未来への絆 【江戸っ子畳職人物語】

この物語は畳の仕事や日々の暮らしを通し
      家族の愛と信頼を
  余すところ無くブログ化したものでる。

町は墨田川花火大会。家ではヘリコプターとのにらみ合い祭り。

2008年07月26日 18時12分27秒 | 今日の祭り

本日、「江戸っ子の日」にて宜しくお願い致します。

隅田川花火大会

時代の流れの大きな波により消された花火大会
歴史ある隅田川の花火は全国に知れ渡っている。今に伝わる「隅田川花火大会」の名称は昭和53年からと意外と新しい名称なのです。では、その前の名称はと言うと「両国の川開き」が呼び名として昭和36年まで使用され翌年(昭和37年)交通事情の悪化に伴い開催されなくなりました。

時が経ちビルの谷間に開いた大きな花火、昭和53年「隅田川花火大会」と名を改め、ビルで囲まれた隅田川で復活しました。また、打上場所もさらに上流へ移動し、打上会場も2ヶ所となりより多くの方々に観ていただける配慮が施されました。
復活に至るまでには、多くの時間と協力いただいた諸父による「江戸風情」を楽しむ娯楽復活への想いのたまものです。

墨田川花火大会 公式サイト参照

今日は夏の風物詩、墨田川花火大会だぜ。ボウズの頃より慣れ親しんだ花火大会。

毎年、色々な出来事が思い出に残りやす。今では若干、幸いな事に

家から見ることが出来やすが、昔は、良く友人と場所とりなんかをして

みんなで大いに盛り上がりやした。

ある意味地元の人間でも、過酷な花火大会。ある年では

地下鉄で浅草橋から浅草までいった時、浅草のホームから地上に上がるまで

40分掛かったこともあり、地上に出ると、空気の色が怒りに満ち溢れて

やがるかのごとく、ししめき合ったカタチ。二度と花火大会の時は

地下鉄に乗らねぇ事を決意した。

又、別の年やなんかでは、余りにも打ち上げ会場の近くに、陣取りすぎて

首がつって鞭打ちカタチに進展。喰い物や飲み物も

花火のカスとでもいうんだろ~ か?灰だらけになりやがった記憶もあるぜ。

ここんとこでは、自宅から、観覧してるけどよ、おめぇ、花火の音は聞こえず

ヘリコプターの音しか、聞こえゃしねぇよ。見えるだけでも贅沢けど、おめぇ

俺は四六時中ヘリコプターと無言のにらみ合いを展開中だぜ。

ねぇはともあれ、花火大会が、何事も無く無事に、色々なヤツラに

いい 思い出になれれば、嬉しいねぇ~  煙が充満して見えなく成る時もあります。

適度な風がしつようですね

P.S

(しとね)

平安時代より使われた殿上人の敷物で現在では寺院などで使われています。茵は、歴史の中で綿入りの畳から、現在の布団と稲藁で造られた畳に分かれる原型であったことが窺(うかが)えます。

大変遅くなりまして、申し訳ございません。幾度と無く、試作を繰り返し、やっと少しづつ

完成に近づいて参りました。畳職人として、このようなお仕事をさせて頂きまして

感謝の気持ちで一杯です。あと少し、気を抜かず、精一杯、製作に当たらせて頂きます。

宜しくお願い致します。