イマドキのJKはTwitter、LINEを使いこなせないと生きていけないのだとか。世の中はずいぶんと変わりましたねぇ。筆者なんて高校生時代パケホーじゃありませんでしたから、ケータイではネットサーフィンしたこともありませんでしたが、今や常時接続が常識の時代ですか。なるほど。古き良きガラケーの時代は忘れ去られて、どこかで聞きましたが“Re;”が重なる喜びも若者は知らぬ。メールが衰退する世の中になるとは予想できなかった。そのうち自らの老いとともに時代についていけなくなる日が来るのかもしれないがそんな日が恐ろしい。医大生・たきいです。
突然の告白だが、わたくし、色覚異常である。日常生活に支障があるほどではないが、たまに服装の組み合わせで変なことがあるらしい。咎められると、普段は陽気なわたくしだが実は結構へこんでいる。故に早いところ服を選んでくれる心優しい彼女でもできないかなと思っているのだが現実は厳しいものだ。実に厳しい。世間体も厳しかったのだろうか、色覚異常を持つ人というのは大昔には医者にもなれなかったのだとか。その当時にもそれなりの理由があったのかもしれないが、それを知らずして医学教育を受けている自分は大丈夫なのかと少し心配だ。医学部入学前に父親からこの本でも読んどけと言われたが、結局読まずじまいだった自分が悪いのではあるが。一回だけ、生化学の実習で色の違いが分かりづらくて困ったことがあったが、実験班の女の子にやらせてなんとかなったし、一応は今のところ特に困ってはいない。
小学生のころだったろうか、自分が色覚異常であると知ったとき、母は筆者に「ごめんね」と言った。バリバリの文系女である筆者だが、X連鎖というのは知っていたらしい。今思えば意外にも教養ある母親だった。そのとき自分がなんと答えたのかは覚えていないが、母親は謝る必要はないと今では思う。遺伝子変異というのも、人類がこれまで生き延びてきたのには不可欠なのことなのである。そういう人がいても当然だ。もしかしたら欠損は「欠損ではない」のかもしれない。統計的な量的な比でさえ、どちらが「正常」なのかも一概には断言できないのではないか。少なくとも母に全く非はない。
ところで今晩の運転中の出来事。今の時期この辺りでは道路工事が多いようだ、運転免許の取得には、赤・青・黄の色の識別が要求されるが、軽度の色覚異常なのでそれくらいはよく分かる。細かい色の違いが分かりづらいだけ。免許を有するには十分な身体機能を有しているはずだ。
ところが、である。道路工事というのは、片方の道がふさがれて行われる。そのため、片側交互通行となる。人が立っているのならその誘導に従えばいいだけだが、人件費の節約という観点から開発されたのだろう、赤と青だけの信号がつけられていることも多い。信号にもいくつか種類があって、少々高価と思われるものは赤と青の色調がはっきりしているので問題はない。しかし廉価版と思われるもの。これが非常に見分けにくい。青が緑っぽい色をしているのである。変化の前後は明るさが異なるように思われるので変化したなということは分かるのだが、どちらの色か正直な話よくわからない。自分が先頭車両にならないことばかりを祈っている。最近、「赤」の時だけに待ち時間が表示されているという事実に気づいてようやく怖くなくなってほっとしているところである。
おそらく、青らしい青を電球として使うのにはコストがかかるのだろう。そのための緑っぽい青の登場であるに違いない。しかしこのままの現状は非常に危険であると思われる。筆者と同じく色覚異常の人が工事現場で事故を起こしたとする。緑っぽい青が使用されている現場においてはドライバーの前方不注意、信号無視という主張は受け入れにくいケースも多々生じてくるはずだ。道路工事のものなのだから、一時的なものに過ぎない。道路工事の下請け会社も予算をそこに費やしたくはないのだろう。その気持ちも分かるには分かる。
だけれども色覚異常の人というのはそれなりにいるはずだ。自分の子供が遺伝として受け継ぐ確率はかなり低いが、X連鎖劣性遺伝は「桂馬飛び」遺伝しやすいと言われている。筆者の孫が色覚異常の可能性もある。故に意外にも珍しくはないのである。それなのに筆者を含めた弱者が保護されていない。たかが道路工事は、我々「障がい者」に死ねと言っている。その予算の削減は我々の命を削っているともいえよう。
本来ならば、自分のような立場の人間が声を大にして訴えていくべきなのかもしれない。道路工事に於いては青色発光ダイオードの使用を義務化せよ、とでも。しかし多忙な毎日である。試験勉強に忙殺され、来る参院選への投票について考える余裕もこの大学には与えられていない。世知辛い世の中である。生きづらい。
(「先生ブログやってるんですか?」と聞かれたのが怖かった人(笑))
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