6月1日(月)「芝の今昔物語」に出かけて来ました。
前日は、32度と真夏日でしたが・・・・
1日もこれほど暑くはありませんでしたが、熱中症に気をつけなければ。
日傘をさしていましたが、日焼けしていました。
久しぶりの東京タワー。
増上寺 三解脱門(三門)
増上寺の表の顔として、東京都内有数の古い建造物であり東日本最大級を誇るこの門は、
当山の中門にあたり(表門は大門)、正式名称を三解脱門といいます。
徳川幕府の助成により、幕府大工頭・中井正清とその配下により建立。
元和八年(1622年)に再建されました。増上寺が江戸の初期に大造営された当時の面影を残す唯一の建造物で、
国の重要文化財に指定されています。
三解脱門とは三つの煩悩「むさぼり、いかり、おろかさ」を解脱する門のことです。
建築様式は三戸二階二重門、入母屋造、朱漆塗。唐様を中心とした建物に、和様の勾欄などが加味され、
美しさを見せています。二階内部(非公開)には、釈迦三尊像と十六羅漢像が安置されています。
大殿
昭和四十九年(1974年)、浄土宗大本山の念仏の根本道場として、
あらゆる儀式法要が行えるよう斬新な設計と意匠で、戦災に遭い焼失した本堂が再建されました。
本堂に御座します、ご本尊阿弥陀如来(室町期製作)は、両脇壇に高祖善導大師と宗祖法然上人の御像が祀られ、
参拝される方々の厚い信仰をあつめています。
大納骨堂(舎利殿)
当山の大納骨堂は昭和八年(1933年)に建立され、御本尊は高村光雲氏作をもとにした地蔵尊像であります。
戦災の難を逃れた数少ない建造物で、昭和五十五年(1980年)に現在地に遷座、開眼供養が厳修されました。
当山に有縁無縁のご本骨、ご分骨が収められ、永久におまつりされております。
当山では広く皆様のご納骨堂として解放しており、ご法縁を結ばせて頂いております。
この門は旧国宝で「鋳抜門」とよばれ、もと文昭院殿霊廟(六代将軍 徳川家宣公)の宝塔前『中門』であったものです。
左右の扉に五個づつの葵紋を配し、両脇には昇り龍・下り龍が鋳抜かれている(青銅製)。
規模は勿論のこと、その荘厳さにおいても日光東照宮と並び評された往時の姿を今に伝える数少ない遺構であります。
徳川将軍家墓所
増上寺は東京上野の東叡山寛永寺(天台宗)と共に徳川将軍家の菩提寺で、当山に埋葬されているのは、
二代秀忠公・六代家宣公・七代家継公・九代家重公・十二代家慶公・十四代家茂公の六人の将軍のほか、
崇源院(二代秀忠公夫人)、皇女和宮さま(十四代家茂公夫人)ら五人の正室、三代家光公側室桂昌院(五代綱吉公実母)
はじめ五人の側室、及び三代家光公第三子甲府宰相綱重公ほか歴代将軍の子女多数が埋葬されています。
旧徳川将軍家霊廟は御霊屋ともよばれ、増上寺大殿の南北(左右)に立ち並んでおりました。
墓所・本殿・拝殿を中心とした多くの施設の数々からなり、
その当時の最高の技術が駆使された厳粛かつ壮麗な霊廟は、いずれも戦前国宝に指定されていましたが、
昭和二十年(1945年)三月十日に北廟六十八棟被災、五月二十五日に南廟二十八棟被災、
二度にわたる空襲直撃でほとんどが焼失し、わずかに残った建物もその指定を解除されました。
東京タワーのマスコット ノッポン兄弟(初めて知りました。可愛いですね)
この後、新国際美術館まで足を伸ばしました。
都心に出かけるとさすが・・・疲れますね。