栽培植物の起源と伝播 No8
メキシコで農業が始まるまで
今から12,000年前までにベーリング海峡を渡ったモンゴロイドはアメリカ大陸に渡り、1,000年をかけて南アメリカの南端まで移動をしたという。
ベーリング海峡を超えたモンゴロイドは、気候の温暖化に伴い氷河が溶け水没したベーリング海峡を逆戻りすることが出来ず、マンモスなどの大型哺乳動物を求めてアメリカ大陸を南下したようだが、10,000年前頃に起きた寒冷化で多くの哺乳動物が死滅し狩猟・採取生活から狩猟・採取・農業生活に転換せざるを得なくなる。
一説によると、マンモス・象とマンモスに似ているマストドン・馬・ジャイアントビーバー・ナマケモノなど7割の大型哺乳動物が絶滅したというから原アメリカ人にとっても生存の危機が生じ、生き残るための知恵を働かさなければならなかった。
ここからが現在の企業戦略とか組織論に相通じる資源獲得の最適化が現実の歴史として現れ、マンモスという巨大な資源を獲得するための大組織では維持できないので少ない資源をスピードよく獲得する最適化が図られるようになる。
(写真)メキシコ・ゲレーロ州Teloloapanバルサス川付近の丘陵
(出典) University of Wisconsin-Madison
この10,000年前の頃の初期には、バンドと呼ばれる少人数のグループで遊牧(nomad,ノマド)をしながら寒冷化から生き残った小動物の狩り、野生植物の採取、釣り、海老などの甲殻類の採取をしていたが、時間が経過するに従い洞窟などを季節的なキャンプ地として使い、その周辺でカボチャ、スカッシュ、アボカド、トウガラシ、アマランス、そして初期のトウモロコシ等の栽培をするようになった。
キャンプ地での季節的な定住生活による原始的な農業の始まりは、少人数のバンドでの遊牧生活以上の食糧獲得が出来たのだろう。徐々に大人数のバンドとなり、5,000-3,000年前の時期になると人々は集まって定住するようになり、村と村長(ムラオサ)が登場する。
小動物の狩り、エビなどの甲殻類の採取は依然として重要な食料調達ではあるが、村の生活は農業によって維持されるようになり、トウモロコシ、豆、カボチャが重要な食糧となる。
村を維持するということは、食糧の生産だけでなく貯蔵・加工がなされるようになり、食糧獲得だけに労働力を割くのではなく、貯蔵するための容器、食糧を加工する道具などに、さらには、その容器・道具を飾るところまで労働力を割けるほどの食糧生産が出来るようになった。
農業が「定住」と「村」を創った。とよく言われるが、定住化は新たな発見をもたらし、男は狩猟に、女は採取にと分業が始まり、食べ残した物が腐りどぶろくのような酒に出会い、住居外のゴミ捨て場からは芽が出て栽培という可能性に気づき、落雷などでの焼け野原からは新芽が育ち農業の可能性など、長い年月をかけて学習をしていったようだ。ただ、狩猟生活と較べて農業はつらいようだ。狩猟生活の場合は、1日3-4時間の狩という労働時間で残りは遊びが大部分を占める。農業は労働時間が長いのでつらい。
農業の起源は、今から12,000年前頃のイスラエルあたりの西アジア、中国の揚子江中・下流で起こり世界に伝播したと考えられている。
アメリカ大陸に農業が伝播したのはモンゴロイドが持ち込んだか、食糧危機という大問題にぶつかった原アメリカ人が先祖の遺伝子的な記憶から開眼したかどちらかになるが、メキシコあたりの中央アメリカでは今から9,000-10,000年前に農業が始まったという。
トウモロコシになった野生のテオシントは?
トウモロコシの栽培は、いまから7,500-12,000年前に始まったと考えられている。12,000年前となるとアメリカ大陸にモンゴロイドが渡り、寒冷化して大型哺乳類が絶滅に近い状態になった頃にあたる。
この遊牧民達が、メキシコ・グアテマラ・ニカラグアに生えている3-5mもの大型のイネ科の雑草テオシントに目をつけ、季節的に利用するキャンプ地・洞窟などの傍の野原で栽培を始めたのだろうが、トウモロコシの祖先に関する説は幾つもがあり2000年を過ぎるまでトウモロコシの祖先となる野生種に関しては謎だった。
つまりわかっていないことは
① トウモロコシの祖先は絶滅したのではないだろうか?
