ラグの「素直に生きれば人生は楽しい」

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通い詰めた駄菓子屋

2007年09月06日 | 昭和懐古


昔、港町の飯場で暮らしていた幼い頃(3~10歳)、
よく近所の 「お菓子屋(駄菓子屋)」 へ通ったものです。
私世代では 「駄菓子屋」 という言い方が一般的かもしれませんが、
私が育ったこの港町では、何故か 「お菓子屋」 と皆が呼んでました。





家の前の産業道路を越え、貨物列車の線路を渡り、鉄柵を越え
人家の廂間を抜けたところに、この町唯一のお菓子屋はありました。
そこは普通の民家で、玄関の引戸を開けると2畳ほどの土間があり、
その土間から右手にガラス扉のある部屋への上がり口に台を置き、
駄菓子が並べてあり、その向こう側におばあさんが座っているという
お店でした。たしか、「ヤノ商店」 という屋号だったと思いますが、
店前に看板がある訳でもなく、漢字だったかカタカナだったかさえも
記憶にありません。たぶん、苗字が 「やの」 さんだったのでしょうね ・・・。

幼稚園前には、五円玉を握りしめてお菓子を一つ買いに走り、
小学校に上がった頃には、毎日、十円玉を持って 「当てもん」 をやりに
よく通った記憶が蘇ります。ノスタルジックな昭和の想い出なのですが、
今でも鮮明で、しかも、その当時の周囲の情景も併せて思い出せるのは
自分自身も驚きです。特に、色や匂いです。写真に残すと時代背景から
ほとんどがセピアな部分ですが、どこか輝きのある時代でした。

私が好んで買っていたのは ・・・
「糸引き飴」 「セロ巻ラムネ」 「ココアシガレット」 「串カステラ」 「ヨーグル」
「粉末ジュース」 「ウエハー&チョコブラシ」 「サイコロキャラメル」 「笛ガム」
「さくらんぼ餅」 「むぎチョコ」 「カレーあられ」 「すこんぶ」 「スティックゼリー」
「ぬり飴」 「麩菓子」 「コインチョコ」 「黒糖」 「ニッキ」 「ピースラムネ」 等々
ですが、まだまだあり、想い出のお菓子を挙げればキリがありません。
小さなオモチャ(自動車や飛行機のミニチュアなど)やアニメのシール(鉄人
28号、狼少年ケン・・・)などのおまけ付きのものや 「当てもん」 が目的で
お菓子屋へ通い詰める毎日でした。

そんな時代のその頃、そこそこハマッていたのが、「型抜き」 です。
今でもお祭りの屋台などで出しているところがあるかもしれませんが、
少し硬めのガムのような素材(餅粉と砂糖)で電車の切符のような形をしていて
食べられます。表面に絵柄(飛行機やペンギンなど)が少し彫りこまれていて、
その形を壊さず抜けたらその絵柄に応じた景品がもらえるというものでした。
一つ買って、友達と一緒に空き地に転がっていたドカン(土管)の上で必死
になってよくやりました。冬場、しもやけになりかけた手や鼻水をすすって
汚れた手で、ちょっとずつちょっとずつ壊していきます。まず、直線ラインの
簡単な部分は勢いよく “パキッ” と割り、取れていらない部分は口へ入れます。
複雑なカーブや小さな凹凸部分は、子供ながらに慎重に割っていきます。
“もうちょい!” “あ~ぁ、割れてしもた”  と大はしゃぎでした。友達が一緒じゃ
ない時は、家へ持って帰ってお袋に縫い針を借りて削りながら抜いていきます。
壊さず抜けたら、即、「ヤノ商店」 へダッシュです!

やっぱり子供の頃は、当たり付きとか何かがもらえるというのは嬉しいもの
ですよね。( まあ、大人になっっても嬉しいですが ・・・  )



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