京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

東寺の弘法市

2016-05-22 05:28:24 | 京都めぐり


昨日は21日、東寺の縁日弘法市の日です。
元来縁日は神仏がこの世と縁を持つ日とされ、この日に参詣すると大きな功得があるといわれています。
東寺では空海が亡くなられた21日、御影堂で行われる御影供のことを指しています。
当初は年1回だったものが1239年以降は毎月行われ るようになったそうです。
多くの人が訪れると茶店が立ち、現在では多くの露店が立ち並ぶ縁日となっています。
境内の隅々に多くの露店が並び、毎月約20万人ほどの人が訪れています。

私が東寺に着いたのは7時半です。





西門より入ります。






日中は大混雑しますが、朝早いうちは空いています。





蓮池と五重塔





まず向かったのはよく草花を購入する花や植木のエリアです。









気に入った山野草があると購入します。










日中は通路が人でごった返し歩けなくなります。





ここには食べ物、骨董、仏具、焼き物など何でもあります。




















六文銭の茶渋染物





露店を見て歩くだけで楽しいです。















漬け物やさん、私もときどき買い求めます。










修業大師さまへの参拝が多いです。










南大門前の歩道にまで露店がでています。
















最後に不二桜と五重塔





京都で弘法市と並んで人出が多いのが、毎日25日北野天満宮の天神市です。
最近は骨董などを買い求める欧米人もよく目にします。




わが家の薔薇、紫陽花など

2016-05-21 14:53:51 | 花めぐり2016

今の季節は薔薇がきれいで散策中に軒先の薔薇をで楽しんでいます。
わが家にも薔薇は少しだけ植えているのですが、陽当たりの良い南庭は終わりました。
今北庭の薔薇が終盤ですがまだ咲いています。

もともとは黄色でしたが、今は変色しています。













ミニバラを這わせましたら今では5mほどになりました。










薔薇の近くに夏菊が開花しました。
薔薇と同じような色で妻に教えてもらい気づきました。





北庭に二種類の紫陽花も植えています。
今咲いている紫陽花





ユキノシタそろそろおしまいです。
























新緑の下鴨神社

2016-05-21 05:25:01 | 京都めぐり

昨日散策に向かったのは葵祭の終わった下鴨神社です。
ここの長い参道は緑一面の景色ですが、新緑のこの時期は格別に美しいです。
西参道より入り、本殿まわり→泉川散策→表参道→南鳥居→馬場→西参道のコースです。


西参道の鳥居





本殿中門





輪橋(そりはし)と光琳の梅
尾形光琳がこのあたりを描いた国宝「紅白梅図屏風」にちなんで光琳梅と呼ばれています。





輪橋と御手洗川





舞殿





楼門










南口鳥居





緑深い表参道





表参道を少し外れ平安時代の流路がある散策路を歩きます。










泉川





新緑がきれいです。





表参道に戻ります。










表参道の入口





表参道前のマンション建設が進んでいます。
なにか複雑な心境です。





馬場です。
5月3日には流鏑馬神事が行われます。
また葵祭の行列も通ります。










鴨社神宮寺池跡
平安時代嵯峨天皇の勅願寺として建立された寺の池跡、今は子どもたちの遊び場になっています。





西参道にもどり帰宅の途につきます。







北嵯峨野ぶらり散策

2016-05-20 05:28:04 | 花めぐり2016

昨日朝向かったのは広沢池です。
広沢池から直指庵までの北嵯峨野を歩きます。

広沢池、遠くに見えるのは愛宕山
















ここから直指庵までのぶらり散策
道すがらの草花や民家の軒先の花を撮影しながら歩きます。








































八月の五山の送り火の一つ鳥居、ズームしてみます。










農作業の耕運機















竹林です。





宮内庁の墓所があります。










民家の軒先の花も撮影させていただきました。






























紅葉がきれいな直指庵の山門です。
拝観開始時間前で閉まっています。





















季節の草花を撮影しながらの散策は時間を忘れてしまいます。




『 安田靫彦』日曜美術館

2016-05-19 16:02:20 | 美術・博物館

先日の東京美術館めぐりで、時間があれば行きたかった展示会がありました。
東京国立近代美術館で開催された(~5/15)「安田靫彦展」です。
私は邪馬台国の女王卑弥呼、万葉の歌人額田王など古代のロマンあふれる歴史上の人物を描き続けた作品が気に入っています。
先日日曜美術館でも取り上げられましたので是非にでもと思ったのですが、
時間の関係で上野公園の美術館に絞らざるを得ませんでした。





