
もう、
今ではあり得ない、
凄まじく飛び過ぎた映画。
一映画監督が、
自分の少年期を映画化する中で、
テーマが収拾つかなくなり、
そのどさくさに紛れて、
本人自らが過去に行き、
少年時である自分に、
母親を殺害するように仕向ける。
映画は、
監督の寺山修司当人の短歌が使われ、
時空間シカトして、
イメージに次ぐイメージが、
交差構築されていく。
舞台が恐山というおどろおどろしき、
因習と迷信渦巻く中、
どんな描写が飛び出すか、
予測不能に展開する。
イメージの花火大会と思えば、
気軽に見れるけど、
まともに意味を追えば、
「TAKESIS」や「ツィゴイネルワイゼン」より苦労するやろう。
とにかく、
映画がこんなに奔放であることを、
邦画が証明する方が、
凄まじく、
説得力を受ける。
筋書き度外視に、
何が起きるか何が起きるかと、
ワクワクしてたら、
あっという間にラストが来るけど、
どんでん返しあるから、
見てのお楽しみ。
ケイジロウ、レフティ、
映画に理屈を求めることほど、
おもしろくないものは無いよ。
如何に、
映画と遊ぶか?
モノホンの映画マニアやったら、
そう言わはる思うさかいに。