私塾 成趣館

広島県東広島市の古流沖縄空手道場。稽古日は火・金。幼年部5時~少年部6時半~一般部8時~10時。(木)7時半〜中高生の部

素直さとは何か?

2012-11-19 10:25:33 | 教育
ちょっと考えてみました(・ω・)ノ

こういう言葉をよく聞く、「素直な子ほどよく伸びる」
しかし、私はこの言葉に対して懐疑的である。寧ろ嫌いですらある。
この時の素直とは一体誰に対して素直と言っているのであろうか。
私の経験、肌で受ける感覚としては、「俺の意見に対して素直な子ほどよく伸びる」と言っている人が多いのではないかと感じる。
本当の素直さとは、自分の気持ちに素直なことではなかろうか。
自分の気持ちを押し殺して、相手の意見を「素直に」聞いたところで本人にとって良いことであろうはずがない。

小学生の時、先生に怒られたことがあった。しかし、私は先生に対してかたくなに自分は間違ってないと主張した。実際にそう思っていたし、先生の言うことに納得出来なかった。
すると先生は「礒部くんはもっと素直な子だと思っていた、先生は素直な子が好きだ」と言って立ち去った。
私は非常に違和感を持った。
自分は、自分の気持ちを素直に主張したのになぜ、素直でないと言われるのだろうか。

結局あの「素直さ」とは「俺の言うことを聞け」と言っているに過ぎなかったのではなかろうか。
これは特段その先生が酷い先生であったわけではなく、寧ろ生徒に対して思いやりを持った先生として評判ですらあったし、私もそう思っていた。

そんな先生ですら素直さという言葉について、深く考えることなく使っているというのが現状ではなかろうか。
生徒が、反抗する、言い訳をする、文句を言うということは、何か本人の立場で自分としての主張を「素直に」しているということではなかろうか。
だから私は子供たちが文句を言ったり、言い訳をしたり、反抗をしたりすること、それ自体に対して怒ることはしないようにしている。
その時こそ本人の言いたい「素直な」気持ちが出てきているのではないかと、私はそう愚考しているのです。
そして、それに対してどう対応するのかが指導者としての重要な役割ではないであろうか。それをせずに、文句を言わずに、ただ言うことを聞け、というのは指導者の傲慢にほかならないと考えるのです。

指導者とは読んで字のごとく、ただ指し導くだけなのです。進むのは本人であり、首根っこ掴んで強引にひこずっていくことはあってはならないのです。
自分で考え、自分で行動し、道を切り開いていく人間は、自分が納得していないのに人の意見に素直であってはいけないのではないか。
自分が正しいと思えば納得いくまで主張したらいい。
主張させないというのは、ただ他人に追従するだけの人間を育ててしまうのではないかと考えるのです。
確かに指導者がいる時はその方が良い成績を修めたり良い結果を出せたりするとは思います。
しかし、それでは一人立ちしたとは、とても言えないし、伸びしろを潰しているのではないか。
これこそ、リーダシップなき日本の所以ではないでしょうか。

これから世界はどんどん広がっていくのです。国と国との関わり合いも増えていくことでしょう。
そんな時代に、私は、子供達に小さくまとまるのではなく、大きくダイナミックな人間になってもらいたい、その思いで「素直さ」という意味を考えてみました。

終わり(=゜ω゜)ノ