目が覚めてしまった。
昨夜、仙台の「風と手と土」さんから、「こびっとハウス」のある裏磐梯までの道のりの途中で、突然、自分が本当に浅くしか呼吸をしていないことに気づき、愕然としてしまった。
この所、このことに対する指摘があちこちからとても多くて、でも、あまり体に落ちてこない、というか、実感がなかったのだけれど、わたしは確かに息を潜めて生きてきたに違いないと、この夜、満月に照らされながらの道すがら、実感してしまった。
このように、突如としてなにかに気づいて驚くことが、わたしには時々ある。まるで、雷に打たれたように。
きっと誰しもそういうことがるに違いない。
それを気づきと呼ぶならば、それから人生が大きく変わることも稀にではない気がする。
この裏磐梯で、横隔膜の上までしか使っていなかったこの息遣いに取り組むのかな。
日頃の緊張から解き放たれて、緩むために来ているはずの裏磐梯で、ふと目覚めると、奥歯を噛み締めて浅い息使いで息苦しくなって目覚める自分。
そんな自分自身を本当に緩めてやれるのは、その自分自身しかいないのだから。
昨夜、仙台の「風と手と土」さんから、「こびっとハウス」のある裏磐梯までの道のりの途中で、突然、自分が本当に浅くしか呼吸をしていないことに気づき、愕然としてしまった。
この所、このことに対する指摘があちこちからとても多くて、でも、あまり体に落ちてこない、というか、実感がなかったのだけれど、わたしは確かに息を潜めて生きてきたに違いないと、この夜、満月に照らされながらの道すがら、実感してしまった。
このように、突如としてなにかに気づいて驚くことが、わたしには時々ある。まるで、雷に打たれたように。
きっと誰しもそういうことがるに違いない。
それを気づきと呼ぶならば、それから人生が大きく変わることも稀にではない気がする。
この裏磐梯で、横隔膜の上までしか使っていなかったこの息遣いに取り組むのかな。
日頃の緊張から解き放たれて、緩むために来ているはずの裏磐梯で、ふと目覚めると、奥歯を噛み締めて浅い息使いで息苦しくなって目覚める自分。
そんな自分自身を本当に緩めてやれるのは、その自分自身しかいないのだから。