祖父と祖母は納骨堂式の墓におさまっている。
ある日墓の裏に回ると、納骨堂の鉄扉が朽ちて二人の骨壺が丸見えになっている。
業者を呼んで「朽ちないアルミサッシ」にすることにした。
休日の朝電話があり「明日工事をするがサンダーをかけてほこるので、骨壺を逃がしておいてくれ」とのこと。
墓の裏にまわり、朽ちた鉄扉を開き、まず小ぶりな祖母の骨壺を取り出す。
この人は、秋田能代の生まれで北海道で育ち、東京の音大で声楽を習ったと聞いている。
斎藤茂吉のサロンで、高知の田舎から出てきた同い年の医者と知り合ったのが苦労の始まり。
祖母の骨壺より15年ほど新しい祖父の骨壺には、縦に亀裂が入っている。
昭和60年に亡くなったとき、主治医から「脳梗塞のストレスからくる消化器破裂による出血死」と聞いた。
既に寝たきりであったのに、医者なので「また脳梗塞が来た」と察したのか。
骨壺に割れ目が入るほど、祖母の小言に身を縮めているのかもしれない。
ふたりの骨壺を同じ袋におさめ、ずっしり胸に抱いて自室に持ち帰り、壁際の机の上に安置した。
祖父母の骨壺を一時に、孫の自分が抱き上げる日が来るとは思いもしなかった。
私が中学三年の冬に亡くなった祖母は、あと5年足らずで五十年祭を迎える。
祖父の50年祭は20年先だが、さて、どうなることやら。
とりあえず明日、当分朽ちないふたりの扉を閉じる。
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