昨日国会事故調査委員会の最終報告書が発表された。
夕方のNHKラジオニュースでは、東京女子大名誉教授弘瀬さんがこれについて解説をしていた。
「官邸の過剰介入が現場を混乱させ、対応を遅らせることになった」
あのときの東電本社の対応を考えれば、このことばかりクローズアップするのはいけない、と。
原子力村の恩恵を受けてきたマスコミ報道にも、今年に入ってから方向転換するところが出てきたようだ。
人災と明言したことで、野田政権でなし崩しになろうとしていた権力抗争に影を落とすことになるかもしれない。
これからは、雲の上の人だった(らしい)あの厚顔無恥な勝俣の責任追及を是非してもらいたい。
報告書がネット公開されているということで、先ほど要約版をダウンロード。
はじめにの中の一文。
世界の原子力に関わる規制当局は、あらゆる事故や災害から国民と環境を守るという基本姿勢を持ち、事業者は設備と運転の安全性の向上を実現すべく持続的な進化を続けてきた。 日本でも、大小さまざまな原子力発電所の事故があった。多くの場合、対応は不透明であり組織的な隠ぺいも行われた。日本政府は、電力会社 10 社の頂点にある東京電力とともに、原子力は安全であり、日本では事故など起こらないとして原子力を推進してきた。 そして、日本の原発は、いわば無防備のまま、3.11 の日を迎えることとなった。 想定できたはずの事故がなぜ起こったのか。その根本的な原因は、日本が高度経済成長を遂げたころにまで遡る。政界、官界、財界が一体となり、国策として共通の目標に向かって進む中、複雑に絡まった『規制の虜(Regulatory Capture)』が生まれた。そこには、ほぼ 50 年にわたる一党支配と、新卒一括採用、年功序列、終身雇用といった官と財の際立った組織構造と、それを当然と考える日本人の「思いこみ(マインドセット) があった。経済成長に伴い、自信」 」 「 は次第に「おごり、慢心」に変わり始めた。入社や入省年次で上り詰める「単線路線のエリート」たちにとって、前例を踏襲すること、組織の利益を守ることは、重要な使命となった。この使命は、国民の命を守ることよりも優先され、世界の安全に対する動向を知りながらも、それらに目を向けず安全対策は先送りされた。
100 年ほど前に、ある警告が福島が生んだ偉人、朝河貫一によってなされていた。 朝河は、日露戦争に勝利した後の日本国家のありように警鐘を鳴らす書『日本の禍機』 を著し、日露戦争以後に「変われなかった」日本が進んで行くであろう道を、正確に 予測していた。 「変われなかった」ことで、起きてしまった今回の大事故に、日本は今後どう対応し、 どう変わっていくのか。これを、世界は厳しく注視している。この経験を私たちは無 駄にしてはならない。国民の生活を守れなかった政府をはじめ、原子力関係諸機関、 社会構造や日本人の「思いこみ(マインドセット)」を抜本的に改革し、この国の信頼 を立て直す機会は今しかない。