モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

『 ニッポンの気持ち 』

2009-01-02 01:32:50 | ニッポンの政治
『ニッポンの気持ち』

空気がきれいになった。
トラックが走らなくなったからだが、
電気自動車と緑が多くなった方がよい。

ゴミが少なくなった。
捨てるモノがなくなったからだが、
学ぶこともある。

休みが多くなった。
働けなくなったからだが
愚痴を言っていた忙しい頃が懐かしい。

政治家が馬鹿に見えてきた。
もっとまともなヒト達だと思っていたが
危機には鈍いということが暴露されてしまった。

人任せは危ないことがわかった。
任せたのがヒトではなく組織という機械だったので
ヒトの心を持っていなかった。

家にいる時間が多くなった。
外にでなくなったからだが
家もいいものだ。

新しい発見が多くなった。
今まで目をつぶっていたからだが、
目を開けてみるとヒトはいいものだ。

それだけでなく、街も、お隣もいいものだ。
社会があっての個人
当たり前が身にしみる年となりそうだ。

ニッポンの気持ち』独断編
いま一番欲しいものそれは、
『働く場』だと思う。特に家族を支えるお父さんと、明日の日本を支える若い世代の『働く場』だ。
『働く場』が急激に縮小し、工業化が吸収してきた雇用が弱体化している。中小企業は仕事がなくとも歯を食いしばって雇用を支えている。国際競争力がある大企業は、合理化で一顧の余地もなく首を切っている。
これでいいのだろうか?

雇用を創出することが2000年からの最大の課題だったが、『道路』と『郵便局』にだけ執着してきたので、国民が付託した税金を使って産業を興す“殖産興業”をしてこなかった。逆に、医療・福祉・介護などは産業をつぶしている。
原資がないのではなく使い方がおかしいのだ。
特に、自民党の道路族が日本の未来デザインをゆがめた張本人だと後世で評価されるはずだが、この道路への総投資額(道路特定財源+一般財源からの道路関係への支出)を産業を興し、雇用を創出する使い方に変えるだけでかなりのことが出来ると思う。

例えば
貿易立国のはずなのに、海外との輸出入の接点である「港」「空港」「鉄道」「道路」「通信ネットワーク」などのハブ機能の整備と24時間運用の投資を行ってこなかった。シンガポール、香港、韓国にこのハブ機能を奪われつつあり、国策としての企画能力の欠如が明らかになっている。

これまでは強い製造業があったので、だましだましやってこられたが、中継貿易に関しては日本を利用する価値がない以上シンガポールなどに流れることとなる。

「港」「空港」「鉄道」「道路」「通信ネットワーク」への投資は、税制の優遇政策とあわせることによりビジネスを創出し新しい雇用を創出する。しかも道路を優先して作らないが土木業の雇用確保も実現できる。
輸出入の貨物及び旅行者が増加すると周辺の道路ネットワークの改善もしなければならないので、今以上に道路への投資が明確になるだけでなく地域振興と一体化して実施できることになる。
道路をつくったからといって企業が誘致できるわけではないし、雇用は創出できない。むしろ高速道路が出来たがゆえに寂れていった市町村が結構ある。

北米、ロシア、中国、東南アジアとの中継貿易のハブとなることによって産業が創出でき雇用も創出できる。
ロシアのハブとして北海道で、中国のハブとして九州・中国地方で、東アジアのハブとして北陸地方で、オールランド対応として横浜・神戸などの復活を真剣に考えてみよう。港と空港と鉄道と道路と通信ネットワークを分散させずにトータルとしてハブ地域を開発することが条件となるが。

財源は、不況時の対策としても、道路特定財源の10年間分を前倒しに使用することによって公共事業での雇用が確保でき、産業を振興することも可能となる。付随して地域の道路ネットワークへの改善投資もリアリティが見えてくる。
車が通らない道路つくるよりも雇用をつくることに、しかも失業対策としての穴を埋めるという発想ではなく産業をつくるという切り替えが欲しい。

そしてついでにふれると、海洋資源の開発、宇宙技術の開発といった未来対応のハブをしかるべき地域に設定し、同様に構築しておきたい。国土開発の視点を日本列島改造から世界の中での日本の優位性作りに切り替える対応が相当遅れている。

企業が収益を出さない限り雇用は増えない。だから失業者を吸収するための対策は、えてして土木事業となりダムや道路を作る公共事業となりかねないが、ダムや道路が作り出す新しい需要なり価値がかつてほどではなくなったようであり、価値を生み出すものに公共事業をシフトさせるべきだというのが一つ目の論拠だ。

第二の指摘は、雇用がダブついている現在は、産業別の就業構成を変えるチャンスでもある。ロボット化された工業では、これからも労働力を維持拡大することは難しい。人不足で労働力が足らない内需産業にてこ入れし、雇用を拡大させる方策を検討する必要がある。
農業、漁業、医療・介護・福祉、教育が人材・労働力を必要としており、これらは地産地消がキーワードであり地域興しと結びつく。ここに、ロボット・環境・IT技術をミックスして、労働力だけに頼らない産業興しをすすめたいものだ。