② 現存しているとしたら可能性のある種を絞りきれる技術がないのでわからない。
③ 幾つかの種間の交雑或いは突然変異でトウモロコシが誕生したとすると実験でこの再現ができない。
④ 最初に何処で、何時頃に栽培されたのかその歴史的な証拠が見つからない。
などだろう。
(写真)トウモロコシ(右)と野生種のテオシント(Zea mays ssp. parviglumis)
(出典) University of Wisconsin-Madison
さらに、写真を見てもわかるように現在のトウモロコシと較べて野生種のテオシントであるジーア・パヴィルミスは、あまりにも小さく実は20粒位しかついていず、しかも硬い殻で覆われているのでそのままでは食べることが出来ない。
テオシントとトウモロコシとの間には大きな溝があり、「トウモロコシの祖先はテオシントではなく絶滅した。」という説があるぐらい違いがありすぎるが、原アメリカ人が種の選択と品種改良で長い時間をかけて栽培してきたから今日のトウモロコシになった。
どのくらい長い時間がかかったかといえば、5,000-6,000年もかかったという。
主食となる穀類不在時代が長かったので狩猟採取が中心の独特な文化が形成され、小麦・イネをベースに形成されたメソポタミア・エジプト・インダス・黄河文明とは異なり、石器の後の新石器文明が育たなかった。
わき道にそれてしまったが、それだけトウモロコシの祖先は栽培するのが難しい代物だった。
トウモロコシ起源説の流れ
1930年代初めに、小麦・トウモロコシなどの栽培植物の起源を研究したロシアの植物学者バビロフ(Vavilov, Nikolai Ivanovich 1887 –1943)と遺伝子の役割を発見したアメリカのノーベル賞受賞者ビードル(Beadle ,George Wells 1903 –1989)は、相次いで“トウモロコシの祖先はテオシントである”という「テオシント起源説」を発表した。
このテオシント起源説は方向として正しく、この御宣託がトウモロコシの起源探索ブームを引き起こした。
1930年代の後半にはハーバード大学のマンゲルスドルフ(Mangelsdorf, Paul Christoph 1899-1989)が、「未知の野生種のトウモロコシと近縁のTripsacum属の種との交雑で誕生した。」という説を発表したが、この説は後に遺伝学的な知見から否定された。
(図)テワカンバレーとオアハカバレーの位置
(出典)PNAS(Proceedings of the National Academy of Sciences)
1950年から1070年代までは、「トウモロコシの栽培は、メキシコのオアハカとハリスコの間の高地の盆地で始まった。」という仮説を検証する考古学的な調査に注目が集まった。
マクネイシ(MacNeish, Richard Stockton 1918-2001)が1961年夏からメキシコシティの南東部にあるテワカンバレーの発掘調査を行い、コスカトラン洞窟(Coxcatlan Cave)で8千年前(紀元前5960年頃)に栽培された植物(トウモロコシ、ヒョウタン、スカッシュ、豆)の痕跡を見つけた。
テワカンバレーから160km南東に行ったところにオアハカバレーがあり、1970年代にはこの盆地にあるギラ・ナキツ(Guilá Naquitz)洞窟の考古学的な調査が始まった。
リーダーは、マクネイシとともにテワカンバレーの調査を行ったミシガン大学のフラナリー(Flannery, Kent V 1934 - )で、テワカンバレーで発見したトウモロコシよりも700年も古いトウモロコシを発掘した。ヒョウタン,カボチャ、豆も発掘しており、最も古い栽培化された植物の痕跡とみなされた。
トウモロコシと書いたが正確には野生種のテオシントで、原アメリカ人による栽培化の痕跡があるという。トウモロコシの祖先、野生のテオシントを探す調査探検も同様に始まり、生涯をトウモロコシの起源探索にささげた米国の植物学者でウイスコンシン・マディソン大学の植物学教授イルチス(Iltis, Hugh Hellmut1925- )、その弟子で遺伝子の研究からトウモロコシの祖先を特定化したドエブリー(Doebley , John F 1952?- )達が1970年代から新種を発見・採取し命名していく。
