夜9時30分、
子供は布団に入って寝なければならない時間。
私が幼稚園の頃(昭和40年頃)、
周囲に住んでいた人々がたまたま早寝早起きだったのかもしれないが
子供は早く寝るのが当たり前で、いい大人もそれなりに早寝する時代だった。
朝も大袈裟ではなく皆が新聞配達できるほどの時間に起きていた。特に、
うちの親父はやたら早寝(夜8時頃就寝)早起き(朝3時過ぎ起床)だった。
子供は日が暮れると家へ帰り、大人は夜が明けると目が覚める。
昭和の頃、それが普通だった気もする。親父は仕事から帰ってくると
すぐに風呂に入った。約10分 “カラスの行水” である。風呂から出ると
晩酌をしながら夕食を摂る。晩くても8時には食事が終わり寝床につく。
以前にも語ったが、
当時は8畳一間のバラックでの生活 ・・・ 悪辣な環境であった。
炊事場・風呂場・便所はすべて屋外(家の中には手を洗う水道すら無い)。
それらはそれぞれ違う場所にあり、そこまでは屋根もなく外灯も無い。
雨の日は傘をさして、夜には懐中電灯を持って移動しなければならない
生活環境だった。( もう今はあの生活はできないと思う ・・・ )
我が家の炊事は約15m離れた飯場の炊事場を使っていた。
炊事場には水道やガス(プロパン)はあるものの、冷蔵庫や電子レンジ
など有るはずもない。当然、冬場に蛇口を捻っても水しか出てこないし
夏場に冷たいものを飲みたいと思っても冷蔵庫は無い。その炊事場で
お袋は朝早くから若い衆と家族の朝食と弁当を作っていた。若い衆の
朝食はその炊事場の大きな台(テーブル)に用意し、家族の分は、毎回
部屋のちゃぶ台まで運んだ。朝も夜もである。今思えば、お袋の家事は
大変だったろう。
子供の私が嫌だったのは、夏夜の暑さと冬夜のトイレだった。当然、
エアコンなど無い。トタン張りの家に真夏の太陽は容赦なく炎熱を届け
夕方の西日が追い討ちをかける。その熱気は夜中まで畳に残っていた。
扇風機も無く、隣接する工場の音と臭いで窓ガラスすら大きくは開けれず
蚊帳(カヤ)と蚊取り線香と団扇(うちわ)で過ごした昭和の夏夜である。
幼い私は我慢ができず、毎晩のように愚図った記憶がある。そのたびに
お袋が団扇で扇いでくれた記憶も ・・・ 。また、冬になると、時々夜中に
トイレに行きたくなることがあった。しかし、行きたくても外は真っ暗。しかも、
トイレには電気(電灯)が無かった。幼稚園の頃の私が一人で行ける状態
ではなく、必ずお袋を起こす。“何で寝る前に行っとけへんかったんや?”
とお袋は小言を云うが、寝る前どころか、冬場は夕食時間には、もう外は
すでに真っ暗だった。夕食前に行ってからずっと我慢をしていたのだ ・・・ 。
こんな状態、今の時代の子供たちには想像できないだろう。
もちろん、私の子供に話してもピンとこないようであった ・・・ 。
その頃、私は夜9時前には寝ていたのだろうか。横で親父も寝ていたかも
しれないが、一間(2畳の布団部屋が別にあったが物で一杯)しかない家で
子供を寝かすために早寝していて親父の早寝が癖になったのか、それとも
仕事が朝早いので元々早く寝ていたのかは定かではない。
( ただ、76歳になった今でも親父は早寝早起きであるが ・・・ )
そんな親父も週に一度、少し遅くまで起きている日があった。
たぶん金曜日の9時半から放送されていた 『ザ・ガードマン』 のある日。
高倉キャップ(宇津井健)率いる東京パトロールという会社(現セコムがモデル)
を舞台に犯罪と事件から市民を守るガードマンたちの奮闘を描いた作品。
当時はまだ発展途上だった警備保障会社をテーマにしたドラマで、主人公
たち7人のチームは制服でなく私服で広範囲に行動するという内容だった。
私は寝たフリをして布団の中から薄目を開けて見ていた。何故か、
ワクワクドキドキしたものだ。それはサスペンスの部分ではなく、大人の
俳優陣のシブい顔つきや海外ロケでの外国(特に冬の欧州)の風景、
あるいはCM(サントリーウイスキー)が大人世界の雰囲気を醸していたのを
こっそりのぞき見しているという罪悪感にも似たスリルだったかもしれない。
今でも “ボンボン シュビッ シュビッダバァ~♪ ドュダッ ダッ ダ~バワァ~
ウ~ッ ウォ~ッ♪” というCMソングのメロディーが脳裏を離れない。
丁度、
部屋の電気(照明)を消して私が寝たフリをしてガードマンが始まる
9時半前になると、遠くから “ちゃらり~らら♪ちゃらりららら~っ♪”
とチャルメラの音色が聞こえてくる。そして、段々近づいてくるのです。
きまってその時間帯にやって来る。(週に2~3日来ていたと思う)
そうです! 「夜鳴きそば」 の屋台のおっちゃんです。
親父が云います。 “おい、そば食べるか?”
私は寝ていたような顔をしつつ答えます。 “うっ、うん!”
お袋が云います。 “もう夜中やのに ・・・ ほんまに食べるの?”
結局、パジャマの上に袢纏を羽織りお袋と買いに出ます。
家の鉢をおっちゃんに渡し、“二つちょうだい!”
鉢を持っていた手が冷たく、口に当ててフーッと息を吹きかけると
蒸気機関車の煙のように真っ白に広がります。それを見て
おっちゃんが云います。 “できたら、家へ持っていきまっさ!”
冬の夜は、この 「夜鳴きそば」 に限ります。
私の中では、
イメージとして、昭和の風情として、チャルメラを吹きつつ
このリヤカータイプでやってくる 「夜鳴きそば 」 こそが屋台でした。
そして、
「ザ・ガードマン」 を堂々と見れる唯一の言い訳でもあったのです。
今なら、
究極の美味しいラーメン屋さんがあります。
また、ウソみたいにお洒落なラーメン屋さんもあります。
オールナイトや車で移動するラーメン屋さんもあります。
チャルメラも録音していい音でオーディオから流れてきます。
豊富で便利な時代ですが、何となく寂しいと感じるのは、
私と同年代以上の方々でしょうか ・・・ 。