ガンバレ、ニッポン

なんか、不安定なニッポンですね。

「在日3世」の私が、韓国で「差別」されて直面した“祖国・韓国”への「強烈すぎる違和感」

2022-08-12 12:54:16 | 韓国
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「在日3世」の私が、韓国で「差別」されて直面した“祖国・韓国”への「強烈すぎる違和感」


在日3世である著者は、日本に住んでいる在日が日本の不満を語っているときに、「日本が嫌いなら帰れば?」と言われるシーンも何度も見てきた。前編記事『「在日3世」の私が、「先進国の日本」から移住してわかった「韓国=後進国」という残酷な現実』では、そんな著者が実際に韓国に移り住んでみたら直面した韓国の“後進国ぶり”について紹介した。

先進国である日本と同じように暮らすのは「100%無理」という韓国だが、道路事情、人付き合いなど以外でも、日本との違いは思っているよりも大きい。韓国で「差別」を受けることもあるという在日3世の著者が直面した「違和感」とは――。

韓国の若者の「夢」が壊される

韓国はソウル首都圏に全人口の約半分が集中している国である。
裸一貫から事業を起こす場合、日本は元手が少額でも金融公庫、銀行、信金など多くの金融機関で差別なく一定の金額の融資を受けられる。融資の審査でも、借り手の夢を聞き、事業内容の可能性を見てくれる場合がある。

事実、筆者も日本で会社を起こす場合、すべて金融公庫と付き合いのある金融機関から借入を何度かしている。
それが韓国の場合、現金、証券、不動産等の担保がなければ一切の融資は受けられない。
日本のように韓国の若者が夢を実現するには、その家庭が中流であっても無理なのだ。

韓国の「スーパー」「ガソリンスタンド」で驚いた

また筆者の故郷は慶尚道の田舎にあるが、絶対にそこに住むこともできない。
日本も田舎の過疎化が進んでるというが韓国は日本以上だと思う。ソウルから郊外、地方に行くと観光地でない限りほとんど“人がいない”のだ。

筆者の故郷はそれでも少し街であるが、日常的に使えるスーパーは無いし、20〜30坪ほどの小さなスーパーはあるが、そこに生鮮の魚は売ってない。

じつは現在、住んでいる近所の小型スーパーにも生鮮の魚は売っていない。大型スーパーに行ってこそ、生鮮の魚が手に入るので、日本のように小型スーパーでも生鮮の魚が買えることを期待してはがっかりしてしまう。

ちなみに、車を持っていても、ハイオクガソリン車だったとするとハイオクガソリンを売るスタンドがほとんどない。
ハイオクガソリンに関してはソウルの街中でも探し回ることになる。

「マンション」も「医療」も…

私が韓国で暮らせないと思った、その圧倒的な理由は不動産だ。
筆者は江南区に住んでいるが、ここで80平米の中古マンションが2億円はくだらない、それ以上なのだ。

チョンセと言う高額な保証金を入れて家賃無しで住むにしても1億2000万円以上する。故郷の慶尚道の田舎でも、購入となると4000万円ほどだ。

医療も先日、首周りのMRIを撮ったら約5万円、もちろん3割負担の健康保険に入っているが保険適用外だった。そのため、韓国では実費保険という少額掛け捨て保険に入り60%ほどの返金を受ける。

MRIの場合、日本では同じ条件で4000〜5000円だったはずだ。
日常生活で日本と比べると、韓国は公共交通網の交通費の割安感以外は、日本以上に負担の多い国だ。

それだけではない。
筆者は、韓国に住んでから、こんな露骨に差別を感じるとは思いもしなかった。

韓国で感じた「差別」

在日は韓国で「パン・チョッパリ(半分日本人)」と言われるが、日本でも在日3世の外国人として暮らす筆者には、祖国であるはずの韓国でのこの雰囲気には違和感と矛盾しかない。
韓国では在日を韓国人と認めてないのか、と愕然とした。

