コーヒータイム⑥ オランダ東インド会社のコーヒー市場参入
コピープロテクトされていたコーヒーノキ
エチオピアのアビシニア高原に自生していたコーヒーノキ。
1470年頃にはアラビアのイエメンに移植されていたという。
この頃には焙煎が発見されており、コーヒーの重要性は認識されていたので、
イエメンでは、コーヒーの生産・販売を独占するために、
他国への種子・苗木の持ち出しを禁止していた。
これを盗った人間がいた。
そして育てた人間がいた。
コーヒーノキの栽培の歴史は、重商主義・植民地帝国主義に向かう歴史でもある。
フランス・イギリスも追従したが、この先駆者はオランダだった。
コーヒーノキ及びコーヒーを世界商品として育てた親は、
1602年に設立された“オランダ東インド会社”と
1638年に創立された“アムステルダム植物園”だった。
イエメンの生産者・カイロの商人を豊かにしたコーヒー流通
15世紀中頃からコーヒーの生産のほとんどはイエメンとなった。
生産者から買い取られたコーヒー豆は、モカなどの港からカイロに送り出され、
アラブ、中近東、インド、ヨーロッパなどに輸出された。
モカはコーヒーの代名詞となり、いまでは、“モカ・マタリ”は最高品質のイエメン産コーヒーでもある。
カイロは、1517年にオスマントルコに征服されたが、
かえってアジア・アフリカ・ヨーロッパ3大陸に渡る商業都市として発展した。
インドの香辛料・イエメンのコーヒーなどは、重要な商品だった。
特に、16世紀大航海時代以降のヨーロッパ各国は、インド・アジアに進出し、
カイロの商人に大打撃をもたらした。
この損失への対応がコーヒーの取り扱いに傾斜することになる。
1720年頃のイエメンからカイロに送られたコーヒーの量は、年間2万箱(1箱185kg)であったという。
コーヒー流通へのオランダの参入
ヨーロッパ各国での最初のコーヒーハウスの開店では、ヴェネチア・イギリス(オックスフォード・
ロンドン)についで、1666年にアムステルダムで最初のコーヒーハウスが開店した。(⇒その24参照)
オランダでのコーヒーの消費はちょっとイギリスから遅れたが、
コーヒーに関する調査研究は1615年から始めており、
インド・インドネシアなどの東南アジアのイスラム圏へのコーヒー交易から参入した。
コーヒー交易などの中心は、オランダ東インド会社であり、
1642年には、カルカッタに32,000kgのコーヒー豆を輸送し、
1663年からは、モカコーヒーを定期的にアムステルダムに輸入するようになった。
流通から参入したオランダ(東インド会社)は、コーヒー市場の学習を何処よりも早く済ませ、
生産に利益の源泉を求めるように当然のごとくなった。
1658年には、セイロンでコーヒープランテーションを東インド会社がつくった。
コーヒーノキのゴッドマザー誕生
インド南西部にあるマラバール。
現在は、モンスーンにさらした黄金色のコーヒー豆“モンスーンマラバールコーヒー”で知られているが、
1699年、マラバールのコーヒーノキがジャワに渡り、移植に成功した。
エチオピアからイエメンに渡り、さらに、インドに渡ったアラビカ種のコーヒーは、
オランダ人によって、ジャワに移植された。
1706年、ジャワで育った若木をアムステルダムの植物園に送った。
このジャワで育ったコーヒーノキのDNAが“世界のコーヒーノキのゴッドマザー”となる。
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世界のコーヒーノキのゴッドマザー誕生まで
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1470年 アフリカのアビシニア高原から南アラビアのイエメン地方にコーヒーの木が移植された。
<オランダの活躍>
1616年 ピエター・ファン・ブロークがモカから初めてコーヒーノキをオランダに運び、移植に成功。
1658年 オランダ人がスラウェシ島(セイロン)でコーヒーの栽培を開始。
1695年 回教徒ババ・ブータンがコーヒーの種子をインドのマイソール山中に持ち出す。
栽培にも成功。クルヅ、マイソール周辺で原住民に栽培されるコーヒーノキの源。
1696年 アムステルダム市長の勧告で、インド南部のマラバールから初めてジャワ島に
コーヒーの苗木が運ばれる。しかし、洪水によって壊滅。
1699年 ヘンリック・ズワールデクロン(1718年ジャワ総督)は、ジャワへ二度目のコーヒーの苗木を
運び栽培に成功。オランダ領インド諸島のすべてのアラビカ種コーヒーノキ
(ティピカ種)の先祖となる(Coffea arabica<=var.typica>)
1706年 ジャワ島産コーヒーノキの若木をオランダ本国アムステルダム植物園に送る。
⇒ ヨーロッパ各国の植物園に移植。
1712年 ジャワ島のコーヒー豆、アムステルダムでセリに出される。
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コピープロテクトされていたコーヒーノキ
