10月4日、新垣師範が広島に来られた。
私は、広島空港までお迎えにあがり、
夕方6時過ぎから、改めて、個人指導を
して頂いた。
あの、空手界の常識を覆し、今や、組手のスタイルまで
変えてしまった程の主張をされる、空手界では、
知る人ぞ知る新垣先生が私の目の前で、私の為だけに
指導して頂けるのは、何とも不思議な思いであった。
私はかねがね、新垣師範の本を全て熟読し、
自身の空手スタイルを5年掛けて変えてきた。
そして、それは明らかな結果をも伴っていたため、
私は自身の空手が、すでに古流の沖縄空手に至っているのではないか
とすら思っていた。
しかし、それは私の完全な思い上がりであった。
私のやってきた空手と、新垣師範のそれとはまるで別物であった。
いや、あえて言わせてもらえるのなら、
方向性は確かに間違っていなかった。
しかし、その厳しさたるや、私が今まで追求していたモノとは
まるで格が違ったのだ。
それは、針の先ほどの無駄をも排除した動き、
その上、全てにかかる力をその技に変換させようとする為、
およそ無理があるのではないかと思われる体勢を
訓練によって、創り上げて行くのだ。
そして私は思った。
「甘かった・・・。かくも足を上げるということは難しいモノか・・・。」
この言葉は、体験した者でしか分からない。
知らぬ者が聞いたら、何をたわけたことを言っているのかと思われるであろう。
しかし、これこそが今回の指導を受けた心からの感想なのである。
また、私の追求してきた「ガマク」
これも全く別物であった。まこと沖縄空手とは奥深いものであった。
だが、今まであこがれでしかなかった古流沖縄空手が
確かな目標に変わった瞬間であった。
以下つづく。
私は、広島空港までお迎えにあがり、
夕方6時過ぎから、改めて、個人指導を
して頂いた。
あの、空手界の常識を覆し、今や、組手のスタイルまで
変えてしまった程の主張をされる、空手界では、
知る人ぞ知る新垣先生が私の目の前で、私の為だけに
指導して頂けるのは、何とも不思議な思いであった。
私はかねがね、新垣師範の本を全て熟読し、
自身の空手スタイルを5年掛けて変えてきた。
そして、それは明らかな結果をも伴っていたため、
私は自身の空手が、すでに古流の沖縄空手に至っているのではないか
とすら思っていた。
しかし、それは私の完全な思い上がりであった。
私のやってきた空手と、新垣師範のそれとはまるで別物であった。
いや、あえて言わせてもらえるのなら、
方向性は確かに間違っていなかった。
しかし、その厳しさたるや、私が今まで追求していたモノとは
まるで格が違ったのだ。
それは、針の先ほどの無駄をも排除した動き、
その上、全てにかかる力をその技に変換させようとする為、
およそ無理があるのではないかと思われる体勢を
訓練によって、創り上げて行くのだ。
そして私は思った。
「甘かった・・・。かくも足を上げるということは難しいモノか・・・。」
この言葉は、体験した者でしか分からない。
知らぬ者が聞いたら、何をたわけたことを言っているのかと思われるであろう。
しかし、これこそが今回の指導を受けた心からの感想なのである。
また、私の追求してきた「ガマク」
これも全く別物であった。まこと沖縄空手とは奥深いものであった。
だが、今まであこがれでしかなかった古流沖縄空手が
確かな目標に変わった瞬間であった。
以下つづく。