hiroべの気まま部屋

日ごろの出来事を気ままに綴っています

東京の今朝の天気(4月10日):晴れ

2018-04-10 09:15:56 | 寺社・神社巡り

(川崎大師 日本百観音銅板 坂東三十三観音の31-33
 第三十一番:笠森寺(かさもりじ、千葉県長生郡長南町)十一面観音、第三十二番:清水寺(きよみずでら、千葉県いすみ市)千手観音
 第三十三番:那古寺(なごじ、千葉県館山市)千手観音 )

 『今朝の天気』


(7:45頃)

 今朝の温度(6:30) 室温 リビング:21.2、洗面所:23.0 湿度(リビング):22%
 (昨日の外気温 東京、最高気温:19.9 、最低気温: 5.5
  本日の予想気温 最高気温:19 、最低気温: 8 )


 (本日コメント欄お休みをいただいています。)  


桜とお城の北陸旅(2):福井・丸岡城

2018-04-09 08:29:17 | 旅行


 5日に金沢城を見た後は、その日のうちに福井に移動、丸岡城を訪れました。

 以下、内容の無い くだらないダラダラとした記事になると思います。写真はすべて丸岡城です。写真だけでも是非ご覧ください。

 で、話を金沢城に戻します。今回の旅、個人旅行でしたが、一人旅でなく妻との二人旅でした。妻との二人旅はどうしても、目的地にゆっくり行って、帰りは早くが原則で今回もそうなりました。
 もっとも、妻はお城には興味がなくて、それでも行きたい!とついてきたのです。興味ないはずのお城、それなのに妻の目的地は金沢城でした。

 妻も私も金沢には3回ほど行ったことがあり、最後は義母も一緒の三人旅でもう30年ほど前です。その時は今回行かなかった兼六園にも市内観光で行っています。それでも、金沢城には行っていません。
 ご存知の方も多いと思いますが、当時の金沢城跡には金沢大学があって、今のような公園にはなっていなく、観光ができるようにはなっていなかったのです。当然、二人とも行っていません。



 話が長くなりましたが、それでは、妻がどうして金沢城に行きたいとなったのかですが、それは、そこにかって金沢大学があったからです。
 話が見えないでしょうね。
 実は義父の兄つまり妻の伯父さんが金沢大学の医学部の教授だったからです。義父とお兄さんはかなり歳が離れていたようで、金沢大学にいたのは戦前の話で、当然、妻も会ったことはないわけですが、ある意味妻には自慢の伯父さんということで、その伯父さんの勤務地金沢大学=金沢城に行ってみたい、ということだったわけです。
 話がやたら遠かったですが、ここまで読んでお付き合いしていた方には感謝です。
 
 そんなわけで、妻との二人旅、5日東京駅を11:24発の北陸新幹線で、金沢着は14:20、金沢駅からはタクシーで、15分ぐらいかかったでしょうか、3時前には金沢城に着きました。約1時間ほど金沢城を回って、再びタクシーに乗って、金沢駅に。そこから丸岡城に行くため、芦原温泉駅まで電車で移動して、芦原温泉駅着が17時過ぎでした。そこからまたタクシーで丸岡城へ、お城に着いたのは17時半ごろでした。
 5日の北陸はほぼ曇り、夕方でもう薄暗い感じでしたが、夜桜のライトアップにはまだ早い、しかもお城の開場時刻は17:00までということで、かなり中途半端でしたが、30分ほど天守を見て、その後福井駅近くの宿に移動しました。



 さて、くだらない前置きが長くなり失礼しました。やっと丸岡城の話題です。
 この丸岡城、近くから見るのは今回が初めてですが、見たのは2回目だと思います。最初に見たのは、20年ほど前の年末に永平寺に行った帰りに福井駅での電車の待ち時間を利用して、バスでどこかへ行ったのですが、その時バスから見ているのです。バスでどこへ行ったかは全く覚えていないのですが、バスからみたお城は『あのお城是非行きたい!』と思ったのをはっきり覚えていているのです。
 最近では、今やお城のお師匠様であるPさんのブログ記事でも紹介され、次に北陸に行く機会があったら絶対行こう!と決めていたのです。



 現存12天守でしかも最古の天守(詳しくはwikipediaで)ということで、基本天守しか残っていませんが、ともかく可愛いお城で、しかも味わい深いお城でした。丁度夕方ということもあって、いつまでも見ていたい!そんな雰囲気のいいお城でした。
 地元では桜の名所ということで、丁度桜も満開でした。


