気がつけば思い出Ⅱ

日々の忙しさの中でフッと気がついた時はもう
そのまま流れていってしまう思い出!
それを一瞬でも残せたらと...。

新しい眼鏡/こども植物園

2022年02月15日 | 日記

カランコエの一種(ベンケイソウ科)

おとといの日曜日(2月13日)新しく作った眼鏡を引き取りに行った。

新しい眼鏡

もうこれで、落とした(多分)眼鏡のことは諦めることにしよう。

失敗を引きずる性格の人は自分に自信が無く、人目を気にする傾向の強い人らしい。

当たっているかもしれない。でも、もう人目を気にする歳でもないだろう…から。

その日の天気予報では午後から雨か雪となっていたけれど、出がけの10時ごろは小雨だった。(結局一日雨で、雪は降らなかった)

中心街へ出るにはいつもはバスと電車(JRひと駅)を乗り継ぐのだけれど、

バスと市営地下鉄はシニアパスが使えるので今回はバスの乗り継ぎで行ってみようと思った。

退職してからは時間はあるので、その方が街の風景も見ることができて新しい発見もあるかもしれないと思っていたので…。

行き帰り利用したけれど、意外と時間がかからないことが分かった。

それに「へえ~こんなところにこんなお店が…」なんて気づいたり、案外楽しい。

 

バスは住宅街も通る。

住宅は家の代替わりを迎えているのか、1軒の庭の有る家が次々と2、3軒の庭の無い家に変ってきている。

だいたい、25坪に3階建て、一階が駐車スペースというのが最も多い。(隣との離れは1メートルくらいかな?ちょっと目ではもっと狭く感じる)

庭の無い理由は、土地代が高いというのが一番の原因だろうけれど、木や植物の世話をする時間と、それに費用がかかるということもあるのだと思う。

私自身も仕事を持っていた時には、水遣りの時間を作ることもままならず、マンション住まいに憧れたこともあった。

でも田舎育ちの私はやはり庭のある家が良いなと思うので、それが少しずつ減っていくのは仕方ないと分かっても寂しい。

  

昨日、またこども植物園に行った。それは市で管理してくれている広い庭だ…と思っている私。

前に行った時(1月26日)とはまた違う花が咲いていた。

見出し画像はカランコエ(温室)

みんなこのような立て札があるのでとても勉強になる。(流石にこども植物園だ。

ジコウニシキ・慈光錦(キジカクシ科)(温室)

ユウフォルビア フルゲンス(トウダイグサ科)(温室)

ノシラン(キジカクシ科)

大雪の花(スノードロップ)(ヒガンバナ科)

クリスマスローズ(鉢植え)

セツブンソウ(節分草)(キンポウゲ科)

とても可憐な花だったのでトリミングで拡大してみた。

福寿草。前に行ったときは蕾だったけれど、綺麗に咲いていた。

土の中から芽を出し、その先に花が咲く福寿草や節分草を見ると、

まだまだ寒い2月だけれど、足もとから春の訪れが始まっているのを感じる。

こども植物園に隣接する児童遊園地には紅白の梅がもうだいぶ咲いているとママが言っていた。

今度はそこへ梅の花を見に行ってみようと思う。

そろそろ私も炬燵猫状態から脱出しなければ...。

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母さんへ~電話ができないから手紙を書くね (^.^)/ ✉30

2022年02月09日 | 母への手紙

【行田八幡神社の花手水】

母さん、立春も過ぎましたが、まだ寒い日が続いています。

コロナもまだ続いています。3回目ワクチンのクーポンもまだ来ていません。

横浜市のHPで見ると、65歳以上は21日ごろ発送の予定となっています。

人口が多いからなのでしょうか。遅いです。

の会社では二度目の感染者が出たようですが「仕事が入っているから」と毎日1万人以上の感染者のいる東京へ行っています。

「印刷屋は納期を守ってのなんぼ!」とかいった昔ながらの考えは、コロナ禍でも変えられないのでしょうね。

それがいいか悪いか分からない昨今なのですが…高齢者にはかなりデンジャラスな行動なのは確かです。

もこの頃は自宅療養のコロナ患者さんに防護服の様なものを着てお薬を届けたりしているようで、その緊張感に疲れているようです。

ママの方がデンジャラスな職場かもしれません。

その上、子供たちも学級閉鎖などの不規則な授業で、仕方ないのかもしれませんが、普段は優しいママも何となくピリピリとしています。

本当にいつまでびくびくとした生活が続くのか…と思っています。

そんなわけで、近ごろ、あまり気の晴れない日々を送っています。

そんな中、昨日ちゃんが病院の帰りに寄ったからと写真を送ってきてくれました。

自分の故郷なのに他の方のブログで知った【行田花手水】です。

見出写真とこれは八幡神社の花手水(はなちょうず)だそうです。

どれも綺麗ですね!

特に花の無い冬の最中なので、ほっこりとしました。

たしか昔は無かったけれど、これはいいものを考えたなぁって思いました。

行田八幡神社(右下の方に花手水の鉢が見えます。)

幼い頃のおぼろげな記憶ですけれど、母さんと行田のどこかのお祭りか縁日に行ったことを思い出しました。

多分暮れだったような気がするので、愛宕神社の酉の市かもしれません。

屋台がいっぱい出ていました。

その時パン粉でくるんでないコロッケの様な形の、潰したジャガイモだけを油で揚げ串に刺し、ソースを塗ったものを買ってもらいました。

あのソースの甘い香りと美味しかったということは覚えています。食べ物の記憶って凄いですね!

あれは何という名前だったのでしょうか。今もあるのでしょうか?

