気がつけば思い出Ⅱ

日々の忙しさの中でフッと気がついた時はもう
そのまま流れていってしまう思い出!
それを一瞬でも残せたらと...。

十三夜をお題にした母の句~後(のち)の月

2020年10月02日 | 伊代の俳句

強がりの胸に亡母(はは)棲む十三夜

季語は十三夜:秋

強がりの私の胸の中には、ずっと亡くなった母が棲んでいる

十三夜の月を見ていると、ちょうどこの頃亡くなった母のことを想う

はっきりとした日は覚えていないけれど、祖母は10月に亡くなった。

 

天寿果て逝きたる母よ捨子花

季語は捨子花:秋

捨て子花とは彼岸花の事。他に曼珠沙華、死人花とも言われている。

  私の郷里では田んぼの周りに彼岸花が咲いていた。

 

秋雨にずぶ濡れて母葬らむ

季語は秋雨:秋

お葬式は秋雨の降りしきる日だった。

私も喪服(母の作ってくれた着物)の裾がびしょびしょになったのを覚えている。

追い追い解読しようと思っているけれど、この他も祖母のことを詠った句が沢山あった。

2歳にして父を亡くした母は、祖母に対しては強い絆があったようだ。

祖父が亡くなったのは36歳で、その時祖母は32歳。

当時2、4、6歳だった子供3人を女で一つで育て上げた母親には、父親の部分も重なっていたのかもしれない。

優しい祖母だったけれど、その反面「片親なのだから泣くな、泣くと馬鹿にされる」と母にはよく言っていたという。

母はだから泣かなかった…と。

私も、母が泣いたところは、父方の祖母)が亡くなった時のほんの一瞬しか見ていない。

そんな強がりの母の胸の中にはいつも母親(祖母)が棲んでいたのかもしれない。

      

昨日は中秋の名月(十五夜)でした。

朝から小雨が降っていたので見ることは無理だろうと思っていたけれど、

午後から晴れてきたのでもしや見えるのではと、夜になって外へ出てみた。観えました。 

十三夜は後(のち)の月ともいい、十五夜から約一ヶ月後で毎年違う日になり、今年は10月29日になるそうです。

十五夜の月見は中国で行われていた行事で、十三夜の月見は日本独特の風習だそうで、十五夜に次いで美しいとされ、

十五夜だけを楽しむのを(片見月)といい、片見月は縁起が良くないとされるのでできれば両方見るのが良いとのこと。

この月は深まった秋に愛でる月(名残の月)などとも呼ばれ、中秋の名月より少し欠けているところが、哀愁を帯び、俳句のお題などに好まれるようです。

お月見は、豊作を祝う行事でもあり、ススキ・お団子・里芋・栗などをお供えするので、(豆名月、栗名月)などとも呼ばれたそうです。

なんだか美味しいお団子が食べたくなりました。

俳句って風流で奥が深いのですね。母さん…


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