現地から予告しましたように、5,6日と北陸に桜とお城を見に行ってきました。
今や真の城ガールと成られましたPさんの影響大、ということですが、直接のきっかけはタモリさんというか、「ブラタモリ」です。
「いいとも」を引退して、自由の身となったタモリさん、東京を出て地方へぶらりと、となったのが3年前ですが、以来番組の録画はしていても観ていなかった「ブラタモリ」を先月辺りから少しづつ見だしたのです。その4回目が「金沢の美」というテーマでした。
そこで、登場したのが、金沢城の石垣でした。それも、並の石垣でないとんでもない石垣(冒頭の写真)が登場して、『こんな石垣見たことない。これは絶対見に行こう!』、それとどうせなら桜も一緒にと、私には珍しく、即決、1日に決めて切符と宿を取って行ってきました。
この石垣、ともかくまずはカラフルですよね。これぞ金沢の美!というわけです。それと、なんと、石垣の常識を破って縦長の石まであります。名付けて、この石垣を「色紙短冊積石垣」というそうです。
金沢城の石垣は「石垣の博物館」といわれているということで、いろいろな石垣がありますが、次の3種に大きく分かれます。
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(金沢城・兼六園ガイドマップより、以下も同様です。)
パンフの説明の3種の石垣は、加賀藩前田家の3代に亘って変わってきています。自然石積み(通称野面積み)は初代利家の時代(在位1583-98)、荒加工石積みは3代利常時代(1605-39)、切石積みは5代綱紀時代(1645-1723)ということで、特に綱紀は趣味人であったようで、「色紙短冊積石垣」もその時代のものです。
ということで、今回の北陸旅は、金沢城の、「色紙短冊積石垣」を見ることでしたので、目的達成、ご帰還!でもよかったのですが、せっかく行ったので、金沢城をざっと見てきました。当然、丁度散り始めの満開の桜も観てきましたので、ご紹介していきたいと思います。
パンフの地図の赤く丸を付けました、石川橋を渡り「石川門」からまず公園内に入りました。ちなみに、地図の右側が特別名勝「兼六園」です。
石川門を抜けると三の丸に出ます。三の丸の右側には「河北門」があります。
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写真上段中が二の門、右が一の門です。
写真の下段中は一の門の右にあるニラミ櫓と太鼓塀で、石垣の上段に荒加工石積みと切石積み、下段に自然石積み(通称野面積み)の石垣を見ることができます。
三の丸広場の正面には、左右に伸びた「五十間長屋」右に「菱櫓」左に「橋爪門続櫓」があります。これらの建物の石垣は荒加工石積みとなっています。ただし、カラフルな色使いはすでに始まっています。
橋爪門続櫓はその名のとおり、「橋爪門」につながっています。そこを抜けると二の丸に出ます。
二の丸広場の先には、冒頭の「色紙短冊積石垣」を見ることができ、その正面には「玉泉院丸庭園」があります。
地図では、「三十三間長屋」「鶴丸倉庫」の二つの重文がありますが、それは観ずに、二の丸の後方にあたる部分を通って、石川門に戻り、次の目的地に向かいました。(その理由は長くなりますので、次回に説明します。)
その二の丸の後方の石垣には、この城の石垣の特徴的なものを見ることができます。それは「刻印」です。なぜ刻印をしたのかはよくわからないということです。
「
建物と石垣ばかりになりましたが、満開の桜も観てきました。
なお、直接見ていませんが、帰りのタクシーからの写真で、辰巳櫓あたりの階段状の石垣(右の写真)を何とか撮りました。この石垣本来は、階段でなく段差のない高さ25mの大石垣だったそうです。崩れて補修をしたのだと思いますが、一番下の段は明治時代の石垣ということです。
北陸旅、金沢城公園の後は、福井の「丸岡城」へ向かいました。それは次回に。