メキシコ・オアハカバレーは標高1500m前後で、この周辺及び高地で発見された野生種は、Zea mays subsp. mexicana (Schrad.) Iltis (1972)であり、ジーア属メイズの亜種メキシカーナがトウモロコシの祖先に近いのではないかと考えられた。
この頃までは、考古学者・植物学者とも乾燥した高地だけを探索していて、メキシコ・グアテマラ・ニカラグア等の低地の高温多湿地域を探索していなかったので全ての状況を検討したわけではなかった。
局面を展開したのは、1977年にイルチスとドエブリー達がメキシコのゲレーロ州でパヴィルミス(Zea mays subsp. parviglumis Iltis & Doebley, (1980))を発見したときから起きた。
【ジーア属の種――――命名の年代順】
・Zea mays L.(1753)Corn
・Zea perennis (Hitchc.) Reeves & Mangelsd (1942).)Perennial teosinte(多年草)
・Zea mays subsp. mexicana (Schrad.) Iltis (1972). Mexican teosinte
・Zea luxurians (Durieu & Asch.) R.M.Bird(1978) Guatemalan teosinte
・Zea diploperennis H.H. Iltis, Doebley & R. Guzmán (1979)Diploperennial teosinte(多年草)
・Zea mays subsp. parviglumis Iltis & Doebley, (1980). Corn、Balsas teosinte
・Zea mays subsp. huehuetenangensis (Iltis & Doebley) Doebley, (1990). Huehuetenango teosinte
・Zea nicaraguensis Iltis & B.F.Benz,(2000). Nicaragua teosinte
(写真)Zea属の種の原産地(黄色のピン)
※オレンジのピンは洞窟
メキシコで農業が始まるまで
今から12,000年前までにベーリング海峡を渡ったモンゴロイドはアメリカ大陸に渡り、1,000年をかけて南アメリカの南端まで移動をしたという。
ベーリング海峡を超えたモンゴロイドは、気候の温暖化に伴い氷河が溶け水没したベーリング海峡を逆戻りすることが出来ず、マンモスなどの大型哺乳動物を求めてアメリカ大陸を南下したようだが、10,000年前頃に起きた寒冷化で多くの哺乳動物が死滅し狩猟・採取生活から狩猟・採取・農業生活に転換せざるを得なくなる。
一説によると、マンモス・象とマンモスに似ているマストドン・馬・ジャイアントビーバー・ナマケモノなど7割の大型哺乳動物が絶滅したというから原アメリカ人にとっても生存の危機が生じ、生き残るための知恵を働かさなければならなかった。
ここからが現在の企業戦略とか組織論に相通じる資源獲得の最適化が現実の歴史として現れ、マンモスという巨大な資源を獲得するための大組織では維持できないので少ない資源をスピードよく獲得する最適化が図られるようになる。
(写真)メキシコ・ゲレーロ州Teloloapanバルサス川付近の丘陵
(出典) University of Wisconsin-Madison
この10,000年前の頃の初期には、バンドと呼ばれる少人数のグループで遊牧(nomad,ノマド)をしながら寒冷化から生き残った小動物の狩り、野生植物の採取、釣り、海老などの甲殻類の採取をしていたが、時間が経過するに従い洞窟などを季節的なキャンプ地として使い、その周辺でカボチャ、スカッシュ、アボカド、トウガラシ、アマランス、そして初期のトウモロコシ等の栽培をするようになった。
キャンプ地での季節的な定住生活による原始的な農業の始まりは、少人数のバンドでの遊牧生活以上の食糧獲得が出来たのだろう。徐々に大人数のバンドとなり、5,000-3,000年前の時期になると人々は集まって定住するようになり、村と村長(ムラオサ)が登場する。
小動物の狩り、エビなどの甲殻類の採取は依然として重要な食料調達ではあるが、村の生活は農業によって維持されるようになり、トウモロコシ、豆、カボチャが重要な食糧となる。
