京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

定年退職前に考えていたことー2

2013-05-18 14:05:27 | 定年後生活
3月末に退職するまで、定年後の生活のあれやこれやと長いこと考えてきましたが、結論は、普通に生活して一日が終われればいいじゃないかと思うようになりました。
普通の生活とは、朝起きて洗濯、掃除、食事(買い物、食事作り、後片づけ)などの家事全般です。そして適度に身体を動かし、時には好きなこと(旅行や美術館や庭園めぐりなど)をして過ごす生活のことです。
俗人の私にはなかなかできそうもありませんが、他人に知られずわずかな陰徳を積む。そんな生活できれば極上のように思えてきます。
若いときはそんなことは考えたこともありませんでした。歳を重ね少しは菩提心もでてきたのかもしれません。
宮沢賢治の「雨にも負けず」が脳裏をかすめます。

雨にも負けず、風にも負けず、雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な体をもち、
欲はなく、決して怒らず、いつも静かに笑っている。
一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ、
あらゆることを自分を勘定に入れずによく見聞きし、分かり、そして忘れず
野原の松の林の陰の小さな茅葺きの小屋にいて、
東に病気の子供あれば行って看病してやり、
西に疲れた母あれば、行ってその稲の束を負い、
南に死にそうな人あれば行って、怖がらなくていいと言い、
北に喧嘩や訴訟があればつまらないからやめろと言い、
日照りのときは涙を流し、寒さの夏はおろおろ歩き、
みんなに木偶坊と呼ばれ、褒められもせず、苦にもされず、
そういうものに私はなりたい。
南無無邉行菩薩 南無上行菩薩 南無多寳如来 南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏 南無浄行菩薩 南無安立行菩薩

私のような俗人には、この詩のような境涯に立つことは到底できそうにありませんが、どこかに憧れる気持ちがあります。
定年後をどう生きるかは、心の持ちようが大きいと思います。
あれもしたい、これもしたい、趣味に旅行にと思っても、結局はつきることのない願望に振り回されているだけのようです。
他人と比較してもはじまらないし、他人の評判を気にしても仕方ありません。
また私は、定年後は居住まいをできるだけ質素に、できるだけ物は処分するようにしようと考えています。
長い間使わずにあるものをいつまでも未練がましく置いておくのは、無様に思えます。
60年の間に背負ってきたものを、定年後は少しずつ、肩から荷を下ろしていくつもりです。

春の花たちの写真をアップしておきます。






定年退職前に考えていたこと

2013-05-18 09:10:56 | 定年後生活
私は2013年3月末に60歳で定年退職しました。
定年前の1,2年間は、退職後の時間の過ごし方に不安を覚え、何をしようか、一日どんなことをして時間を費やそうかなど無益に思案することが多くありました。
読書や映画、美術鑑賞など好きですが、のめり込むほどの趣味ではありません。若い頃は絵を書いていたので、妻は絵でも始めればとアドバイスしてくれました。
また陶芸も一時真剣に考えましたが、現役時代は忙しく、陶芸教室に通うこともできず、陶芸を始めるチャンスに巡り会えていません。
多くの人があこがれる晴耕雨読ですが、現実はなかなか困難です。
私は田舎出身なので、農業には興味があります。お米をつくるのは大変なことはわかっていますので、退職後はできれば簡単な野菜などをつくれる畑があればと思い、物色しましたが、身近なところでは無理でした。
私たち夫婦は、結婚以来共働きでしたが、家事のほとんど全ては妻任せでした。料理もほとんどできませんでした。でも、2年ほど前から、料理ぐらいはできるようになりたいと思い、料理本片手につくってみると案外簡単にできることがわかり、今では普通の献立はできるようになりました。
私は退職しましたが、妻にはまだ働いてもらっていますので、せめてもの償いではないですが、晩御飯は私が作って、帰宅後すぐあたたかいご飯を食べてもらえるようにしています。
もっとレパートリーを広げたいので、料理教室を探していますが、教室は女性ばかりで入会をためらっています。
また、定年前に大きな不安は、なんといっても経済的な点です。
私はぎりぎり60歳から厚生年金の比例報酬部分が支給されます。でも支給額はしれています。とてもではないですが、それだけではとても生活できません。
会社の就業規則では、私が希望すれば65歳までは雇用延長が認められるので、延長も考えました。でも、役職にあったものが定年後も職場に残っていると、若い職員がやりにくいだろうと思い退職することにしました。
今は厚生年金と企業年金、不足分は貯蓄を取り崩していくつもりです。時には妻に頼ることもあるかもわかりません。
私たち夫婦には三人の子供がいますが、みんな結婚し、借金返済も定年前に終わりましたので、あとは何とか生活できればいいと思っています。
その一方で、年金と貯蓄で暮らすというのはどういうことなのだろうと考えることがあります。私も定年退職したとはいえ、地に足をつけたことをしなければという強い思いに駆られることがあります。こういう気持ちは迷いと言うのでしょうね。
百丈和尚の「一日昨さざれば一日喰らわず」という禅語があります。食べていくには働かないといけないくらいにしか考えていませんでした。
最近は、一日を精一杯生きること、生きることは働くこと、そして食事をつくるのも、食べるのも、掃除も、眠ることも一生懸命になることだと思うようになりました。
勝手な解釈で禅僧には怒られそうですみません。
でも、そう考えると気持ちがずいぶん楽になり、迷いも消えていきます。
ということで、現在、主夫業見習い修行中です。

東福寺方丈庭の写真です。ここも好きな庭のひとつです。