「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

広島「日本の誇り」連続セミナーについて

2007-12-11 00:41:14 | 【連載】 日本の誇り復活 その戦ひと精神
【連載】「日本の誇り」復活―その戦ひと精神(二十七)『祖国と青年』19年12月号掲載


広島「日本の誇り」連続セミナー

熊沢蕃山に学ぶ志と自己研鑽の言葉

 広島『祖国と青年』の会の蓼代表から依頼を受けて、今年四月から二カ月に一度「日本の誇りセミナー『現代に蘇る先哲の教え』」の連続講座を受け持つてゐる。十二月迄の五回で、歴史上の人物の生き方と言葉に学ぶ事を主眼として、陽明学・武士道に連なる日本人から、第一回「会津白虎隊 その思想と志」第二回「近江(おうみ)聖人(せいじん)・中江藤樹(なかえとうじゅ) まごころを磨く学問」第三回「大塩平八郎 救民に決起したその思想と行動」第四回「熊沢蕃山(くまざわばんざん) 心法(しんぽう)の実践と幕府への献策」と講義を行ひ、十二月に第五回「西郷隆盛 敬天愛人の思想」を講義する。

 毎回、二十代から四十代の三十名前後の青年達が熱心に受講してくれてゐる。半数以上は連続参加だが、新しく会社の同僚や若手を連れて参加する方も居る。セミナーの後、近くの居酒屋で必ず懇親会を行ひ意見交換を行ふ。その際に、全員がセミナーの感想表明や近況報告を行ふ。最初は、「日本史はあまり勉強してゐませんので、これから勉強していきます。」との短い感想が多かつたが、回を重ねるに従つて、「今日はこの話(言葉)が印象に残りました。」など具体的に話してくれる様になつた。陽明学は心の学問なので、心に響く先人の生き方や言葉を受け止める様になれば、身について行く。

中には、インターネットで事前に予習をして参加する熱心な受講者もゐる。若い輝く瞳にみつめられての講義は講師としても熱が籠る。歴史上の人物の志や生き方との出会ひは、日頃心の有り方など教はつた事の無い青年達にも斬新で、心に響くものがあるやうだ。私は、今回の連続講座を受け持つに当り、次の講義までの二カ月、多忙の中でも必ず毎日、次に取り上げる人物の言葉に向き合ふ時間を持つ事を自らに課した。歴史上の人物の書き残した文章や和歌などを読み込んでいく内にその人物の「叫び」とでも言ふものが聞こえ、生き方の焦点が見えてくる。それが自づと講義となつて表はれて来るのだ。

十月の熊沢蕃山先生についての講義の後に、受講の青年から葉書を戴いた。裏には大きな字で私の講義で紹介した蕃山の言葉「諸子は極(きわま)りある所を学び、愚(ぐ)は極りなき所を学び候」が記され、表に「先生の講義を受け、この文章を目にし、耳にした時目頭が熱くなり、蕃山先生の想いが伝わってきました。」と記されてゐた。この蕃山の言葉は、師の中江藤樹から何を学んだのかといふ論争の中で発せられた。蕃山が藤樹に学んだのはわづか八カ月に満たない、一方、藤樹に長く師事した弟子達が「江西(こうせい)学派」を形成して固まり、蕃山の自由闊達な言論を批判する様になる。それに対する蕃山の反論である。「愚」とは「自分」の意味である。

「諸子は極(きわま)りある所を学び、愚(ぐ)は極りなき所を学び候。其(その)時(とき)には大小たがひなく候ても、今は大(おおいに)にたがひ申べく候。極りたる所は其時の議論講明なり。極りなき所は、先生の志こゝに止(とど)まらず、徳業の昇り進むなり。日新(にっしん)の学者は、今日は昨日の非を知るといへり。愚は先生の志と、徳業とを見て其時の学を常とせず。其時の学問を常とする者は先生の非を認めて是とするなり。先生の志は本(も)としからず。」(集義外書巻二)蕃山は、自分は藤樹先生の志を学びその志に従つて日々自らの徳業を磨き前進してゐる、文字に拘泥(こうでい)する君達は先生の姿を真似してゐるに過ぎない、学問にとつて最も重要なのは志の継承なのだ、と叫んでゐるのだ。

 熊沢蕃山についての講義ひと月前の九月に上京した際、蕃山終焉の地である茨城県古河(こが)市を訪れた。上野から宇都宮線で約一時間位の所にある。古河歴史博物館・蕃山先生の墓所鮭(けい)延寺(えんじ)・伝「蕃山堤(ばんざんづつみ)」を巡った。歴史博物館には、明治四十三年四月十日・十一日に古河(こが)郷(ごう)友会(ゆうかい)の主催で斎行された蕃山先生二百二十年祭の資料が展示され、当時の人々の先生を仰ぐ熱い思ひが伝はつて来た。沖縄ではないが、当日は汽車の割引切符が出されてゐた。記念講師には『日本陽明学派之哲学』の著者井上哲次郎博士の名が記されてゐた。

展示物の「北総之実業 第18号」(明治43年4月10日)には「蕃山先生を思ふ」と題する「桃の里人」の次の和歌が紹介してあつた。
「世の為に尽して罪の名にかくれ露と消ゑにし身こそ尊とき」
「(集(しゅう)義(ぎ)和書(わしょ)を読む)見る度に腸(はらわた)すゝぐ思ひしてありし面影書に浮み来る」

又、今回の講義でも紹介した、蕃山が学舎に掲げてゐたといふ「小人(しょうじん)の特質十一箇条」が掲載してあつた。元々は『集義和書』「書簡の四」に記されてゐるもので、「君子(くんし)」八箇条、「小人(しょうじん)」十一箇条から成つてゐる。その箇条の一つ一つが身につまされるものだが、ここでは各三箇条を紹介する。

先づ「君子」

一、仁者の心動きなきこと大山の如し。無欲なるが故に能く静なり。

二、君子の意思は内に向ふ。己独り知る所を慎んで人に知られんを求めず。天地神明(しんめい)と交はる。其の人柄光風霽(せい)月(げつ)の如し。

三、人を見て善しとすれども神のみること善からざる事をばせず。人見て悪(あ)しゝとすれども天のみること善き事をば之をなすべし。

続けて「小人」

一、心、利害に落ち入りて暗昧(あんまい)なり。世事に出入して何となく忙(せ)はし。

二、道に違(たが)ひて誉(ほま)れを求め、義に背(そむ)きて利を求め、士は媚(こび)と手だてを以て禄を得んことを思ひ、庶人(しょじん)は人の目を昧(くら)まして利を得るなり。之れを不義にして富み且(か)つ貴きは浮かべる雲の如しと云へり。終(つい)に子孫を亡ぼすに至れども察せず。

三、小人は己あることを知りて人あることを知らず。

媚(こ)びと手づるで汚職にまみれる某省の幹部や、「賞味期限」や「耐震強度」の偽装によつて人の目を眩(くら)ませて利益を図る輩の頻出、朝青龍や亀田親子など自分の事しか目が無い傍若無人な振る舞いなど、戦後教育は「小人」の拡大再生産機構に過ぎなかつた。価値基準が「人」にしかなく「神」や「天」に恥ぢないといふ生き方は現在失はれてゐる。受講者は先人の高く貴い志の有り方に深い感動を覚え、自らの生き方を問ひ始めてゐた。

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