「遣唐使」(明治33)

安田靫彦は若いときから古代を描く達人でした。
歴史画家のもとで学んでいた16歳の作品です。
晴れがましい名誉を授かった遣唐使、しかし描いたのは危険な航海に旅立つその身と、
家族の別れの場面です。





当時西洋化の波が絵画にも押し寄せていました。
岡倉天心に才能を見いだされた靫彦は日本美術院に招かれます。
23歳のとき岡倉天心のはからいで奈良で学び始めます。
そこで生涯描き続ける理想の美と出会います。
法隆寺金堂壁画です。

靫彦の金堂壁画模写





「夢殿」(大正元年)

仏教の経典の解釈に悩む聖徳太子、夢殿にこもり瞑想にふけっていると、
金色に輝く僧侶があらわれ教えを授けたという伝説の一場面です。





「居醒泉」(昭和3年)

日本の美に流れる澄みきったものをめざします。
生死の境をさ迷った日本武尊が泉の水でよみがえった場面です。





「風神雷神図」(昭和4年)

構図は俵屋宗達の風神雷神ですが、全く似ていません。
人間のようです。















「黄瀬川陣」(昭和15ー16)

靫彦50代の大作、近代日本画史上最高の傑作とも言われている作品です。
平安時代末、兄源頼朝と生き別れになっていた弟義経との劇的な再開の場面です。










時代は太平洋戦争の直前

「孫子勒姫兵」(昭和13)

中国の兵法家孫子が宮中の女性たちを集めて訓練をした逸話です。





「卑弥呼」





「鬱金香」(昭和25)





「飛鳥の春の額田王」(昭和39)
万葉の時代に生きた女性、額田王です。





「出陣の舞」(昭和45)織田信長






「草薙の剣」(昭和48)

火に囲まれた日本武尊が草薙の剣をふりかざし難を逃れようとしています。
激しい炎のなか妃を守ろうとしています。
安田靫彦89歳の作品です。





歴史人物を描いた画家ですが、私は澄みきって凛とした美しい画風にとても惹かれます。





















南禅寺天授庵、南禅院

2016-05-19 05:26:44 | 花めぐり2016

京都国立博物館で『臨済禅師1150年 白隠禅師250年遠諱記念 禅心をかたちに』が開催(~5/22)されていますが、この期間、春の禅寺一斉拝観行われています。
私が向かったのは南禅寺天授庵と南禅院です。
風薫る五月と言われますが、今年は特に暑く真夏日直前の気温が続いています。
昨日の京都市内は29.6度まで上がりました。

南禅寺三門
まだ新緑の時期ですが緑が濃くなってきました。









天授庵に入ります。
















本堂前庭(東庭)
枯山水で正門から本堂への石畳は幾何学的です。










書院南庭にまわります。
こちらは鎌倉末期から南北朝時代の特色を備えた庭園です。










池に映る新緑がとてもきれいです。














大小の出島がある池です。















天授庵を出て南禅院に向かいます。





南禅院は水路閣に隣接しています。





南禅院本堂前庭





池泉回遊式庭園を歩きます。





青苔がきれいになってきました。














池に映る新緑はきれいです。





カキツバタ





本堂の襖絵

















『禅ー心をかたちに』京都国立博物館

2016-05-18 05:26:29 | 美術・博物館

京都国立博物館で『臨済禅師1150年 白隠禅師250年遠諱記念 禅心をかたちに』が開催されています。
私も不真面目ながら禅寺に足を運んでいますので展示会を楽しみに行ってきました。





今回の展示会は前期と後期に分けて書や絵画、仏教彫刻から茶の湯の道具など、国宝19件、重要文化財103件を含む226件が展示されています。
日本文化を形作ってきた多彩な作品にふれることができます。





国宝「慧可断臂図(えかだんぴず) 」雪舟等揚筆 室町時代(1496)

達磨が少林寺で岩壁に向かって坐禅を組んでいます。
そこへ後も慧可がやってきて参禅を乞うのですが、達磨は一向に振り向きません。
ひたすら達磨の応答を待ちます。
雪が降り慧可の膝が雪に埋もれてもなお振り向きません。
ついに慧可は自分の左肘を切り、達磨に差しだします。
絵はその瞬間を描いています。





