ラグの「素直に生きれば人生は楽しい」

主に人生の歩き方について「人生お弁当箱診断」など
以前のブログ名:和色ムーブメント

動物園で想い出すこと

2008年05月08日 | 昭和懐古


「姫路菓子博2008」 の会場は、
姫路城天守閣の東側と北側になっており、姫路市立美術館・県立歴史博物館の
敷地も使われています。菓子博の入場券には 「姫路城・好古園の入園料50%
OFF」 の半券が付いていました。動物園(姫路市立動物園)は会場の通路?として
使われていて入園無料。ということで、久しぶりに懐かしい動物を見て歩きました。





“姫子” は 「ゾウ」 の名前です。今の姫子は2代目のようです。
初代は15年位前に亡くなったそうです。初代の姫子には少し想い出があります。

私は高校生の頃、「姫路中央卸売市場」 内の仲買卸し(青果)の店で、
登校前に(朝6時前から8時過ぎまで)アルバイトをしていました。市場内の
アルバイトの多くはパンチパーマのヤンキー高校生です。それぞれ学校は違い
ましたが、“一癖二癖ワケ有り” なヤツばかりです。私も “一癖” あったかも
しれませんが、“ワケ有り” ではありませんでした。ただ、原付を買うお金を ・・・

それぞれの仲買の店に品物を買いに来た小売さん(八百屋さんや魚屋さん)の車
までその商品(荷物)を運ぶことが高校生アルバイトの仕事でした。市場内の狭い
通路を通称 “ねこ” と呼ばれる手押し(手引き)車で荷物を運びます。慣れるまで
あちこちぶつけ荷物を落としたりします。ベテランの域になれば荷を山ほど積んでも
まるで 「岸和田だんじり」 の “やりまわし” さながらのコーナーリングで進みます。

市場内には仕事場としての活気があり、高校生でもある意味、大人として振舞える
部分もありました。学校では求められない(得られない)自主性や責任感、あるいは
優越感といった感覚がありました。私はそんな “朝の大人な空気” が好きでした。
たぶん、アルバイトをしていた多くのヤンキー学生はそれに飢えていたのでしょう。
私の高2から高3にかけては、学校より市場中心の生活だったかもしれません。
【朝】市場バイト → 【昼】 学校・部活 → 【夜】 教習所 という過密なスケジュール
で生活していました。

高3の秋、受験に備えて市場でのバイトを辞めました。しかし、大学受験は見事に
全滅。とりあえず浪人生活 ・・・ 神戸の予備校へ通いました。が、授業に出たのは
最初の数日だけ。勉強をする意味が見えなくなっていた私は、毎日、神戸の繁華街
を徘徊する日々。( まあ、この時期の経験が後々プラスになりましたが ・・・ )

大学進学を諦めて、専門学校へ進むことにしました。もちろん、これは口実です。
“大阪へ出て何かやってみたい ・・・” が本当の目的です。それまでの期間、
市場でアルバイト(レギュラー勤務)をさせてもらうことにしました。商品やお客様の
顔など意外と物覚えが良かった私は、違う店からも誘いを受けるほどでした。
この市場での商品の目利き、お客様の名前や性格も含めた好みを憶える、
周囲の人とのコミニュケーション等々、今の仕事に大いに役立っていることは
間違いありません。

朝は、5時前に入ります。「せり」 が終わると、競り落とした品物が店頭に届く前に
小売さんから注文が入ったりします。親方は頭でソロバンを弾いて、商品に売値を
付けます。品物を見ずに注文する小売さんは、親方との信頼関係で買値も任せて
います。店頭で商品を見て買うかどうか見極める小売さんは、他の店も見てきて
いますので、当然、駆け引きがあります。「目利力・分析力・折衝力」 が必要です。

私と高校生アルバイトとの違いは、いかに状況を把握して自分がスケジュールを
組み立て、高校生に指示して無駄なく動かすかです。当然、廻る順番を考えて荷を
積むことやどの道を通るかといった細かい指示で時間に差が出ます。同じジャンル
の商品を扱っている仲買卸しの店は数店あります。スタッフの連携で必ず他店との
差が出ます。頭を使って組み立てて指示を出し、無駄なく体を動かして少しでも早く
間違いなく配達を終えるといった連携です。そして、最も重要なのは、お客様が
求めている商品やサービスをいかに提案・提供できるかです。飲食業界の基本と
全く同じです。

話が昭和(プライベート)から平成(仕事)に進んでしまいました。元へ戻しましょう。
朝5時前から夕方まで勤務していました。市場店舗内での商品の出し入れは
10時頃には落ち着きます。その後は、片付けや明日の用意は当然なのですが、
それ以外に配達や袋詰めなどがあります。小売さんが車に積みきれなかった
商品を配達します。特に、個人経営だが大きな店舗を持っている社長さんは、
朝一で持って帰る商品が積める程度の軽トラなどで来場します。後は、店側が
配達します。

大きな八百屋さんや小さなスーパーへの配達は、ほぼ毎日ありました。そして、
漬物屋さんには毎日、白菜を 2t トラック満載で2往復することもありました。
スポットでは月に一回程度、加古川交通刑務所への配達もありました。それから、
動物園への搬入です。これも月に一度か二ヶ月に一度程度でしたが、サツマイモと
リンゴをトラックに載せて動物園内の象舎まで運びます。写真にある 「姫子の家」
の右側にある扉から入るのですが、先代の姫子は気性が激しく、鼻ですくった砂を
私に向かって “早くエサをくれ!” とばかりに投げつけてきます。初回は知らずに
行った為、ほっぺたにクリーンヒットしました。

まあ、今では懐かしい昭和の想い出ですが ・・・ 。





子供の頃、何よりも 「カバ」 が嫌いでした。
忘れもしません。幼稚園に入る前年の春、親戚・仕事関係の家族一同で姫路城へ
花見に行った時、横手にある姫路動物園に連れて行かれました。幼い頃、人一倍
怖がりだった私は、トラやライオンなど猛獣を避け、ゾウやキリンの前に行こうと
しました。動きがゆっくりしている動物には怖さを感じなかったのかもしれません。
( ただ、なぜか小動物よりも大きな動物に興味 !? があったようですが ・・・ )

この時、カバを初めてLIVEで見ました。水の中から顔を半分出していました。
少し好奇心が湧いて柵の間から覗き込んでいました。すると、何を考えているのか、
親戚のおじさんが私の体が落ちそうなほど柵の上まで抱え上げました。次の瞬間、
カバは大きな口を開いてジャンプ?して私の顔に急接近してきました。私は恐怖の
あまり声が出ませんでした。オヤジやおじさんたちは大笑いです。その笑い声を
聞いて私は “大泣き” でした。

これが原因でしょうか、未だに、“高い所” と “カバ” が苦手です。



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