村を維持するということは、食糧の生産だけでなく貯蔵・加工がなされるようになり、食糧獲得だけに労働力を割くのではなく、貯蔵するための容器、食糧を加工する道具などに、さらには、その容器・道具を飾るところまで労働力を割けるほどの食糧生産が出来るようになった。
農業が「定住」と「村」を創った。とよく言われるが、定住化は新たな発見をもたらし、男は狩猟に、女は採取にと分業が始まり、食べ残した物が腐りどぶろくのような酒に出会い、住居外のゴミ捨て場からは芽が出て栽培という可能性に気づき、落雷などでの焼け野原からは新芽が育ち農業の可能性など、長い年月をかけて学習をしていったようだ。ただ、狩猟生活と較べて農業はつらいようだ。狩猟生活の場合は、1日3-4時間の狩という労働時間で残りは遊びが大部分を占める。農業は労働時間が長いのでつらい。
農業の起源は、今から12,000年前頃のイスラエルあたりの西アジア、中国の揚子江中・下流で起こり世界に伝播したと考えられている。
アメリカ大陸に農業が伝播したのはモンゴロイドが持ち込んだか、食糧危機という大問題にぶつかった原アメリカ人が先祖の遺伝子的な記憶から開眼したかどちらかになるが、メキシコあたりの中央アメリカでは今から9,000-10,000年前に農業が始まったという。
トウモロコシになった野生のテオシントは?
トウモロコシの栽培は、いまから7,500-12,000年前に始まったと考えられている。12,000年前となるとアメリカ大陸にモンゴロイドが渡り、寒冷化して大型哺乳類が絶滅に近い状態になった頃にあたる。
この遊牧民達が、メキシコ・グアテマラ・ニカラグアに生えている3-5mもの大型のイネ科の雑草テオシントに目をつけ、季節的に利用するキャンプ地・洞窟などの傍の野原で栽培を始めたのだろうが、トウモロコシの祖先に関する説は幾つもがあり2000年を過ぎるまでトウモロコシの祖先となる野生種に関しては謎だった。
つまりわかっていないことは
① トウモロコシの祖先は絶滅したのではないだろうか?
② 現存しているとしたら可能性のある種を絞りきれる技術がないのでわからない。
③ 幾つかの種間の交雑或いは突然変異でトウモロコシが誕生したとすると実験でこの再現ができない。
④ 最初に何処で、何時頃に栽培されたのかその歴史的な証拠が見つからない。
などだろう。
(写真)トウモロコシ(右)と野生種のテオシント(Zea mays ssp. parviglumis)
(出典) University of Wisconsin-Madison
さらに、写真を見てもわかるように現在のトウモロコシと較べて野生種のテオシントであるジーア・パヴィルミスは、あまりにも小さく実は20粒位しかついていず、しかも硬い殻で覆われているのでそのままでは食べることが出来ない。
テオシントとトウモロコシとの間には大きな溝があり、「トウモロコシの祖先はテオシントではなく絶滅した。」という説があるぐらい違いがありすぎるが、原アメリカ人が種の選択と品種改良で長い時間をかけて栽培してきたから今日のトウモロコシになった。
どのくらい長い時間がかかったかといえば、5,000-6,000年もかかったという。
主食となる穀類不在時代が長かったので狩猟採取が中心の独特な文化が形成され、小麦・イネをベースに形成されたメソポタミア・エジプト・インダス・黄河文明とは異なり、石器の後の新石器文明が育たなかった。
わき道にそれてしまったが、それだけトウモロコシの祖先は栽培するのが難しい代物だった。
トウモロコシ起源説の流れ
1930年代初めに、小麦・トウモロコシなどの栽培植物の起源を研究したロシアの植物学者バビロフ(Vavilov, Nikolai Ivanovich 1887 –1943)と遺伝子の役割を発見したアメリカのノーベル賞受賞者ビードル(Beadle ,George Wells 1903 –1989)は、相次いで“トウモロコシの祖先はテオシントである”という「テオシント起源説」を発表した。
このテオシント起源説は方向として正しく、この御宣託がトウモロコシの起源探索ブームを引き起こした。
1930年代の後半にはハーバード大学のマンゲルスドルフ(Mangelsdorf, Paul Christoph 1899-1989)が、「未知の野生種のトウモロコシと近縁のTripsacum属の種との交雑で誕生した。」という説を発表したが、この説は後に遺伝学的な知見から否定された。
