和尚の大和路

和尚が撮った大和路写真を中心に、
旅で見つけた写真なども・・・

吉野川分水1

2011-01-28 04:29:00 | カメラ
今、和尚は期間限定で
吉野川分水にかかわる仕事をしています。
吉野川分水をもっと一般に知ってもらうべきある企画の一部を
地図を通して調査をしています。
吉野川分水の地表に現れた部分を
畦道を踏みながら写真などを撮っています。

大和平野は古来から水不足に悩まされて来ました。
『大和豊年米食わず』と言われて来ました。
大和平野が豊作であれば、
他の地区(大和平野以外)が水害に悩まされ、
凶作になるという意味です。
逆に言えば他の地区(大和平野以外)が豊作であれば
大和平野は干ばつに悩まされることになります。

そこで大和平野の人々が目につけたのが
吉野川(紀ノ川)の水利用です。
具体的には吉野川の水を分水して大和平野に引く(流す)ことです。
この計画は江戸時代の元禄年間から始まり、
300年を経て実現しています。
具体的な計画は戦後間もない頃からで、
完成まで40年近くかかっています。

現在の大和平野の生産は
この吉野川分水と切っても切れない関係にあります。

大和路撮影が出来ていないので、
当分この吉野川分水のお話を続けたいと思います。

次回は吉野川分水がどこに流れているかを
実踏を通じてお話しします。


下渕(大淀町)頭首工(水の取り入れ施設を頭首工〈とうしゅこう〉といいます)


取り入れ口

黄色のところから大和平野に引いています。


ある情報

サクラで有名な永久寺跡です。
埋め立てていますが、全部は埋めないそうです。