車窓から スカイツリーが前方に見えます。
第五福竜丸展示館
1954年3月1日
米国の水爆実験によって
発生した多量の放射性降下物(いわゆる死の灰)を
浴びた遠洋マグロ漁船の船名である。
無線長だった久保山愛吉さんが
この半年後の9月23日に血清肝炎で死亡しました。
朝日新聞に20日に掲載されたんですね。
カルテ写し16人分保管=研究施設に、元無線長も―第五福竜丸被ばく
被爆して築地市場の一角に埋められた魚を供養する「マグロ塚」
久保山愛吉さん慰霊碑
碑文
原水爆の被害者は わたしを最後にして欲しい
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non_nonさんのソースを拝借いたしました。
皆様、何時も暖かいコメント有り難うございます。
原爆詩の朗読に取り組み今年で8年目を迎えます。
8月8日に向けて日々稽古を重ねていますので
終わるまでコメント失礼させていただきます。
「喜久子」
抜粋して書きます。
どうして死ななくてはならないの。
じっと海の底にいると、思えてくるのです。
これが戦争なんだと。
本当の戦争は、わるいことをしない子も
突然殺すのね。
お母さん。弟たちの子どもに言ってやって。
口のきけない私の変わりに言ってやって。
戦争はダメだって。
原爆はダメだって。
どんなにいい子でも、みんな殺されるって。
※追伸
太平洋マーシャル諸島の「ビキニ環礁」を世界遺産(文化遺産)に登録したと
国連教育・科学・文化機構(ユネスコ)は8月1日発表しました。
ビキニ環礁などでは、米国が1946年~58年、
67回の核実験を実施した。54年3月に行なわれた水爆実験では、
近くで操縦していた日本のマグロ漁船「第五福竜丸」の船員23人
全員が被爆した。
核兵器被害を伝える世界遺産としては、
96年に登録された「広島平和記念碑」があります。
あたたかいコメント・訪問ありがとうございました。
読売新聞に被爆者の「出島艶子」さんが掲載されました。
彼女がいたからこそ、原爆詩の朗読に取り組む事ができ
暑い中、沢山の方が足を運んで下さいました。
原爆詩の朗読が終わった後、交流会にも
沢山の参加をいただき出演者一同
心より感謝いたします。ありがとうございました。