。
前列の左から2番目の女性が同じ大学の先輩でやはりお世話になった人。
卒業後もこの出版部でアルバイトを続けていた。
クラシック音楽が好きで、一度【ベートーヴェンの第九】の演奏会に誘われて行ったことがある。
アルバイトでお金を貯めてドイツに行く(旅行でなく住む)のが夢だと言っていた。
その右隣りが営業の方で、新刊が出ると東販(東京出版販売-現トーハン)、日販(日本出版販売)をはじめいろいろな取次店を一緒に回った。
この時、必ず行くのが国立国会図書館、そこには発行された出版物は必ず納品するという義務付けがあるということをここで初めて知った。
もう50年も前なのに、そしてもうみんな没交渉なのに、今でもこの人達の名前やエピソードを憶えている。
(一つ釜の飯を食う)というけれど、一緒に旅をすることで、親近感が生まれていたような気がする。
今は若い人から敬遠されがちな社員旅行。
でも私の経験したこの旅行は、年上の人達は優しく、その人達から得ることも多く、楽しかった。
この職場で一番好きだった仕事は ”原稿取り” で、いろいろなところへ行った。
特に青山にオフィスがあったイラストレーター・エッセイストの真鍋博さん(1932-2000)のところへ原稿を受け取りに行ったのを覚えている。
車の運転ができない私はタクシーで行って良かったので、青山はすぐ近くなのにタクシーで行った。
時々待たされたが、その間、沢山の色のペンが入っている沢山のペン立てや、
壁にかかった絵などを観ていると楽しくて、待たされている方が良いと思っていた。
な~んて、この一枚の写真にしても次々と思い出が湧いて・・・。