バルちぁんの徘徊 (М78星雲)

バルちぁんの「自己満足・自己陶酔・妄想徘徊」

ふたたび京都

2009年04月12日 20時19分04秒 | 思い出(出来事)
歴史の闇から聞こえる「異端の歴史」

大嶽丸の首、玉藻前の死骸、酒呑童子の首が納められている平等院。
学芸員に訊ねたら「たしかに幽霊の首」の話は聞いたことがありますが「そんなことに研究の時間は使えない」らしい。

対岸から鳳凰堂を眺めるのが正しい見方、池のこちら側が此岸(俗世)、鳳凰堂がある側は彼岸(来世)という設定で鳳凰堂そのものが極楽浄土という見立てである。
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