エチオピアのアビシニア高原に自生していたコーヒーノキ。
1470年頃にはアラビアのイエメンに移植されていたという。
この頃には焙煎が発見されており、コーヒーの重要性は認識されていたので、
イエメンでは、コーヒーの生産・販売を独占するために、
他国への種子・苗木の持ち出しを禁止していた。
これを盗った人間がいた。
そして育てた人間がいた。
コーヒーノキの栽培の歴史は、重商主義・植民地帝国主義に向かう歴史でもある。
フランス・イギリスも追従したが、この先駆者はオランダだった。
コーヒーノキ及びコーヒーを世界商品として育てた親は、
1602年に設立された“オランダ東インド会社”と
1638年に創立された“アムステルダム植物園”だった。
イエメンの生産者・カイロの商人を豊かにしたコーヒー流通
15世紀中頃からコーヒーの生産のほとんどはイエメンとなった。
生産者から買い取られたコーヒー豆は、モカなどの港からカイロに送り出され、
アラブ、中近東、インド、ヨーロッパなどに輸出された。
モカはコーヒーの代名詞となり、いまでは、“モカ・マタリ”は最高品質のイエメン産コーヒーでもある。
カイロは、1517年にオスマントルコに征服されたが、
かえってアジア・アフリカ・ヨーロッパ3大陸に渡る商業都市として発展した。
インドの香辛料・イエメンのコーヒーなどは、重要な商品だった。
特に、16世紀大航海時代以降のヨーロッパ各国は、インド・アジアに進出し、
カイロの商人に大打撃をもたらした。
この損失への対応がコーヒーの取り扱いに傾斜することになる。
1720年頃のイエメンからカイロに送られたコーヒーの量は、年間2万箱(1箱185kg)であったという。
コーヒー流通へのオランダの参入
ヨーロッパ各国での最初のコーヒーハウスの開店では、ヴェネチア・イギリス(オックスフォード・
ロンドン)についで、1666年にアムステルダムで最初のコーヒーハウスが開店した。(⇒その24参照)
オランダでのコーヒーの消費はちょっとイギリスから遅れたが、
コーヒーに関する調査研究は1615年から始めており、
インド・インドネシアなどの東南アジアのイスラム圏へのコーヒー交易から参入した。
コーヒー交易などの中心は、オランダ東インド会社であり、
1642年には、カルカッタに32,000kgのコーヒー豆を輸送し、
1663年からは、モカコーヒーを定期的にアムステルダムに輸入するようになった。
流通から参入したオランダ(東インド会社)は、コーヒー市場の学習を何処よりも早く済ませ、
生産に利益の源泉を求めるように当然のごとくなった。
1658年には、セイロンでコーヒープランテーションを東インド会社がつくった。
コーヒーノキのゴッドマザー誕生
インド南西部にあるマラバール。
現在は、モンスーンにさらした黄金色のコーヒー豆“モンスーンマラバールコーヒー”で知られているが、
1699年、マラバールのコーヒーノキがジャワに渡り、移植に成功した。
エチオピアからイエメンに渡り、さらに、インドに渡ったアラビカ種のコーヒーは、
オランダ人によって、ジャワに移植された。
1706年、ジャワで育った若木をアムステルダムの植物園に送った。
このジャワで育ったコーヒーノキのDNAが“世界のコーヒーノキのゴッドマザー”となる。
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世界のコーヒーノキのゴッドマザー誕生まで
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1470年 アフリカのアビシニア高原から南アラビアのイエメン地方にコーヒーの木が移植された。
<オランダの活躍>
1616年 ピエター・ファン・ブロークがモカから初めてコーヒーノキをオランダに運び、移植に成功。
1658年 オランダ人がスラウェシ島(セイロン)でコーヒーの栽培を開始。
1695年 回教徒ババ・ブータンがコーヒーの種子をインドのマイソール山中に持ち出す。
栽培にも成功。クルヅ、マイソール周辺で原住民に栽培されるコーヒーノキの源。
1696年 アムステルダム市長の勧告で、インド南部のマラバールから初めてジャワ島に
コーヒーの苗木が運ばれる。しかし、洪水によって壊滅。
1699年 ヘンリック・ズワールデクロン(1718年ジャワ総督)は、ジャワへ二度目のコーヒーの苗木を
運び栽培に成功。オランダ領インド諸島のすべてのアラビカ種コーヒーノキ
(ティピカ種)の先祖となる(Coffea arabica<=var.typica>)
1706年 ジャワ島産コーヒーノキの若木をオランダ本国アムステルダム植物園に送る。
⇒ ヨーロッパ各国の植物園に移植。
1712年 ジャワ島のコーヒー豆、アムステルダムでセリに出される。
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