3月末に退職するまで、定年後の生活のあれやこれやと長いこと考えてきましたが、結論は、普通に生活して一日が終われればいいじゃないかと思うようになりました。
普通の生活とは、朝起きて洗濯、掃除、食事(買い物、食事作り、後片づけ)などの家事全般です。そして適度に身体を動かし、時には好きなこと(旅行や美術館や庭園めぐりなど)をして過ごす生活のことです。
俗人の私にはなかなかできそうもありませんが、他人に知られずわずかな陰徳を積む。そんな生活できれば極上のように思えてきます。
若いときはそんなことは考えたこともありませんでした。歳を重ね少しは菩提心もでてきたのかもしれません。
宮沢賢治の「雨にも負けず」が脳裏をかすめます。
雨にも負けず、風にも負けず、雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な体をもち、
欲はなく、決して怒らず、いつも静かに笑っている。
一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ、
あらゆることを自分を勘定に入れずによく見聞きし、分かり、そして忘れず
野原の松の林の陰の小さな茅葺きの小屋にいて、
東に病気の子供あれば行って看病してやり、
西に疲れた母あれば、行ってその稲の束を負い、
南に死にそうな人あれば行って、怖がらなくていいと言い、
北に喧嘩や訴訟があればつまらないからやめろと言い、
日照りのときは涙を流し、寒さの夏はおろおろ歩き、
みんなに木偶坊と呼ばれ、褒められもせず、苦にもされず、
そういうものに私はなりたい。
南無無邉行菩薩 南無上行菩薩 南無多寳如来 南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏 南無浄行菩薩 南無安立行菩薩
私のような俗人には、この詩のような境涯に立つことは到底できそうにありませんが、どこかに憧れる気持ちがあります。
定年後をどう生きるかは、心の持ちようが大きいと思います。
あれもしたい、これもしたい、趣味に旅行にと思っても、結局はつきることのない願望に振り回されているだけのようです。
他人と比較してもはじまらないし、他人の評判を気にしても仕方ありません。
また私は、定年後は居住まいをできるだけ質素に、できるだけ物は処分するようにしようと考えています。
長い間使わずにあるものをいつまでも未練がましく置いておくのは、無様に思えます。
60年の間に背負ってきたものを、定年後は少しずつ、肩から荷を下ろしていくつもりです。
春の花たちの写真をアップしておきます。
普通の生活とは、朝起きて洗濯、掃除、食事(買い物、食事作り、後片づけ)などの家事全般です。そして適度に身体を動かし、時には好きなこと(旅行や美術館や庭園めぐりなど)をして過ごす生活のことです。
俗人の私にはなかなかできそうもありませんが、他人に知られずわずかな陰徳を積む。そんな生活できれば極上のように思えてきます。
若いときはそんなことは考えたこともありませんでした。歳を重ね少しは菩提心もでてきたのかもしれません。
宮沢賢治の「雨にも負けず」が脳裏をかすめます。
雨にも負けず、風にも負けず、雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な体をもち、
欲はなく、決して怒らず、いつも静かに笑っている。
一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ、
あらゆることを自分を勘定に入れずによく見聞きし、分かり、そして忘れず
野原の松の林の陰の小さな茅葺きの小屋にいて、
東に病気の子供あれば行って看病してやり、
西に疲れた母あれば、行ってその稲の束を負い、
南に死にそうな人あれば行って、怖がらなくていいと言い、
北に喧嘩や訴訟があればつまらないからやめろと言い、
日照りのときは涙を流し、寒さの夏はおろおろ歩き、
みんなに木偶坊と呼ばれ、褒められもせず、苦にもされず、
そういうものに私はなりたい。
南無無邉行菩薩 南無上行菩薩 南無多寳如来 南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏 南無浄行菩薩 南無安立行菩薩
私のような俗人には、この詩のような境涯に立つことは到底できそうにありませんが、どこかに憧れる気持ちがあります。
定年後をどう生きるかは、心の持ちようが大きいと思います。
あれもしたい、これもしたい、趣味に旅行にと思っても、結局はつきることのない願望に振り回されているだけのようです。
他人と比較してもはじまらないし、他人の評判を気にしても仕方ありません。
また私は、定年後は居住まいをできるだけ質素に、できるだけ物は処分するようにしようと考えています。
長い間使わずにあるものをいつまでも未練がましく置いておくのは、無様に思えます。
60年の間に背負ってきたものを、定年後は少しずつ、肩から荷を下ろしていくつもりです。
春の花たちの写真をアップしておきます。