住民登録カードの番号でもすぐわかるように海外在住韓国人は数字で分けられている。

言葉の壁も変にある。片言の韓国語を話す欧米、欧州人に韓国人は優しく対応するが、在日である私はハッキリと馬鹿にされた。
日本では片言を話す外国人の話を聞く場合、何とか理解しようとするが、韓国ではそれが在日とわかると態度が豹変するのだ。

一度、日本の雑誌で韓国でも出版されているファッション誌の韓国人編集長に「よくそんな片言で韓国人と名乗れるな」と言われたことがある。
ちなみに筆者の韓国語は日常会話には支障はなく、その編集長は私よりだいぶ年下である。


日本での幼少時代、長屋に住み祖母、母親が漬けたキムチを近所へお裾分けした時、「こんな臭いもの」と目の前で捨てられたり、幼馴染の日本人に「朝鮮人!あっちいけ!」と小石を投げられたことがある。
それでもバブル以降、体験できる差別というものは日本で感じた事がなかった。それが韓国に行ったら、再び「差別」される感覚に直面したのだからたまったものではない。

筆者は高校時代まで北朝鮮籍を保有し、その後、韓国籍になった在日3世だが、日本での暮らしに何の不満もなかった。

もちろん日本人拉致事件を金正日が認めても、頑なに北朝鮮に固執する人もいる。それでも、仮に金日成主体思想、反日、反韓、反米教育を受けたとしても、日本で住んでいれば「なにかおかしい」と気づくはずだと思うのだ。

筆者は中学高校時代、事ある毎にデモに強制参加させられていた。デモ参加時に子供とわからない様、大人びた服装で来るようにとも指示を受ける。デモに参加しなければ翌日、学校で吊し上げられた。
それは全て従北思想の大人からの指示であった。


日本へ

90年以降、日本に渡って、不満を叫んでいる韓国人を見かけることがある。
彼らも文句を言うのであれば、韓国へ帰れば良いのではないかと思うのだ。
帰れば、親兄弟も友人、知人も居るだろうに、何の責任感で日本にずっといて、海外生活の不満を叫ぶのかが理解に苦しむ。

事実、日本は韓国、北朝鮮以上の暮らしができるから日本に居るのではないだろうか。
そして、住むと決めた以上は、日本の法を守り、また日本の風習に馴染めなければ、不満を垂れ流すより祖国に帰るべきだと筆者は強く思うのだ。
筆者は韓国の日本大使館で1度、自分の立場の確認をしたことがある。

「韓国と北朝鮮の有事の際、我々、在日も日本人同様に引き上げてもらえますか?」
すると、即答で「もちろんです!ご心配なさらずに」と返事が返ってきた。
この時、年甲斐もなく涙目になっていた自分を思い出すのだ。







「在日3世」の私が、「先進国の日本」から移住してわかった「韓国=後進国」という残酷な現実

2022-08-12 12:27:04 | 韓国
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「在日3世」の私が、「先進国の日本」から移住してわかった「韓国=後進国」という残酷な現実

文在寅政権以降、日本でも急激に韓国に関心を持った人は多いだろう。
筆者が日本で暮らした1960年代から2000年代の中でも最悪の日韓関係に陥ったと、韓国にいても感じたものだ。

そもそも日本では2002年、小泉純一郎元首相が訪朝し、拉致事件を金正日に認めさせるまで多くの日本人は朝鮮半島に“ほぼ無関心”であったのではないだろうか。

それもそのはずである。慰安婦問題が持ち上がったのは90年代、徴用問題は2000年初頭なのだ。

韓国に50年以上、不法占拠されている竹島問題も一部の人以外にはあまり関心を持たれてこなかったように感じる。

それが韓国の文在寅政権が慰安婦合意を覆し、徴用問題も再びクローズアップし始めたところから日韓関係はどんどん悪くなっていった。

韓国に住んだら“後進国”だとわかった

それまでは年に約800万人が訪日してた韓国人も激減し、韓国では反日報道、日本では嫌韓的な報道が増えていったものだ。
そこでよく在日韓国人、朝鮮人に対して日本で聞かれたコメントが「日本が嫌いなら帰れば?」である。

