4月7日(木)~8日(金)
京都・奈良の名桜を一泊二日で周遊してきました。
「晴れ女」のはずが、今回ばかりはどうにもならなく
今までの旅行でこれ程一日雨の旅行はありませんでした。
今年は、桜が長い期間開花していたので桜は何とか見ることができ
よかったです。
雨は降る・桜は咲いていないとなったら涙雨でしたが・・・・
桜が咲いていてくれたので、雨でも雨を楽しんできました。
醍醐寺
醍醐寺は、慶長3年(1598)春に、太閤・豊臣秀吉が秀頼、北政所、淀殿など約1300名を従えて
「醍醐の花見」を催したことでも有名。
金堂 平安時代(国宝)
醍醐天皇の御願により延長4年(926)に創建された建物。
当時は釈迦堂といわれていましたが、永仁、文明年間に二度焼失しました。
現在の金堂は豊臣秀吉の命によって紀州(和歌山県)湯浅から移築が計画され、
秀頼の時代、慶長5年(1600)に完成しました。この金堂が、醍醐寺の中心のお堂であり、
安置されている薬師如来坐像が醍醐寺の本尊です。
枝垂桜が満開で迎えてくれました。
真言宗醍醐派の総本山で、京都府下最古の木造建築である五重塔がある。
京都御苑
京都御所春季一般公開していました。 期間 平成28年4月6日(水)から4月10日(日)までの5日間
承明門(じょうめいもん)
建礼門を背に、正面の門・・・中央の扉は天皇の専用です。
向こうに美しく紫宸殿が見えます。
建物中央の階段脇には,東に「左近(さこん)の桜」
紫宸殿
紫宸殿(ししんでん)即位式などの重要な儀式を執り行う最も格式の高い正殿で,
入母屋桧皮葺の高床式宮殿建築です。
中央に天皇の御座「高御座(たかみくら)」,その東に皇后の御座「御帳台(みちょうだい)」が置かれています。
現在の高御座と御帳台は,大正4年(1915年)の大正天皇の即位礼に際し,
古制に則って造られたものです。今上陛下の即位礼の際には,東京の宮殿に運ばれて使用されました。
西に「右近(うこん)の橘」
御常御殿(おつねごてん)入母屋桧皮葺の書院造りで,京都御所の中で最も大きな建物です。
天皇が日常のお住まいとして使用された御殿で,16世紀以降,清涼殿から独立して建てられるようになりました。
御池庭(おいけにわ)池を中心とした回遊式庭園です。
南禅寺
南禅寺の境内を抜けると、古代ローマの水道橋を思わせるような、
重厚なレンガ造りのアーチ橋が見えてきます。
橋脚が形づくるアーチの連続がずっと奥の方にまで続いていて、ちょっと不思議でおもしろい風景。
この水路閣の橋上には、琵琶湖疏水の支流が小川のようにさらさらと流れています。
南禅寺水路閣は建設から120年以上が過ぎた今でも立派に役目を果たしているのです。
三門からさらにまっすぐ歩いていくと
南禅寺の中心となる建物、法堂(はっとう)があります。
南禅寺の法堂は普段は中には入れませんし、
中も暗くてよく見えにくいのでお参りだけして次へ行ってしまう人も多いのですが、
実はこの中の上の方を覗いてみると、天井に雲龍図が見えます。
、縁起が良いとされる「昇り龍」が描かれていました。
龍は、仏法を守る象徴とされています。
三門
40段位の階段があり、傾斜70度くらいのはしごのような
急階段を上ります。
上から見た境内
桜が咲いていて見事でした。
この線路は電車が走っていたのではなく、写真のように船を乗せた台車を運ぶのに利用されていました。
この鉄道は蹴上インクラインと呼ばれ、インクラインとは傾斜鉄道という意味。
長さ581.8メートルは世界最長となっています。
蹴上インクラインは1890年代に完成し、1951年(昭和26年)9月に砂を積んだ船を最後に、疎水船運約60年の歴史を閉じました。
桜並木の中にひっそりたたずむ蹴上インクライン跡
長いお付き合いをありがとうございました。
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