hiroべの気まま部屋

日ごろの出来事を気ままに綴っています

東京の今朝の天気(3月30日):曇り、北品川散策1:品川神社(1)品川富士

2020-03-30 08:42:00 | 寺社・神社巡り

(品川神社・品川富士)



 『今朝の天気』


(7:00頃)

 今朝の温度(5:30) 室温 リビング:19.1、 洗面所:21.0、 湿度(リビング):21%
 (昨日の外気温 東京、最高気温: 7.7、最低気温: 1.3
  本日の予想気温 最高気温:13、最低気温: 4)


 結局、昨日の雪は予報どおり午後1時ごろには止みました。かなりの雪でそれなりに積もったのですが、今朝起きると屋根の雪はかなりとけていました。いわゆるぼたん雪で水分が多くとけるのも早かったようです。あまり綺麗な雪景色は期待できそうもないので、今日の野川行きはやめにします。

 さて、もう10日以上経ってしまいましたが、北品川散策の結果報告を少しづつしたいと思います。
 
 
 今回の散策、整体院から近い京浜急行の青物横丁から電車で1駅の「新番場(しんばんば)駅」からスタートして、「北品川駅」までの、旧東海道を歩くコースでした。単に歩けばおそらくゆっくり歩いても20分ほどかと思いますが、昼食も含めて3時間ほどの街歩きなりました。
 そして、最初に向かったのが、新馬場駅の北口から1分の「品川神社」でした。
 この品川神社、東京十社の一つということでそれなりに有名な神社のようですが、この神社の売りは「富士山」です。江戸時代の富士山信仰(富士講)のことは私が説明するまでもないことですが、その疑似富士山の一つがここ品川神社にあります。(俗に「品川富士」)


 もっとも、この品川富士できたのは江戸時代ではなく、明治2年ということです。(詳しくはこちらを
 大きな石の鳥居をくぐり、品川神社の50段の石段を上ると、途中左に小さい鳥居が見えてきます。私は知らずに行ったので何だろう?とその鳥居をくぐって初めて気づきました。『ああ、これ富士山だ!』と。ということで、本殿の参拝の前にまずは富士登山となりました。(写真の①~⑧の順に)頂上は20畳ほどはあるでしょうか。周辺の眺めもなかなかなものでした。

 登山を終えて、上りと逆方向の登山道を下ると、丁度50段の石段の上に出ますが、そこにはちゃんと「浅間神社」もあります。


 ということで、浅間神社にお参りして、本殿へと向かいました。続きはまた、ということで本日はここまでです。




 


 

東京の今朝の天気(3月24日):晴れ、川崎大師・境内碑蹟めぐり:経蔵エリア3

2020-03-24 08:30:11 | 寺社・神社巡り

(川崎大師碑蹟めぐり:経蔵エリア3⑦弘法大師一千御忌供養塔)



 『今朝の天気』


(8:00頃)

 今朝の温度(6:30) 室温 リビング:19.5、 洗面所:21.5、 湿度(リビング):19%
 (昨日の外気温 東京、最高気温:14.0、最低気温: 8.6
  本日の予想気温 最高気温:12、最低気温: 6)





 川崎大師の碑蹟めぐり、経蔵エリアの続き(⑥~⑦)です。

 ⑥戦災復興之碑
 
 第二次世界大戦後の復興を祈願して、昭和49年(1974)に建碑されたものです。

 
 ⑦弘法大師一千御忌供養塔
 (冒頭の写真)
 天保5年(1834)は弘法大師の丁度一千年の御遠忌にあたり、それを記念して建碑(文政3年〈1820〉)されたもの。発願主は米山松寿という人で、天保5年は旧本堂の建てられた年でもあり、この時の第35世隆盛法印は、米山松寿の意に添って13年も前に作善させた、ということです。


 ⑧道標(こうぼう大し江のみち)
 (写真を撮り忘れました。)
 川崎宿下手の六郷川(多摩川)寄り入口付近に建てられた川崎大師への道標ということです。次の機会に写してご紹介したいと思います。



 以上で、川崎大師・境内碑蹟めぐり:経蔵エリアの終了です。同時に、碑蹟めぐりの今回のご紹介の最後です。
 大師の碑蹟めぐりはまだ「鶴の池エリア」と「八角五重塔エリア」の2か所が残っています。今回ご紹介のエリアでも2か所の碑蹟の写真の撮り忘れもあります。2か所のエリアと合わせて、おそらく来年になると思いますが、次の機会にご紹介したいと思います。
 川崎大師・境内碑蹟めぐりに長らくお付き合いいただきありがとうございました。









東京の今朝の天気(3月23日):曇り、川崎大師・境内碑蹟めぐり:経蔵エリア2

2020-03-23 08:47:05 | 寺社・神社巡り

(川崎大師碑蹟めぐり:経蔵エリア2④いろは歌頌徳碑)



 『今朝の天気』


(7:30頃)

 今朝の温度(5:30) 室温 リビング:20.4、 洗面所:22.0、 湿度(リビング):19%
 (昨日の外気温 東京、最高気温:23.7、最低気温:10.5
  本日の予想気温 最高気温:17、最低気温:10)




 川崎大師の碑蹟めぐり、経蔵エリアの続き(③~⑤)です。

 ③宝篋印塔
 
 「宝篋印塔((ほうきょういんとう)」は、五輪塔などとともに墓塔・供養塔などに使われる仏塔の一種です。五輪塔が中央の塔身と呼ばれる部分が球形であるのに対して、宝篋印塔は四角形という大きな違いがあります。
 川崎大師の宝篋印塔は、徳川将軍家の支族・田安家の祖・田安宗武(8代将軍徳川吉宗の次男・1716~1771)が42歳の厄除け祈願のために寄進した由緒あるものということです。
 