達磨と慧可のこういうやりとりがあります。
慧可「私の心は安らかではありません。どうか私を安心させてください」
達磨「その不安な心をここへ持って来るがよい。安心させてやろう」
慧可「不安な心を探し求めましたが、全く得ることができません」
達磨「そうか、お前のために安心させてやったぞ」
皆さまいかがでしたでしょうか。

国宝「秋冬山水図」雪舟等揚筆 室町時代



禅宗の初祖達磨は6世紀の初めインドから中国に渡来し、教えは慧可(二祖)、慧能(六祖)へと伝えられます。
そして慧能の法系から多くの高僧が現れ、その一人臨済義玄(?~866)の教えが今日のわが国の臨済宗と黄檗宗に伝わっています。

国宝「瓢鯰図」大巧如拙筆 室町時代 妙心寺退蔵院

鯰は「真実の自己」です。その鯰を瓢箪で押さえようとしても到底無理です。
「真実の自己」仏心をよそに求めても得られないという意味です。





「七仏通戒偈」一休宗純筆

諸悪莫作、衆善奉行と書かれています。
悪いことをせずに善行を行うという意味ですが、実際は言うは安し行うは難しです。





「遺誡」 一休宗純筆 室町時代

私が死んだあと山中に籠ったり、私を真似て酒屋や淫坊に出入りして禅の講釈をたれるのは「仏法の盗賊」「わが門の御敵」と書かれています。





「達磨像」白隠慧鶴

日本の臨済宗中興の祖白隠慧鶴(1686~ 1768)は数千枚の達磨像を書いていると言われています。そのなかでも有名な絵です。
賛に「直指人心見性成仏」と書かれています。
誰でも心の中に仏がいる。それを見つければ悟り、仏になれる。





「慧可断臂図」 白隠慧鶴

もう一枚近年真筆と判定された作品です。
円相の中に達磨の顔、左腕を切ろうとする慧可。
賛には腕を切って達磨に入門し悟ったかもしれないが、立派な体に傷をつけて、、、と書かれています。





鎌倉時代にもたらされた禅宗は日本の社会と文化に大きな影響を与えました。
最近では欧米にも「ZEN」の思想が広がっています。
私が尊敬する東福寺の故福島慶道管長はよくアメリカに禅の指導に行っておられました。
禅の教えは言葉や文字によらず、師から弟子へ以心伝心で受け継がれています。

私どものような凡人には悟りは到底無理で、私は精神安定のために禅寺通いをしています。


この展示会は5月22日までで、秋に東京で開催されます。





ラビアンローズ

2016-05-17 15:13:54 | 花めぐり2016

今日はバラ投稿が続きます。
JR 嵯峨嵐山駅を南に下がったところにラビアンローズというカフェがあります。
ここはバラがとてもきれいな庭園があり、訪れる人を魅了します。
バラが見頃になった朝に訪れました。
カフェの開店は10時、私が着いたのは8時半早すぎました。
オーナーの方がバラの手入れをされておられたので、許可を得てお庭を撮影させていただきました。


































色とりどりのバラに感激しながら撮影します。













































お店の案内です。





バラを見ながらのコーヒーやケーキ、今度の楽しみにしましょう。





バラ満開、アジサイ、季節の山野草

2016-05-17 05:27:48 | 花めぐり2016

植物園のバラが見頃です。
多くの品種が咲き誇り、華やかな景色になっています。
バラの香りが鼻腔を刺激します。





アラベスク





ゴルデルゼ





ヘンリーフォンダ










マルチダ





ラベンダードリーム





ゴールデンボーダー





丹頂










ケアフリーワンダー





嵐山





光華





聖火





アジサイは六月が見頃になりますが、少しだけ花をつけています。

ヤマアジサイ










ロゼアも開花しています。





コアジサイ





今咲いている山野草です。

ニッコウキスゲ





オオバウマノスズクサ





ユキノシタ
わが家も咲いています。





ハミョウガ





シライトソウ





ヤマボウシ





ガクウツギ





イロウマアサツキ





クサタチバナ





最後に新緑です。















カモ










蝶々もあちこちで見かけるようになりました。





これから紫陽花、花菖蒲が楽しみになります。



葵 祭 2016

2016-05-16 05:09:12 | 京都めぐり

昨日は京都の三大祭りの一つで最も歴史のある葵祭でした。
葵祭は「賀茂祭」とも言われ、起源は6世紀に遡ります。
祇園祭同様、歴史と伝統に彩られた祭りです。
葵祭の行列は京都御所を10時半に出発し、下鴨神社で「社頭の儀」を行い、
上賀茂神社に向かいます。
私は昨年は京都御所でしたが、今年は暑さを避け下鴨神社から上賀茂神社に向かう賀茂街道にしました。