上記の産業は、本来は小規模であるがゆえに一人の役割が広くかつ専門性が必要となる。工場で働いていた人が単純に職業転換することは難しい。
そこで中期的な政策と短期的な職業転換施策との組み合わせが求められるが、中期的には、事業として利益が出るように育成する必要がある。その理由は、日本国民の食の安全と健康の維持を守る安全コストであり、日本国民の生命と財産を守る防衛費と同価値であるということをいいたい。
安定した産業には雇用が生じ、この産業を目指す就職希望者が出る。

短期的には、失業保険申請者に職業転換の再教育の機会を提供することと、これを受け入れる事業者への助成を行うことである。事業者は、人件費を負担してもらい人員を育てることが出来る。失業者は、再教育による就職のチャンスを得ることが出来るので一石二鳥かもわからない。

何歳になっても職業訓練、或いは、学習というものが重要な意味を持ってくる。
基本は、“オン・ザ・ジョブ”で、事業者のところでの日々の仕事をしながら学習することだが、就職しない人間にもこの学習を体験できる“インターン”制度があることが望ましい。

使ったお金の割りに効果がよくわからないのが教育と言われているが、直感的に言って一人当たりのGDPにリンクしているのではないかと思う。豊かさは教育がつくってきたといったほうがわかりやすい。

しかし昨今の実態は、豊かさは維持できないのではなかろうかと思う不安感があるほど出来の悪い学生が多くなった。育とうとしないのか育てられなかったのかわからないが、教育と社会の接点がかけ離れている。

教育がこれまでの日本の成長と競争力を支えてきたが、今の大学教育ではこれが出来なくなり、社会で再教育しないと使い物にならなくなった。グローバル化している企業には、欲しい人材を世界から調達するという素材調達に近い考え方が強まり育てる発想がなくなってきた。これ自体問題ではあるが一理はある。育てられなくなった教育機関に大きな問題があることは確かだ。

高校以上の教育のカリキュラムの中に、お父さんお母さん達が働いている職場での体験学習・インターン制度を早く導入し、空虚な座学と思っているところに目標を持つと座学も悪くないという風にさせるべきかと思う。
もっと進めると、これまでのカリキュラムを廃止し、“欲しい人材像”を有している社会人の知恵を入れて改定して欲しい。

明治以降の教育は、「富国強兵」の大方針に従い、農村から工場に労働力を振り替えこの人材を育てることを目標としていた。
これからの目標は、工場から農業、漁業、医療・介護・福祉、教育に目を向けることであり、バイオ科学、海洋科学などなどに興味を持たせることかもわからない。そこから自分で学ぶ学習が始まる。

社会が求める人材を育てるのが教育だったが、ここしばらくは、社会が何も求めていなかったのだろう。育つ子は勝手に学び自分で育っていくが、育たない子のしつけが教育であり、家庭と学校に隔離されていたのではしつけが出来ない。ということだろうか?従って文部省は必要なくなり科学技術省(?)に再編したほうが良さそうだ。


土木事業が地域経済を担ったのは昔で、いまは選挙目当てとしか考えられない。この前提に立っているとしか思えない道路族は落選させるべきだと思わないでもないが、
それよりも、国の多くの政策実行費を地方に還元し、国は外交・国防などスモール化した方が天下り団体への助成金の不明朗な使い方がなくなるので良さそうだ。当然国家公務員の定数も削減し地方に渡すこととなるので、これまでの組織至上主義の政策立案の責任を取ってもらうので一石二鳥となり、国民感情としては満足するところがある。能力はあるが働き方に問題がでてきた国家公務員制度にメスを入れる時期でもある。

政策としての中身は目をつぶるが、最も困難な器を変えてくれる政党を支持したい。地方のことは地方で出来るように財源を地方に渡し、国家公務員もこれに従い大量に地方に移管することでの霞ヶ関破壊を進めて欲しい。

そしてそのあとに、自らの首を切って痛みを共有して欲しい。
当然、国会議員の定数削減、今最も冗費となっている政党助成金も見直すべきだ。政策をプランニングできない政党ではいまと同じ政党になるので、国会議員の定数削減、政党助成金を削減して浮いた金額を政策立案機能強化に使うように使途を明確にして渡すのであればよいと思う。


さて、新しい年となりましたが、明るくないことは間違いありません。他者に期待してもどうしょうもないので、自分で心に灯りをともすようにする以外なさそうです。そしてその灯りをヒトに分けてあげるようになりたいものです。

我慢・辛抱はヒトを育て、“心棒”を創る。
軸がありぶれないということは信頼につながるのでいいチャンスだ。

コメント