 最後にもう一度、天守をじっくりご覧ください。






 福井駅近くのホテルに1泊、翌6日は、ホテル近くの「福井城址」「北庄城跡・柴田神社」と巡って帰って来ました。そのご紹介は次回に。

桜とお城の北陸旅(1):金沢城公園

2018-04-08 08:39:47 | 旅行


 現地から予告しましたように、5,6日と北陸に桜とお城を見に行ってきました。

 今や真の城ガールと成られましたPさんの影響大、ということですが、直接のきっかけはタモリさんというか、「ブラタモリ」です。
「いいとも」を引退して、自由の身となったタモリさん、東京を出て地方へぶらりと、となったのが3年前ですが、以来番組の録画はしていても観ていなかった「ブラタモリ」を先月辺りから少しづつ見だしたのです。その4回目が「金沢の美」というテーマでした。

 そこで、登場したのが、金沢城の石垣でした。それも、並の石垣でないとんでもない石垣(冒頭の写真)が登場して、『こんな石垣見たことない。これは絶対見に行こう!』、それとどうせなら桜も一緒にと、私には珍しく、即決、1日に決めて切符と宿を取って行ってきました。
 この石垣、ともかくまずはカラフルですよね。これぞ金沢の美!というわけです。それと、なんと、石垣の常識を破って縦長の石まであります。名付けて、この石垣を「色紙短冊積石垣」というそうです。
 

 金沢城の石垣は「石垣の博物館」といわれているということで、いろいろな石垣がありますが、次の3種に大きく分かれます。
 
 (金沢城・兼六園ガイドマップより、以下も同様です。)
 パンフの説明の3種の石垣は、加賀藩前田家の3代に亘って変わってきています。自然石積み(通称野面積み)は初代利家の時代(在位1583-98)、荒加工石積みは3代利常時代(1605-39)、切石積みは5代綱紀時代(1645-1723)ということで、特に綱紀は趣味人であったようで、「色紙短冊積石垣」もその時代のものです。

 ということで、今回の北陸旅は、金沢城の、「色紙短冊積石垣」を見ることでしたので、目的達成、ご帰還!でもよかったのですが、せっかく行ったので、金沢城をざっと見てきました。当然、丁度散り始めの満開の桜も観てきましたので、ご紹介していきたいと思います。

 

 パンフの地図の赤く丸を付けました、石川橋を渡り「石川門」からまず公園内に入りました。ちなみに、地図の右側が特別名勝「兼六園」です。
 
 
 

 石川門を抜けると三の丸に出ます。三の丸の右側には「河北門」があります。
 
 
 写真上段中が二の門、右が一の門です。
 写真の下段中は一の門の右にあるニラミ櫓と太鼓塀で、石垣の上段に荒加工石積みと切石積み、下段に自然石積み(通称野面積み)の石垣を見ることができます。

 三の丸広場の正面には、左右に伸びた「五十間長屋」右に「菱櫓」左に「橋爪門続櫓」があります。これらの建物の石垣は荒加工石積みとなっています。ただし、カラフルな色使いはすでに始まっています。
 
 

 橋爪門続櫓はその名のとおり、「橋爪門」につながっています。そこを抜けると二の丸に出ます。
 
 

 二の丸広場の先には、冒頭の「色紙短冊積石垣」を見ることができ、その正面には「玉泉院丸庭園」があります。



 地図では、「三十三間長屋」「鶴丸倉庫」の二つの重文がありますが、それは観ずに、二の丸の後方にあたる部分を通って、石川門に戻り、次の目的地に向かいました。(その理由は長くなりますので、次回に説明します。)
 その二の丸の後方の石垣には、この城の石垣の特徴的なものを見ることができます。それは「刻印」です。なぜ刻印をしたのかはよくわからないということです。


 建物と石垣ばかりになりましたが、満開の桜も観てきました。




 なお、直接見ていませんが、帰りのタクシーからの写真で、辰巳櫓あたりの階段状の石垣(右の写真)を何とか撮りました。この石垣本来は、階段でなく段差のない高さ25mの大石垣だったそうです。崩れて補修をしたのだと思いますが、一番下の段は明治時代の石垣ということです。
 

 北陸旅、金沢城公園の後は、福井の「丸岡城」へ向かいました。それは次回に。




 







東京の今朝の天気(4月7日):晴れ

2018-04-07 08:36:00 | 寺社・神社巡り

(川崎大師 日本百観音銅板 坂東三十三観音の28-30
 第二十八番:龍正院(りゅうしょういん、千葉県成田市)十一面観音、第二十九番:千葉寺(せんようじ、ちばでら、千葉県千葉市)十一面観音
 第三十番:高蔵寺(こうぞうじ、千葉県木更津市)聖観音 )

 『今朝の天気』


(7:00頃)

 今朝の温度(6:00) 室温 リビング:22.5、洗面所:23.0 湿度(リビング):47%
 (昨日の外気温 東京、最高気温:22.4 、最低気温:11.6
  本日の予想気温 最高気温:21 、最低気温:15)


 (本日コメント欄お休みをいただいています。)