私の撮影場所は鴨川をはさんで植物園、半木の道の反対側です。
緑の木々に囲まれて涼しいです。右上は比叡山です。





葵祭の行列は本列と斎王代列に別れ、本列は勅使代が中心です。
斎王代列は女人列とも呼ばれています。
15時、本列の行列を先導する検非遣使の役人が見えてきました。
位の高い者が、馬に乗っています。





皆さん足袋に草鞋です。歩き心地はどうなのでしょうか。















牛車、俗に御所車と呼ばれ勅使の乗る車が見えてきました。
藤の花などを軒に飾ります。




















風流傘です。
大傘の上に牡丹や杜若など、季節の花が飾り付けられています。





行列に参加される方はフタバアオイを身につけています。
行列開始から時間がかかったので萎れています。










皆さんが目当ての斎王代の行列です。
最初に先導するのは、女官です。










斎王代です。
平安時代は内親王が選ばれましたが、現在は未婚の市民女性から選ばれます。










斎王代の後の行列です。




















斎王代の牛車で、俗に女房車とも呼ばれています。
葵の花の他、桜や橘の花で飾り付けられています。





この牛車が最後になります。





行列の後大勢の方が鴨川散策道路に降りています。





鴨川にブロックが敷かれ対岸の植物園に渡ります。





鴨川で水遊びする子どもたち。





京都は葵祭が終わるとすっかり初夏の装いに変わります。






モネ、ルノワール、マネ、シスレー、ピサロ 、セザンヌ

2016-05-15 16:37:43 | 美術・博物館

先日の東京美術館めぐりで『カラヴァッジョ展』を見た後、国立西洋美術館の常設展に入りました。
西洋美術館だけあって、多くの西洋絵画、彫刻などが展示されています。
会場をまわりはじめ、常設展会場は写真撮影が可能なのに気づき、フランス印象派を中心に何枚か撮影しました。





クロード・モネ 「睡蓮」1916





クロード・モネ 「雪のアルジャントウイユ」1875





クロード・モネ 「ラ・ロシュ=ギュイヨンの道」1880





クロード・モネ 「舟遊び」1887





クロード・モネ 「黄色いアイリス」1914ー17





クロード・モネ 「しゃくやくの花園」1887





クロード・モネ 「陽を浴びるポプラ並木」





クロード・モネ 「ヴエトウイユ」1902





会場内は観客も少なくゆったりしています。





ピエール=オーギュスト・ルノワール
「アルジェ風のパリの女たち(ハーレム)」1872





ピエール=オーギュスト・ルノワール「帽子の女」1891





ピエール=オーギュスト・ルノワール「横たわる浴女」1906





ピエール=オーギュスト・ルノワール「ばら」





エドアール・マネ「ブラン氏の肖像」1879





アルフレッド・シスレー「ルーヴシエンヌの風景」1873





カミーユ・ピサロ「立ち話」1881





カミーユ・ピサロ「収穫」1882





ポール・セザンヌ「ポイントワーズ橋と堰」1881





ピエール・ビュヴイス・ド・シャヴァンヌ「貧しき農夫」1887ー92





パブロ・ピカソ「アトリエのモデル」1965





オーギュスト・ロダン「カレーの市民」1884ー88











奥嵯峨散策ー化野念仏寺、嵯峨鳥居本

2016-05-15 05:33:16 | 京都めぐり


祇王寺を出て奥嵯峨野の街道を歩きます。
途中クレマチスが咲いていました。





人力車がお客さんを乗せて案内しています。
少し上り坂になっていて、人力車をひく若いお兄さんは汗だくです。
奥嵯峨まで人力車で来られるのはあまり見ない光景です。









化野念仏寺に入ります。





ここは東山の鳥辺野、洛北の蓮台野と並ぶ平安時代以来の墓地、風葬の地です。





受付を通ると目に入る景色








多くの石仏です。





















西院の河原
八千体を越える石仏、石塔は往古化野一体に葬られた方々のお墓です。
何百年もの間で無縁仏となり散乱埋没していた石仏を明治中期、地元のひとびとが集めて
祀ったものです。
毎年8月23,24日、無縁仏の霊にローソクをお供えする千灯供養が行われます。
幻想的な景色になります。





