無職たる身、現役のときより本を読む時間は多くあります。
つい最近、本を読んでいたら、論語の為政篇に、
吾十有五にして学に志し (志学 しがく)、 三十にして立つ (而立 じりつ) 、
四十にして惑はず (不惑 ふわく)、 五十にして天命を知る (知命 ちめい) 、
六十にして耳順ひ (耳順 じじゅん) 、
七十にして心の欲する所に従ひて矩を踰えず (従心 じゅうしん)とありました。
吾(孔子)は、
15歳で学問に志し、
30歳で自信がつき 自立できるようになり、
40歳で心に惑いがなくなり、
50歳で天の使命を知り得るようになり、
60歳で耳にどんな話が聞こえても動揺したり、腹が立つことは なくなり、
70歳になると、自分が行うすべての行動は、道徳の規範から 外れることはなくなった。
というのです。
私はいま60歳です。
動揺も腹の立つことがない「耳順」の心境にはほど遠いです。
ましてや、心に惑いがなくなるという「不惑」にも至っていません。
論語は昔、教科書で習った記憶があります。
その時は、漠然と人間は精進すれば、こういう境地になれるのかなと思っていました。
そして、年がいけば、いわゆる煩悩というものが、ある程度自然に、
抜け落ちていくのかなと思っていました。
しかし、私が60歳になり、わが身をふりかえれば、
煩悩血気盛んなことを思い知ります。
われわれ凡人は、生涯煩悩と縁が切れないようです。
これが現実ですから、受け止めざるをえません。
梅雨の一日、本を読んで、そんなことに思いをめぐらせていました。
前向きに定年後生活が送れればと思う次第です。

家の庭にムクゲが咲き始めました。