4月13日(雨)、予定どおりフェリーが泉大津から九州に向けて出港しました。(阪九フェリー)
かなり大きな船です。フェリーいずみ(1,5万t)

新しくてホテルの中にいるみたいです。.
安く上げるために大部屋に寝ました。
昔の大部屋と違って、
バケツみたいな灰皿もありません。
禁煙で定員以上の詰め込みはありません。
この時は12人部屋で7人がゆったりでした。



夜の就航なので、寝るしかないのですが、
瀬戸内に架かる橋を通過する時間の案内があります。
明石大橋 18:35
瀬戸大橋 21:40
来島海峡 0;00
起きられるかどうか?
明石大橋と来島海峡を通過する時、起きていました。
残念ながら瀬戸大橋の通過時は寝ていました。
明石大橋







来島海峡

真夜中です。撮れていたのはこの一枚だけです。
4月14日(曇り)
6:20 予定通り到着です。
国道10号に出て、ひたすら南下します。
福岡県内は今のところ立ち寄る予定がありません。
苅田町、行橋市、築上町、豊前市などを通り過ぎれば大分県。
中津市です。
中津と言えば福沢諭吉ですが
中津から揚げが有名?
NHKのドラマで黒田如水の中津城が注目をあびました。
お城が好きな和尚さんは
中津城に行かない訳には行きません。
経過報告の中で3大水城を中津城、高松城、津城と書きましたが
読者の指摘により中津城、高松城、今治城が正解なようです。
中津城は中津川を利用した水城です。
黒田氏と中津の関係はせいぜい1600年までです。
黒田氏は関ヶ原の戦いの功労で福岡に移ってしまいます。
後、細川氏(後に熊本へ)、小笠原氏、奥平氏へと続きます。
単純に高い所からの景色を眺めるのが好きな和尚さんは
古文書やら甲冑などの遺品は分からんから興味がありません。
天守閣に立って、ええなー、ハイ終りです。



水城のイメージがわくかしら。

右が中津川です。河口にありますので、満潮時は水位が上がります。
石積みの違い

右半分が黒田時代のもの、左半分が細川時代のもの。
この積み方は・・・きれいですね。

お城を探すのは簡単です。
辺りを走っていて、キョロキョロしますと目に入ってきます。
宇佐の方面に行こうと、中津市内を走っていたら
赤い壁のお寺がありました。

たまたま写真を撮って後から調べれば・・・。
黒田官兵衛がこの寺にいた宇都宮氏を襲撃した時の血のりが消えなくて
赤色に塗ってしまったと言う合元寺(赤壁寺)であることが分かりました。
福沢さんを忘れてはいけません。
福沢さんとの関係が保たれない和尚さんは
野口さんに好まれているようです。
中津城にほど近い場所に福沢諭吉旧居があります。
福沢諭吉についてここで説明する必要はないでしょう。




これだけは書いておこう。
和尚さんは若い時の諭吉さんに会いました。
離れに土蔵があり、覗いて見ると諭吉さんは
スーパーカブでよう来たなーとおっしゃった。
論語を読んでおられたようです。

余談ですが福沢諭吉が一時大坂の適塾の塾長をしていたことがあります。
適塾と言えば緒方洪庵です。
このブログは写真を撮る人が多く訪れるのですが、
全日写連の役員をしていらした緒方さんは緒方洪庵の子孫であると聞きました。
さあ、宇佐神宮に行こう(つづく)
実はこの更新はネットカフェで画像を持ち込んでしています。
帰ってきてからの画像です。
御所の高天原に山野草の植物園があります。
高天彦神社の南です。〔300円〕
エビネ蘭が多いです。








クリンソウもあります。

すずらんもありました。


安田の里にも行っています。


もちろん室生湖にも

かなり大きな船です。フェリーいずみ(1,5万t)

新しくてホテルの中にいるみたいです。.
安く上げるために大部屋に寝ました。
昔の大部屋と違って、
バケツみたいな灰皿もありません。
禁煙で定員以上の詰め込みはありません。
この時は12人部屋で7人がゆったりでした。



夜の就航なので、寝るしかないのですが、
瀬戸内に架かる橋を通過する時間の案内があります。
明石大橋 18:35
瀬戸大橋 21:40
来島海峡 0;00
起きられるかどうか?
明石大橋と来島海峡を通過する時、起きていました。
残念ながら瀬戸大橋の通過時は寝ていました。
明石大橋







来島海峡

真夜中です。撮れていたのはこの一枚だけです。
4月14日(曇り)
6:20 予定通り到着です。
国道10号に出て、ひたすら南下します。
福岡県内は今のところ立ち寄る予定がありません。
苅田町、行橋市、築上町、豊前市などを通り過ぎれば大分県。
中津市です。
中津と言えば福沢諭吉ですが
中津から揚げが有名?
NHKのドラマで黒田如水の中津城が注目をあびました。
お城が好きな和尚さんは
中津城に行かない訳には行きません。
経過報告の中で3大水城を中津城、高松城、津城と書きましたが
読者の指摘により中津城、高松城、今治城が正解なようです。
中津城は中津川を利用した水城です。
黒田氏と中津の関係はせいぜい1600年までです。
黒田氏は関ヶ原の戦いの功労で福岡に移ってしまいます。
後、細川氏(後に熊本へ)、小笠原氏、奥平氏へと続きます。
単純に高い所からの景色を眺めるのが好きな和尚さんは
古文書やら甲冑などの遺品は分からんから興味がありません。
天守閣に立って、ええなー、ハイ終りです。



水城のイメージがわくかしら。

右が中津川です。河口にありますので、満潮時は水位が上がります。
石積みの違い

右半分が黒田時代のもの、左半分が細川時代のもの。
この積み方は・・・きれいですね。

お城を探すのは簡単です。
辺りを走っていて、キョロキョロしますと目に入ってきます。
宇佐の方面に行こうと、中津市内を走っていたら
赤い壁のお寺がありました。

たまたま写真を撮って後から調べれば・・・。
黒田官兵衛がこの寺にいた宇都宮氏を襲撃した時の血のりが消えなくて
赤色に塗ってしまったと言う合元寺(赤壁寺)であることが分かりました。
福沢さんを忘れてはいけません。
福沢さんとの関係が保たれない和尚さんは
野口さんに好まれているようです。
中津城にほど近い場所に福沢諭吉旧居があります。
福沢諭吉についてここで説明する必要はないでしょう。




これだけは書いておこう。
和尚さんは若い時の諭吉さんに会いました。
離れに土蔵があり、覗いて見ると諭吉さんは
スーパーカブでよう来たなーとおっしゃった。
論語を読んでおられたようです。

余談ですが福沢諭吉が一時大坂の適塾の塾長をしていたことがあります。
適塾と言えば緒方洪庵です。
このブログは写真を撮る人が多く訪れるのですが、
全日写連の役員をしていらした緒方さんは緒方洪庵の子孫であると聞きました。
さあ、宇佐神宮に行こう(つづく)
実はこの更新はネットカフェで画像を持ち込んでしています。
帰ってきてからの画像です。
御所の高天原に山野草の植物園があります。
高天彦神社の南です。〔300円〕
エビネ蘭が多いです。








クリンソウもあります。

すずらんもありました。


安田の里にも行っています。


もちろん室生湖にも

