驚きのニュースです、びっくりしてます。
64歳は若すぎます。
残念ですね、
少年ジャンプの漫画賞で「悪友伝」が入選、リアルタイムでこの作品は読んでました。
当時の少年ジャンプは少年週刊としては遅れを取って刊行されてますが、月刊誌が衰退していた時期で
「少年」「少年ブック」「少年画報」が次々と廃刊、集英社の「少年ブック」は廃刊近くに「少年ジャンプ」を
当時は月2回で半年後に週刊化になりました。
「友情」「努力」「勝利」をテーマにしていたのは「少年ブック」からの継承です。
集英社は漫画家と年間契約を業界では初めての試み、他所では描かせない、抱え込みですね。
少年ジャンプからは永井豪、本宮ひろ志とかが発掘されています。
マンガ賞の入選、佳作の漫画家がたくさんデビューしています。
昭和40年代後期では「池沢さとし 怪童のひびき」「まんが天使:島田憲司」
二人は対照的でした、画風は島田憲司が好きでした、永島慎二に通じる何かがあったからです。
池沢さとしは望月あきらのアシスタントしてました、貸本時代に単行本も出しています。
のちに「あらし!3匹」カーレーサーの火付け役になった「サーキットの狼」などヒット作を出していますが
島田憲司はめだった作品もなく、消えています。
一時、ちばあきおのアシスタントをやっていたようですが。。
中島徳博「悪友伝」を読んだ時に指の肉質、筋肉がはっきりしていて
インパクトがある画風に個性を感じました。
再起に向けてリハビリ中であると、本で読んでましたが、とても残念です。
早死の漫画家が多すぎます。
ソースから
漫画家の中島徳博(なかじま・のりひろ)氏が8月28日、大腸がんで死去。64歳。
告別式は5日午前10時、横浜市緑区長津田町5125の1横浜市北部斎場。喪主は妻の美知子さん。
鹿児島県出身。1972年から週刊少年ジャンプに連載された、奇想天外な野球漫画「アストロ球団」(遠崎史朗・作)の作画を担当、人気を呼んだ。
64歳は若すぎます。
残念ですね、
少年ジャンプの漫画賞で「悪友伝」が入選、リアルタイムでこの作品は読んでました。
当時の少年ジャンプは少年週刊としては遅れを取って刊行されてますが、月刊誌が衰退していた時期で
「少年」「少年ブック」「少年画報」が次々と廃刊、集英社の「少年ブック」は廃刊近くに「少年ジャンプ」を
当時は月2回で半年後に週刊化になりました。
「友情」「努力」「勝利」をテーマにしていたのは「少年ブック」からの継承です。
集英社は漫画家と年間契約を業界では初めての試み、他所では描かせない、抱え込みですね。
少年ジャンプからは永井豪、本宮ひろ志とかが発掘されています。
マンガ賞の入選、佳作の漫画家がたくさんデビューしています。
昭和40年代後期では「池沢さとし 怪童のひびき」「まんが天使:島田憲司」
二人は対照的でした、画風は島田憲司が好きでした、永島慎二に通じる何かがあったからです。
池沢さとしは望月あきらのアシスタントしてました、貸本時代に単行本も出しています。
のちに「あらし!3匹」カーレーサーの火付け役になった「サーキットの狼」などヒット作を出していますが
島田憲司はめだった作品もなく、消えています。
一時、ちばあきおのアシスタントをやっていたようですが。。
中島徳博「悪友伝」を読んだ時に指の肉質、筋肉がはっきりしていて
インパクトがある画風に個性を感じました。
再起に向けてリハビリ中であると、本で読んでましたが、とても残念です。
早死の漫画家が多すぎます。
ソースから
漫画家の中島徳博(なかじま・のりひろ)氏が8月28日、大腸がんで死去。64歳。
告別式は5日午前10時、横浜市緑区長津田町5125の1横浜市北部斎場。喪主は妻の美知子さん。
鹿児島県出身。1972年から週刊少年ジャンプに連載された、奇想天外な野球漫画「アストロ球団」(遠崎史朗・作)の作画を担当、人気を呼んだ。