竹林の径





座標がありました。
標高は95.379mです。





御本像の阿弥陀如来像
きれいなお顔です。鎌倉彫刻の秀作とされています。





社務所のいけばな
黒ロウバイです。




















化野念仏寺を出て嵯峨鳥居本に向かいます。
途中、子どもの日は終わりましたが、鯉のぼりが吊るされています。





鳥居本の茶屋つたやと平野屋










今回はここまでで終わりです。






五月の祇王寺

2016-05-14 05:23:07 | 京都めぐり

先月の嵯峨野散策は時間の都合で祇王寺まででした。
今回は祇王寺から化野念仏寺、嵯峨鳥居本まで歩きます。
新緑がもっとも美しいのはやはり五月です。

祇王寺入口









受付を通ると緑一色の苔庭が広がります。















山門





新緑、青もみじ、苔が美しい景色です。

























新緑の祇王寺に足を運ぶ観光客も増えてきました。










シライトソウです。
















茅葺きの草庵





最後にもう一度青もみじ





このあと奥嵯峨を歩きます。



東京美術館めぐり

2016-05-13 05:30:27 | 美術・博物館

昨日京都駅を始発の新幹線に乗り、東京(上野)に向かいました。
前日までの悪天候がうそのような快晴です。

新幹線からの富士山




上野駅に到着したのは8時41分。
今回の東京は上野公園内の美術館に絞りました。
すぐに向かったのは東京都美術館『生誕300年記念 若冲展』です。
大人気で混雑するとは聞いていましたが、予想をはるかに超える大行列です。
東京恐るべし、 若冲恐るべしです。
一瞬怯みましたが、今回の美術館めぐりのメインです。大行列に並びます。





展示会場内も非常に混んでいます。
伊藤若冲(1716-1800)の初期から晩年までの代表作が展示されています。
若冲が京都相国寺に寄進した「釈迦三尊像」3幅と「動植綵絵」30幅が東京で一堂に会すのは初めてです。

「孔雀鳳凰図」

この一対の花鳥画は83年ぶりに発見されたものです。
絵師になって間もない40歳前後の作品と考えられ、色の鮮やかさは見事です。





「鳥獣花木図屏風」

これほど前衛的な作品は美術史上例がないとも言われています。
70種類以上の動物がひしめいています。
驚くのはモザイク状の画面です。1cm四方の升目を塗って絵にしています。










「南天雄鶏図」

真っ黒な鶏の鮮やかな鶏冠、南天の実の燃えるような赤に目が奪われます。




「果蔬涅槃図」

とうもろこしの葉や蕪の下に大根が捧げられるように置かれています。
若冲はこれを釈迦の姿「涅槃図」になぞらえました。





本当に素晴らしい出来映えに感激です。
私たちが美術館を出るときには3時間待ちの表示です。

次に向かったのは 東京国立博物館『生誕150年 黒田清輝日本近代絵画の巨匠』です。
日本美術の近代化に力を尽くした 黒田清輝の大回顧展です。
師コランやミ レーなどフランスで出会い導かれた作品と留学時代や帰国後の代表作が展示されています。





会場に入るまでの待ち時間はなかったのですが、やはりこれも人気の展示会です。
会場内はいっぱいです。





「読書」




「湖畔」





重要文化財「智・感・情」




このあと、東京国立博物館のもうひとつの特別展『黄金のアフガニスタン』です。
古くから『文明の十字路』として栄えシルクロードの拠点として発展したアフガニスタンですが、古代遺跡から発掘された貴重な文化財は、ソ連による軍事介入やそれに続く内戦で崩壊の危機にありました。
その危機からアフガニスタン国立博物館の職員たちは必死に守り続けられていました。
人類の貴重な遺産・秘宝231件が展示されています。
見事な金づくしにビックリです。










最後は国立西洋美術館『カラヴァッジョ展』です。
カラヴァッジョ(1571ー1610)は 16世紀の終わりローマに彗星のごとく現れ、
西洋絵画の歴史を一変させた天才であり、さらには驚くべきに殺人者です。
今回日本で初めて公開された、闇のなかに画かれた聖女の絵「法悦のマグダラのマリア」は必見です。