(図)テワカンバレーとオアハカバレーの位置
(出典)PNAS(Proceedings of the National Academy of Sciences)
1950年から1070年代までは、「トウモロコシの栽培は、メキシコのオアハカとハリスコの間の高地の盆地で始まった。」という仮説を検証する考古学的な調査に注目が集まった。
マクネイシ(MacNeish, Richard Stockton 1918-2001)が1961年夏からメキシコシティの南東部にあるテワカンバレーの発掘調査を行い、コスカトラン洞窟(Coxcatlan Cave)で8千年前(紀元前5960年頃)に栽培された植物(トウモロコシ、ヒョウタン、スカッシュ、豆)の痕跡を見つけた。
テワカンバレーから160km南東に行ったところにオアハカバレーがあり、1970年代にはこの盆地にあるギラ・ナキツ(Guilá Naquitz)洞窟の考古学的な調査が始まった。
リーダーは、マクネイシとともにテワカンバレーの調査を行ったミシガン大学のフラナリー(Flannery, Kent V 1934 - )で、テワカンバレーで発見したトウモロコシよりも700年も古いトウモロコシを発掘した。ヒョウタン,カボチャ、豆も発掘しており、最も古い栽培化された植物の痕跡とみなされた。
トウモロコシと書いたが正確には野生種のテオシントで、原アメリカ人による栽培化の痕跡があるという。トウモロコシの祖先、野生のテオシントを探す調査探検も同様に始まり、生涯をトウモロコシの起源探索にささげた米国の植物学者でウイスコンシン・マディソン大学の植物学教授イルチス(Iltis, Hugh Hellmut1925- )、その弟子で遺伝子の研究からトウモロコシの祖先を特定化したドエブリー(Doebley , John F 1952?- )達が1970年代から新種を発見・採取し命名していく。
メキシコ・オアハカバレーは標高1500m前後で、この周辺及び高地で発見された野生種は、Zea mays subsp. mexicana (Schrad.) Iltis (1972)であり、ジーア属メイズの亜種メキシカーナがトウモロコシの祖先に近いのではないかと考えられた。
この頃までは、考古学者・植物学者とも乾燥した高地だけを探索していて、メキシコ・グアテマラ・ニカラグア等の低地の高温多湿地域を探索していなかったので全ての状況を検討したわけではなかった。
局面を展開したのは、1977年にイルチスとドエブリー達がメキシコのゲレーロ州でパヴィルミス(Zea mays subsp. parviglumis Iltis & Doebley, (1980))を発見したときから起きた。
【ジーア属の種――――命名の年代順】
・Zea mays L.(1753)Corn
・Zea perennis (Hitchc.) Reeves & Mangelsd (1942).)Perennial teosinte(多年草)
・Zea mays subsp. mexicana (Schrad.) Iltis (1972). Mexican teosinte
・Zea luxurians (Durieu & Asch.) R.M.Bird(1978) Guatemalan teosinte
・Zea diploperennis H.H. Iltis, Doebley & R. Guzmán (1979)Diploperennial teosinte(多年草)
・Zea mays subsp. parviglumis Iltis & Doebley, (1980). Corn、Balsas teosinte
・Zea mays subsp. huehuetenangensis (Iltis & Doebley) Doebley, (1990). Huehuetenango teosinte
・Zea nicaraguensis Iltis & B.F.Benz,(2000). Nicaragua teosinte
(写真)Zea属の種の原産地(黄色のピン)
※オレンジのピンは洞窟
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