NHKテレビ「新日曜美術館」で小磯良平「斉唱」を見た。
この番組では、戦前留学中に群像画に目覚めた小磯が、従軍画家として戦争画に取り組むことで到達することが出来た一つの頂点として「斉唱」を評価しようとしている。
しかし素人が見るところ、はやり「斉唱」には「戦争」への押し殺された感情が秘められているように思える。
番組中の解説ではこの「斉唱」の画面に現れる「高さがそろった顔」と「奥行きの異なる足下」のふたつの視点のことが取り上げられるが、むしろ9人の女学生の手元にある「譜面」の距離感のほうが気になる。
画面左の女学生は譜面を両手正面に目で見据えながら唄っている。中程前列では譜面を見ているが目をこらしてはいない。後ろに立つ女学生は譜面を下げて目は別のところを見ている。宙を見て唄っている者もある。
画面右下のピアノ椅子の上に譜面の束が置かれている。
譜面とは、旋律、リズム、ハーモニーを指し示す「指示書」。戦争にあっては戦争を遂行するための工程表、あるいはそれをあおる紙新聞の束とも見なすことが出来るのではないか。
つまり、女学生達は歌を歌うが、あるものは譜面に目をこらし、あるものは視線がさまよい、あるものは中空に虚しく歌うのみ、という「群像」であるとしたら、それはひととおりではないが何かしらの大きな感情の塊がそこに描かれているのではないか。
同じ年に描かれた「娘子関を征く」でも、画面の奥にある大中国の歴史的風景にこれから進軍しようとする兵馬の赤い尻の側にたつ歩兵二人の表情が、「国威を発揚」するような様子でないことは子供の目にも明らか。
小磯良平は戦後、戦争画のことを隠しようはないが、語ることもなかったという。国立近代美術館の常設コーナーで作品か絵葉書を観た覚えがある。そのあたりの事情はこのようなことらしい。
http://www.kobe-np.co.jp/rensai/200408artist/01.html
美しい国、とか戦争を知らない子供たち、などと手放し言い放しで済まされる立場の人とは、どこのどなたならん。
田中美知太郎先生は、「憲法に書いて戦争が無くなるなら、台風禁止と書けばいい」とおっしゃったと聞く。台風も来た、地震も起こった。次いったい何を。
この番組では、戦前留学中に群像画に目覚めた小磯が、従軍画家として戦争画に取り組むことで到達することが出来た一つの頂点として「斉唱」を評価しようとしている。
しかし素人が見るところ、はやり「斉唱」には「戦争」への押し殺された感情が秘められているように思える。
番組中の解説ではこの「斉唱」の画面に現れる「高さがそろった顔」と「奥行きの異なる足下」のふたつの視点のことが取り上げられるが、むしろ9人の女学生の手元にある「譜面」の距離感のほうが気になる。
画面左の女学生は譜面を両手正面に目で見据えながら唄っている。中程前列では譜面を見ているが目をこらしてはいない。後ろに立つ女学生は譜面を下げて目は別のところを見ている。宙を見て唄っている者もある。
画面右下のピアノ椅子の上に譜面の束が置かれている。
譜面とは、旋律、リズム、ハーモニーを指し示す「指示書」。戦争にあっては戦争を遂行するための工程表、あるいはそれをあおる紙新聞の束とも見なすことが出来るのではないか。
つまり、女学生達は歌を歌うが、あるものは譜面に目をこらし、あるものは視線がさまよい、あるものは中空に虚しく歌うのみ、という「群像」であるとしたら、それはひととおりではないが何かしらの大きな感情の塊がそこに描かれているのではないか。
同じ年に描かれた「娘子関を征く」でも、画面の奥にある大中国の歴史的風景にこれから進軍しようとする兵馬の赤い尻の側にたつ歩兵二人の表情が、「国威を発揚」するような様子でないことは子供の目にも明らか。
小磯良平は戦後、戦争画のことを隠しようはないが、語ることもなかったという。国立近代美術館の常設コーナーで作品か絵葉書を観た覚えがある。そのあたりの事情はこのようなことらしい。
http://www.kobe-np.co.jp/rensai/200408artist/01.html
美しい国、とか戦争を知らない子供たち、などと手放し言い放しで済まされる立場の人とは、どこのどなたならん。
田中美知太郎先生は、「憲法に書いて戦争が無くなるなら、台風禁止と書けばいい」とおっしゃったと聞く。台風も来た、地震も起こった。次いったい何を。