たしかに居住した国が本人に取って不満、負担であれば、日本で外国人として暮らす我々は持ってる国籍に従い、祖国に帰れば良いだけである。
筆者の場合、すでに韓国にわたって10年ほど暮らすが、在日にとって韓国は実際はどんな国なのだろうか。果たして、日本より「暮らしやすい」のだろうか。
まず筆者が日韓を行き来していた2009年頃、韓国は世界に先進国としてのアピールを最大限していた。日本で耳に入る韓国の情報は日本と変わりなく住みやすいイメージだった。
しかし、である。まだビジネスで数日滞在する間は感じられなかったが、実際に、韓国に住居を構えて、本格的に住み始めると日本とは比べようもない“後進国”だとわかった。

韓国で出くわした「現実」
まず街並みだが、遠目では立派で綺麗に見えても実際には汚いシーンに多く出くわした。
たとえば、歩道はガタガタ、ビルなどの階段の段差の基準はなく均等ではない

路地の道路には穴があって、暗い夜道を歩くと落とし穴に堕ちる感覚を味わったり、道路標識の一方通行はあってないようなもの……などと、言い出したらキリがない。

そんな韓国を、私は渡韓してくる日本人に「映画のセットのハリボテな国」と説明をする。実際、住んでみたら日本で得ていた情報はまやかしだったのだ。
日本に長く住み、建てつけのしっかりした街並みに慣れている筆者には、韓国の建造物はストレスが多い。

人付き合いでの「苦労」

私にとっては、人付き合いの面でも韓国では苦悩することが多かった。
あれは2011年頃だったと思うが、筆者が韓国の大手新聞社の若手記者たちと会食をする機会があった。

大手新聞社の若手記者といえば有名大学卒で、韓国ではエリートである。
それが、筆者が在日だとわかると記者たちはこぞって「日本人は日韓問題(慰安婦、徴用、竹島)をどう思ってるのか?」と聞いてきたのだ。

私は「日本人はあまり興味を持っていないのではないか」と話した上で、みずからの見解として65年基本条約から何度も日本は公式に謝罪をしていること、徴用は原告が韓国の左派弁護士団体の民弁の誘導で起きている問題であることを説明すると、もうそこに筆者の見解という前提がなくなって“日本大批判”となった。

しかし、そんな記者たちが語る日本批判は、反日教育で得た知識を前提にしたものが多いことにもウンザリとした。今の時代、スマホでググればどんな情報も出てきて事実確認できるのに、すぐに調べればわかるような事実さえ間違っている記者がいたのには閉口した。

日本のように暮らすのは「100%無理」

当然、記者たちの話の事実誤認については論破できるのだが、結局、彼らは都合が悪くなると朝鮮王朝時代の話にまで遡ってうやむやにしてしまった。

ここで一つ気がついたのは、筆者は事実確認をする際に日本語と英語で検索をするが、韓国ではネイバー検索が主流であるということである。そのため、ネイバー検索しかしない韓国人に筆者はよく英語か日本語でGoogle検索することを勧めた。

話を元に戻すと、こういった噛み合わない議論は記者たちに限ったことでは無く、当時もいまも筆者に対して日韓問題を提起して話す韓国人の多くが、論破されそうになると他の話にすり替えるので一度も発展的な議論ができない。

この時の記者たちの事はよく覚えているが、日本を批判しながら腕時計はカシオ、カメラはニコン、キャノン、靴はABCマートと“灯台下暗し”だった。つまり、韓国で日本のように暮らせるかと聞かれれば「100%無理」である。