「女占い師」1597年

手相を見るふりをして指輪を盗んでいる光景




「バッカス」1597ー98年頃

ローマの神話に登場する酒の神です。
熟した果物の前に怪しい表情を浮かべる青年は カラヴァッジョ自身だと言われています。





「法悦のマグダラのマリア」1606年

キリストの死と復活を見届けたと言われる聖女です。
それまでカトリックでは娼婦であったという伝承から罪深い女性とされながら、
魅力的な肉体をもつ怪しげな美女として表されてきました。
カラヴァッジョは祈りの果てに神と繋がった一瞬を闇に溶けていくように画いています。
まるで闇に救いを求めているようです。





この後西洋美術館常設展の作品を見て帰宅の途につきました。
慌ただしい日帰りの美術館めぐりでしたが、とても充実した一日でした。



『黒田清輝』日曜美術館

2016-05-12 07:03:32 | 美術・博物館



先日の日曜美術館は日本近代絵画の父と呼ばれる黒田清輝 (1866~1924)が取り上げられました。
現在東京国立博物館で「生誕150年 黒田清輝─日本近代絵画の巨匠」が開催されています。
私の好きな画家のひとりで、本日はぜひ見に行きたいと思っています。
黒田清輝は明治大正にかけ西洋画を日本に根付かせようと奔走した画家であり、
同時に西洋画を日本に根付せるため、 裸体画問題と格闘し続けた人生でもありました。
今回の放送は裸体画を中心に取りあげられました。





黒田清輝は明治17年17歳で法律を学ぶためにパリに留学します。
しかし19歳にとき画家になることを決意します。
黒田が師事したのはラファエル・コラン裸婦を中心に女性像を多く描いた画家です。

コランの代表作「フロレアル(花月)」





古代ギリシアより裸体が美の理想を表すという西洋画にふれ、黒田も多くの裸体画デッサンを残しています。





24歳のとき初めてフランスのサロンで入選した作品

「読書」





本を読みふける女性の手や顔を窓からの光が照らしています。





次にサロンに入選したのは日本で物議を醸す出すことになった裸体画です。
「朝妝」(ちょうしょう)

9年間に及ぶパリ留学の総決算として描いた絵です。
実際の作品は戦災で焼失しています。
この絵は京都で開催された内国勧業博覧会(1895)に出品されます。
しかし風俗を乱すと世間から激しい非難をあびます。





裸体画騒動の翌年明治29年東京美術学校(現東京芸術大学)に西洋画科が新設され、
黒田が指導を任されます。
黒田は自分がパリで学んだように、実際のモデルを使い授業を行いました。

重要文化財「智・感・情」





ほぼ等身大の全裸の女性が金地を背景に描かれています。
日本人をモデルにした裸体の三部作ですが、明治の日本女性で7.5 等身の体の人は
実際にはほとんどいなかったと言われています。
黒田は日本人モデルをもとにしながら理想的なプロポーションに作り替えていきました。















1900年のパリ万国博覧会が開催され、日本からも工芸品や日本画とともに多数の洋画も出品します。
黒田も「智・感・情」とともに五点出品し、そのひとつが「湖畔」です。

重要文化財「湖畔」

湖のほとりに腰掛ける女性、日本の美人画のように団扇を手に浴衣姿で涼んでいます。
油絵で描いた日本的洋画と言われます。





パリ万国博覧会の翌年黒田の裸体画はまた世間を騒がせます。

「裸体婦人像」

裸で横座りする西洋の女性





しかし警察はこの絵は風俗を乱すとして、この絵の下半分を布で覆ったのです。
いわゆる「腰巻事件」です。





黒田はそれでも臆することなく裸体を描き続けます。
戸外での作品です。

「春」





「秋」





「花野」

40代になった黒田が精力的にとりくんだ裸体画の大作です。ー





晩年黒田は貴族院議員になり、さらに帝国美術院院長に就きます。
そのようなときまた裸体画騒動がふりかかります。
大正13年(1924)東京でフランス現代美術館展が開催され、マチスやゴッホ、
ゴーギャンなどとともに黒田の師匠コランの絵も展示されます。
しかしここでもまた警察の介入があり、黒田は文部省や関係部局との調整に奔走し、
やっと特別室での展示となります。
しかしその心労もあったのでしょうか、展示会の後亡くなります。
58歳、まさに日本における近代洋画の父は裸体画との格闘の人生でもありました。