(写真)レースラベンダー、ピナータ
レースラベンダー・ピナータ、これが三代目にあたる。
我が家は日差しが強すぎて、ラベンダーにとってはつらいところのようだ。大部分が失敗しており、木陰に置いた五種類ぐらいしか生き残っていない。
悪環境を生き残ってきた二代目のレースラベンダー・ピナータは、盆栽のように枯れた魅力があり結構気に入っていたが、昨年の秋に枯れ死した。この代わりを育てているが、冬の間中つぼみを持っていたがやっと開花した。
やれやれお疲れさんというところだ。
このレースラベンダー・ピナータは、葉に特徴があり、シダのように切れ込みがあり、また産毛で覆われていて光を柔らかく反射するので、全体としてはレース網のような風合いが出る。
そして華奢に感じる細長い花茎を伸ばし、荷重とも思える花穂をつける。
その花穂から美しい紫の小さな花がポッと咲き、上に上にと咲きあがる。
四季咲き性があるので、咲き終わった花茎を摘むことによって次の花が期待できる。
さて、このレースラベンダー・ピナータの由来だが、
アフリカの北西沿岸にある現スペイン領の島、カナリア諸島が原産地で、この島はポルトガルの大航海時代の幕を開けたエンリケ航海王子(Infante Dom Henrique, 1394年-1460年)の頃は、カナリア諸島から先は地の果てであり海が絶壁から滝のように落下していると信じられていたところでもある。
世界が広がるということは、その当時の常識だがいまは迷信といえるコトを、事実の蓄積で検証していき、結果として常識を破壊することなのだろう。
いつごろ発見されたかを調べたがわからなかった。手がかりは学名の命名者と登録日であり、1802年にドイツの植物学者モエンス(Moench, Conrad 1744-1805)によって登録されている。
キュー植物園のプラントハンター、フランシス・マッソンも南アフリカ探検から戻った翌年の1776年にカナリヤ諸島にプラントハンティングに出かけているが、マッソンが持って来たものかどうかはわからない。
いづれにしても、1802年以前に採取されヨーロッパに持ってこられたことは間違いなさそうだ。しかも命名者から見て、ドイツ系のプラントハンターが持ち込んだのだろう。
(写真)レースラベンダー・ピナータの葉と花
レースラベンダー(ピナータラベンダーPinnata Lavender)
・シソ科ラバンデュラ属の半耐寒性の常緑性の低木。
・学名は、Lavandula pinnata Moench。英名は Jagged lavender, Fernleaf lavender。
・流通名は、レースラベンダーともいわれるプテロストエカス系のラベンダー。
・原産地は、カナリー諸島、北アフリカ・地中海沿岸。
・灰緑色のシダのような切れ込みがある葉、10cmほどの長い花穂に青紫の花が咲く。
・半耐寒性で四季咲き。霜を避けるところでは冬場でも戸外で大丈夫。
・草丈は、30~50cmで横に広がる。
・弱アルカリ性の土壌を好むので、石灰を入れる。
・花後に刈り込む。花穂が一杯出た場合は、間引きすると良い。
・夏場の取り扱いに注意。風通しの良い半日陰か1日二回の水遣りで水切れに注意。
命名者は、ドイツの植物学者モエンス(Moench, Conrad 1744-1805)1786年から死亡までゴシック建築が保存されている大学の都市マールブルク大学の植物学教授を務めた。