ラグの「素直に生きれば人生は楽しい」

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北京オリンピック開幕

2008年08月10日 | 楽時々益


『 北京オリンピック ( BEIJING 2008 ) 』 が無事?に開幕したようですね。





開会式での選手入場前セレモニーの内容に賛否両論が持ち上がり、あるテレビ
番組では、大国のおごりや共産主義の引き締めの為に使っているなどの見解を
述べられる方もおられました。常々、“スポーツを政治の道具にしてはならない!”
といった論調を示している方だけに、スポーツの祭典に対する感想を求められて
の発言としては、“どちら(誰)がスポーツに政治を持ち込んでいるのか?” と
逆に言いたくなる向きもあります。もう少し、スポーツと政治を素直に切り分けて
ポジティブな視点で観ることも大事ではないでしょうか ・・・ 。





確かに、今回の聖火リレーのあり方など一連の流れやプロセスを見る限り、
「平和の祭典」 と呼ぶには無理があることも事実ですが、政治的策略を除いた
見地で、中国がこのオリンピックを成功させたいという姿勢を示していることを
素直に評価することから始めないと、それこそ 「平和の祭典」 など、今の世の中、
どこにも生まれようのないものとなってしまうのではないでしょうか ・・・ 。

とにかく、私は開会式の制作指揮に当たった映画監督チャン・イーモウ氏の
センスの良さにまず拍手を送りたい気分です。今までのオリンピックには無かった
大胆かつ繊細なオリジナリティーが散りばめられた表現手法だったと感じました。
もちろん、中国という歴史ある大国の色濃いお国柄がベースにあることも事実
ですが、その長い歴史色と振興著しい現在色のセッションに心惹かれました。
( 今、日本に一番足りないもののような気がします )





羽織袴や着物を着て、刀まで携えて行進してほしいとは思いませんが、
自国の民族衣装やカラーを身にまとい行進している他国の人々を見ていると、
“なぜ、日本人は日本らしさを隠したり減らしたりしているのか?” という疑問に
ぶつかることがあります。季節を考えれば、暑苦しい他国ブランドのスーツを着る
より、浴衣地などの日本素材のオリジナルスーツで、胸ポケットに 「侍」 という
漢字の刺繍でもあしらえば、外国人選手から羨ましがられること間違いなしです。
( まあ、私のこの感覚は飛び過ぎてズレているかもしれませんが ・・・ )

要は、“日本らしさ” の新しい表現を高めなければ、一層、世界の人々から
“人マネの上手な国” という評価で終わってしまうような気がします。
もっと、積極的に! もっと、主体的に!! 自国の表現を ・・・





柔道女子48kg級の 谷亮子選手は3連覇ならず 銅メダル でした。
柔道男子60kg級の 平岡拓晃選手は あっさり 2回戦敗退 でした。

私は柔道の経験はありませんので、偉そうなことを言える立場ではありませんが、
特に、ここ十数年のヨーロッパやアメリカ大陸など他諸国の柔道を見ていると、
“これが柔道?” という内容の選手(国)が多く、オリンピックや世界選手権などの
大きな大会までもが、「ポイント制で勝つことを優先」 を師事するきらいがあり、
柔道着に始まり、畳、技の判定基準など大きく変わってきたように思います。

もちろん、多くの選手が公平に競技できるように、悪いところや不都合な要素を
改善すべき部分は改善することは大事だと思います。ただ、柔道がスポーツで
ある前に、「武道」 であるということをなぜ、日本はもっと強く言えなかったのか?
・・・ どうしても、そこに疑問というか、日本人としてイライラが芽生えます。
( 試合を見てると余計ににストレス溜まります! )

そんな中、日本人選手は本来の組み合って技を決めるという自分たちの柔道が
正しいと思いつつも、結局、“勝つため” に、外国人選手に合わせているような
流れが続いています。たぶん、このままでは柔道に魅力を感じない日本人が
増えるのではないでしょうか。今一度、日本は “どういう柔道を目指すのか” を
考えるべきではないでしょうか。

谷選手の負け(指導1つ分)も、試合時間残り1分を切って、組み手争いで指導を
受けたわけですが、日本人からすれば、不可思議な判定であったことは事実です。
ただ、過去にも、篠原選手の判定など不可思議で納得し難い判定があったことは
承知の事実です。今更、審判の顔を見ても遅い!ということになります。と、すれば、
なぜ谷選手は組まなかったのか? ・・・ 組めなかった!・・・ 確かにそうだったかも
しれませんが、それでは勝てませんよね。もっと言えば、自分の納得できる柔道
には近づかないのではないでしょうか ・・・
( 3位決定戦での柔道をなぜ初めからしなかったのか ・・・ )

簡単な話、組み手争いは放棄して相手に先に組み手を与える。というところから
勝機を見出すような創意工夫の柔道が日本には必要なのではないでしょうか?
5分しかない試合時間のほとんどを組み手争いに費やし、一向に技を掛け合う
という格好にはならない。やっている選手も見ている観客も何が楽しいのか???
本来の武道としての柔道、日本人が望むような柔道で、ブレずに血気盛んに
勝負できる新しい柔道家の出現を期待したいものです。
( ポイントを計算するより、自身の技を磨き、大技を仕掛けようぜ! )



■ 楽時々益 ■

“好きこそ物の上手なれ”
上手になれば好きになれるかも ・・・
いや、好きだから上手になりたい!
そんな素直な気持ちを持ち続けたい
上手になっても嫌いになれば意味がない
好き!楽しい!がベースにあってこそ
益もあるものである

第五大成丸



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