日本が寛容な国家である。
昭和40年代に多くの朝鮮人密入国者がいた。
新聞でも報道されていた。
これは40年代の少女雑誌からの紹介です。
31ページのマンガです。
韓国の朴大統領夫人や多くの人々の力で8月21日、良淑(りょうしゅく)は法務大臣の仮放免が許可され、大阪の
母の家に引き取られた、、、
とあります。その後彼女はどうなったのでしょうか?
永住の許可は下りていない、日本の法律はそれを許していない、、、
と結んでいます。
日本のTV,マスコミ新聞はこれを美談として取り上げて、漫画化にした。
「オモニもうはなさないで!」
韓国と日本の間には、波高い玄界灘がある、しかし、たたいちずにオモニをしたう良淑(りょうしゅく)ちゃんは、翼のある鳥のように
荒波を飛び越えてきた、そしていま、夢にまで見たオモニの胸になきふした。。。
良淑(りょうしゅく)ちゃんは、1歳4か月の時、母親の良子さんは、日本名は豊田。生活苦から良淑(りょうしゅく)ちゃんを
おいて日本へ渡った。12年ぶりにつかんだ幸せ、しかしこの幸せはいつまでつづくかわからない。
良淑(りょうしゅく)ちゃんは、密入国者だから。。
昭和40年代に多くの朝鮮人密入国者がいた。
新聞でも報道されていた。
これは40年代の少女雑誌からの紹介です。
31ページのマンガです。
韓国の朴大統領夫人や多くの人々の力で8月21日、良淑(りょうしゅく)は法務大臣の仮放免が許可され、大阪の
母の家に引き取られた、、、
とあります。その後彼女はどうなったのでしょうか?
永住の許可は下りていない、日本の法律はそれを許していない、、、
と結んでいます。
日本のTV,マスコミ新聞はこれを美談として取り上げて、漫画化にした。
「オモニもうはなさないで!」
韓国と日本の間には、波高い玄界灘がある、しかし、たたいちずにオモニをしたう良淑(りょうしゅく)ちゃんは、翼のある鳥のように
荒波を飛び越えてきた、そしていま、夢にまで見たオモニの胸になきふした。。。
良淑(りょうしゅく)ちゃんは、1歳4か月の時、母親の良子さんは、日本名は豊田。生活苦から良淑(りょうしゅく)ちゃんを
おいて日本へ渡った。12年ぶりにつかんだ幸せ、しかしこの幸せはいつまでつづくかわからない。
良淑(りょうしゅく)ちゃんは、密入国者だから。。
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