 塔身には梵字が彫られており、42歳の厄除け祈願の年が丑年で、それを意味する梵字「タラーク」が彫られたと思われます。


 ④いろは歌頌徳(しょうとく)碑
 (冒頭の写真)
 弘法大師作といわれる「いろは歌47文字」が刻まれています。いろは歌は弘法大師作と伝わっていますが、あくまで伝承で真偽は不明です。仏教の教え、涅槃経(ねはんきょう)にある「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽」(諸行は無常であってこれは生滅の法である。この生と滅とを超えたところに、真の大楽がある)の教えを和訳した、仏教の教えを説く歌ともいわ れています。
(建碑は大正5年〈1916〉)


 ⑤木村新左衛門紀念碑
 
 明治35年(1902)に建立された総欅造りの旧山門は、規模といい彫刻といい関東第一と称される荘厳なものであった。碑はその旧山門を建てた棟梁・木村新左衛門の偉業が刻まれている、ということです。(建碑は昭和5年〈1930〉)
 なお、現山門は昭和53年に再建されたものです。


 本日はここまでです。次回は経蔵エリアの⑥~⑧で、碑蹟めぐりの最後となります。



 (本日コメント欄お休みをいただいております。)





川崎大師・境内碑蹟めぐり:経蔵エリア1

2020-03-21 08:24:23 | 寺社・神社巡り

(川崎大師・経蔵)




 『今朝の天気』


(7:45頃)

 今朝の温度(6:30) 室温 リビング:19.5、 洗面所:21.0、 湿度(リビング):19%
 (昨日の外気温 東京、最高気温:19.4、最低気温:12.7
  本日の予想気温 最高気温:20 、最低気温: 9 )



 川崎大師・碑蹟めぐりの続きです。今日からは経蔵エリア(①~⑧)です。
 逆光で写真が見づらく申し訳ありませんが、冒頭の写真が経蔵です。経蔵は、大本堂と大山門の中間の大本堂に向かって左側にあります。経蔵ということですから、一切経(大蔵経)が納められていますが、一切経は時代によりその編纂内容に変化があるということで、川崎大師には中国最後の木版大蔵経「乾隆版大蔵経」7240冊が収蔵されているということです。なお、川崎大師の経蔵は、平成16年に落慶されています。

 



 それでは、経蔵エリアの碑蹟めぐりのスタートです。

 ①関東第一霊場碑
 
 写真が下手で、申し訳ありません。
 この碑は昭和7年の都新聞(今の東京新聞)企画の「関東十霊場推薦投票」で1位になった記念に、初代の碑が立てられたものの、戦災で破損したため、昭和43年に再建されたものということです。

 ②天保四年本堂礎石
 
 現在の大本堂は、旧本堂が戦災で焼失したため、昭和39年5月に落慶されたものです。旧本堂は、天保5年(1834)弘法大師一千年御遠忌を記念して建立されたものということで、その礎石の一部が碑蹟となっています。



 
 本日はここまで、次回は(③~⑤)の碑蹟の紹介を予定しています。


 (本日コメント欄お休みをいただいております。)





川崎大師・境内碑蹟めぐり:大本坊エリア3

2020-03-18 07:53:25 | 寺社・神社巡り

(川崎大師・境内碑蹟めぐり:大本坊エリア3 ⑨北の湖敏満之像)



 『今朝の天気』


(7:15頃)

 今朝の温度(6:30) 室温 リビング:19.1、 洗面所:21.0、 湿度(リビング):21%
 (昨日の外気温 東京、最高気温:12.7、最低気温: 2.3
  本日の予想気温 最高気温:18 、最低気温: 6 )


 川崎大師・碑蹟めぐりの続き、大本坊エリア3(⑦~⑨)で、大本坊エリアの最後です。

 ⑦力石
 
 写真は上下二段になっていますが、現物は横一列に並んでいます。写真の上段2つが向かって左側に位置しています。
 「境内で力くらべに使われた石(明治時代もの)で、左の2つ(写真の上段2つ)は、「さし石」といって頭上にさし上げるもの。左端のものは36貫(135キログラム)。右の3つ(写真の下段3つ)は「おったて石」といい、起こして真っ直ぐにたてるもので、右から3番目のものは、銘を雲龍石といい100貫(375キログラム)もある。これができたものは一人前とみなされたという。」ということです。

 ⑧征清陣兦軍人招魂碑
 
 「この碑は明治27年(1894)の日清戦争で戦死した将兵の招魂の慰霊塔(明治29年建碑)で、橘郡(現在の川崎市と横浜市の一部)出身者の名が刻まれている。」ということです。なお、「陣兦(じんぼう、=陣亡)」は戦死を意味することばのようです。

 ⑨北の湖敏満之像
 (冒頭の写真です。逆光で見ずらい写真で申し訳ありません。)
 これは説明不要ですね。大横綱北の湖の像です。北の湖さんは川崎大師の檀家だったようです。平成29年(2017)10月1日三回忌の折、親族奉納により銅像を建立されたということです。


 本日はここまでです。次回は明日以降、大本堂の前にある経蔵周辺の碑蹟めぐり(①~⑧)の予定です。よろしければまたお付き合いください。



 (本日コメント欄お休みをいただいております。)