母さんが生きていたら聞けるのにね!覚えていたらですけどね。

記憶力と言えば、この間、多分不注意の結果で眼鏡を失くしてしまいました。

私も歳のせいで記憶力低下、注意力散漫・・・つまりボケ、、がでてきたのでしょうか。

失くしたものへの損失感よりも「私もそろそろ機能低下か・・・」の焦燥感の方が強いです。

ちゃんはメッセージで「動物たちは意味とか考えないで一生懸命に生きているなと思います。」と言ってました。

私もそう思うので、これからボケが出てきたら出てきたで、あまり考えずうまく付き合うようにしていこうと思います。

も「今度新しい眼鏡が出来たら、チェーンか紐で結んでいれば失くさないですよ!薬局に来る患者さんにはそういう人が多いです。みんな老化とうまく付き合っているようです。」

って言ってました。ママって…薬局仕事で耳👂年寄りに加えて目👀年寄りにもなっているようです。

そんなわけで氣の持ちようというところでしょうか…そういえばこんなお守りを秩父で買いましたけどね。 

春になりコロナが落ち着いてきたら、お墓参りの後に八幡神社へ行ってみようかなって思っています。

そうやって待っていればもう少しで春になりますよね。母さん。

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失くしもの~眼鏡!👓(^0_0^)

2022年02月04日 | 日記

眼鏡を失くしました。

私は二つの眼鏡を持っていました。

ひとつは遠近両用(主に生活用)もう一つは近々両用(主にパソコン用)。

話は遡って、

日曜日(1月30日)夕餉の買い出しにといつもの通りバッグに財布、スマホ、眼鏡を入れて・・・としたところ、

ムムッ眼鏡が無いとなりました。

でも朝から家を出ていないので、絶対に家の中にあるはずと思い当たる所はすべて探す…けれどみつからない。

とりあえず買い出しをしないと夕飯が遅くなるのでパソコン用の眼鏡を持って出かけました。

翌朝、もう諦めかけましたが、「そうだ、の腕時計が無くなった時、意外なところから出てきた。」と思いだし、

全く入れた記憶がないのに【洗濯のピンチ入れ!】を見たところ、ありました。ありました。

これで一件落着と思えたのですが後日・・・

月が替わった水曜日(2月2日)

その日はママの仕事の帰りが遅く暗くなってからバタバタと買い物に出かけたけれど(孫達が居るのでママの帰った後に行こうと思っていたので)、

途中でスマホを出そうとして、眼鏡が無いことに気づきました。

忘れたと…その時は思い、何とか眼鏡なしで買い物をし家に帰って探し回ったけれど、無い。

今度はケースから無い。念のためピンチ籠も見たけれど無い。

最初に無くなった時は「似たもの夫婦ですね。」と言っていたも今度は「知るか!」と…ずいぶんの変りようです。

「私は仕事も辞め、コロナ禍で家に引きこもっているうちにとうとうボケてきたのか?」

と…その日は仕方なく悶悶とやり過ごすしかありませんでした。

翌朝、昨日(2月3日)

ケースごと無いということは、やはり道で落としたのだと思い歩いた道を丁寧に見て回りました・・・が見つかりませんでした。

とりあえずはパソコン用で何とかなるけれど、それは近々両用なので視界が狭く、とても疲れます。

そこで意を決して、眼鏡を新調することにしました。

本当はだいぶ見づらくなってきていて、今回のコロナ・オミクロン株の波が下がって来たら眼鏡屋さんへ行こうと考えていました。

(それが少し早まったということ、そして不要不急でなく急を要すること)と思うことにしました。

近くの眼鏡屋さんでもいいかとチラっと思ったけれど失くした眼鏡のデータが残っている所がやはりいいのではと思い、

電車とバスを乗り継いでデパートの眼鏡屋さんへ行き、いろいろと測って貰い注文してきました。

やはり老眼度数が2段階くらい進んでいたようでした。

出来上がりは10日後だそうで、また行くことになりましたが、それもいいかなとふと思いました。

出かけるって、普段と違うことをするということに気づきました。

軽く化粧をした。服を選んだ。指輪とブレスレッドを付けた。ブーツを履いた。

バス、電車に乗る。歩く。

でもそれは、通勤している時は毎日のようにしていたことで、楽になったと言えば楽になったのですが、

退職して1年半経ち、化粧も服も靴もどうでもいい、まして装飾品などはお蔵入りでした。

バス、電車に乗る回数は減り、歩く距離も減っています。

物忘れをするということについてにこんな記事がありました。

※【CanCam.jp(キャンキャンライフスタイル)】より要約。

①疲れている。疲れていると注意力が散漫になる。

確かに!でも今は疲れているほどいろんなことをしていない私です。加齢で注意力が散漫?

②スピリチュアルな考え方もある。

なくし物が不幸を身代わりにしてくれる。厄を落とすということで、心機一転の前兆とも考えられている。

そんな大袈裟ではないけれど、長い目でみれば、出かけることも健康のために(精神面も含めて)必要だということを教えてくれたような気がします。

この事件(?)無ければ出かけることは有りませんでした。

③パートナーとの関係が試されている。

との微妙な関係?

これはまあお互い様ってところでしょうか?

自分だってこの間、車をガードレールにぶっつけて、修理代27万もかかってしまったし(保険で5万になったけれど、そのかわり月々の保険代が上がるらしい)

それから比べれば私の眼鏡代なんて…と…同じくらいかかるので言えないけれど…。

2人とも加齢のせいだとしたら(そんな歳になっているのだと)心しておく必要があるのではないかと👓を失くしていろいろと思う私でした。

でも強いて選ぶとしたら、②でしょうか?。②と思いたいのですが・・・

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