栽培植物の起源と伝播 No12
INTRODUCTION
コロンブスが来る前のメキシコ、アステカ王国の主要食料は、トウモロコシ、インゲン豆、トウガラシ、かぼちゃ、そして小麦・米に匹敵する穀類のアマランスだった。
トウモロコシ、インゲン豆、トウガラシ、かぼちゃはヨーロッパ、そしてアジア、アフリカに伝播し、世界の主要な食料となったが、アマランスだけは伝播しなかった。
アマランスは、荒地・乾燥地でも栽培出来て、栄養素が豊富で、小麦などに含まれるたんぱく質グルテンがないなどの特色があり、やっと1970年代になってから再評価されるようになった。ソバもグルテンが含まれていない穀類だが、グルテン拒否症とも言われるセリアック病(Celiac disease)患者にとっては選択肢が広がる貴重な穀類となる。
また、土壌の乾燥などで食糧生産が困難になっているアフリカなどの地域ではトウモロコシだけでなくアマランスは救いの穀類となりそうだ。
何故アマランスがトウモロコシなどとは異なり世界に伝播しなかったかといえば、アステカ王国を滅ぼした征服者スペインの統治政策がアマランスの栽培を根絶やしにしたからだ。
(写真)テノチティトラン(Tenochtitlan)
(出典)ウィキペディア
アステカ王国を征服したコルテス(Hernán Cortés, 1485-1547)が、テスココ湖中にある人口20万人以上が住む人工の島でその当時の世界有数の大都市、アステカの首都テノチティトランを訪れたのは1519年11月8日だった。
アステカのライバルであるトラスカラ王国の大部隊がコルテスの同盟軍としてテスココ周辺に侵攻しているとはいえ、コルテスの部下はわずか500人の兵、馬16頭であり策を練らない限りアステカ王国を支配すことが出来ない。
アステカ王モクテスマ2世をコントロールすることによって間接支配を狙ったが、コルテスの留守中にアステカの祭典に恐怖を覚えた兵が虐殺を始め、これに激高した住民が反乱を起こしモクテスマ2世を暗殺した。翌1520年6月30日にコルテス達はやっとのことでテノチティトランを脱出した。
1521年に再度アステカに進攻し、テノチティトランを包囲して3ヶ月以上の攻防の末8月13日にテノチティトランは陥落したが、アステカ軍に捕らえられたスペイン兵が神殿の上に引き連れられ人身御供として神にささげられた光景をまざまざと見たコルテス以下のスペインの征服者は、テノチティトランを徹底的に破壊した。(現在のメキシコシティは、この破壊された瓦礫の上に作られた。)
そして、教会とともにアステカの宗教を邪教として弾圧しキリスト教への改宗をすすめた。
(写真)アステカの神殿
(出典)NHK
アマランスとアステカの宗教との関係
さて、ここからが本題になるが、アマランスはこの宗教と密接な関係があったので、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」的に徹底的な弾圧にあい、スペインの統治が拡大するに従いアマランスの耕作地も減り、忘れられた存在となっていった。
アステカ人を含む中央アメリカの宗教は多神教で、その中でも太陽の神・軍神Huitzilopochtli(ウイツィロポチトリー)がテノチティトランの守護神として崇められていた。というのは、この神が放浪していたメシカ族をワシがサボテンに止まっているところ、後のテノチティトランに導いたからだ。
(写真)アステカの太陽の神Huitzilopochtli(ウイツィロポチトリー)
(出典)Codex Telleriano-Remensis
※ 16世紀にメキシコで描かれたアステカの原画の写本
12月7日から26日までがHuitzilopochtli(ウイツィロポチトリー)のお祭りで、紙旗で家と木を飾りつけ行列を作り歌・踊り・祈りをし、最後のハイライトが人身御供の心臓を神に供えるという。
そして、Huitzilopochtli(ウイツィロポチトリー)の大きな像はアマランスの種と蜂蜜でつくり、これを小さく壊して食べお祭りが終わりとなる。
スペインの征服者にとって見れば、アマランス≒Huitzilopochtli(ウイツィロポチトリー)となるので、アステカ人の主食といえども許すわけにはいかなかったのだろう。
そして、アマランスは400年以上もの間忘れられた存在となり、耕作地ではなく路傍の雑草として時が経過した。
INTRODUCTION
コロンブスが来る前のメキシコ、アステカ王国の主要食料は、トウモロコシ、インゲン豆、トウガラシ、かぼちゃ、そして小麦・米に匹敵する穀類のアマランスだった。
トウモロコシ、インゲン豆、トウガラシ、かぼちゃはヨーロッパ、そしてアジア、アフリカに伝播し、世界の主要な食料となったが、アマランスだけは伝播しなかった。
アマランスは、荒地・乾燥地でも栽培出来て、栄養素が豊富で、小麦などに含まれるたんぱく質グルテンがないなどの特色があり、やっと1970年代になってから再評価されるようになった。ソバもグルテンが含まれていない穀類だが、グルテン拒否症とも言われるセリアック病(Celiac disease)患者にとっては選択肢が広がる貴重な穀類となる。
また、土壌の乾燥などで食糧生産が困難になっているアフリカなどの地域ではトウモロコシだけでなくアマランスは救いの穀類となりそうだ。
何故アマランスがトウモロコシなどとは異なり世界に伝播しなかったかといえば、アステカ王国を滅ぼした征服者スペインの統治政策がアマランスの栽培を根絶やしにしたからだ。
(写真)テノチティトラン(Tenochtitlan)
(出典)ウィキペディア
アステカ王国を征服したコルテス(Hernán Cortés, 1485-1547)が、テスココ湖中にある人口20万人以上が住む人工の島でその当時の世界有数の大都市、アステカの首都テノチティトランを訪れたのは1519年11月8日だった。
アステカのライバルであるトラスカラ王国の大部隊がコルテスの同盟軍としてテスココ周辺に侵攻しているとはいえ、コルテスの部下はわずか500人の兵、馬16頭であり策を練らない限りアステカ王国を支配すことが出来ない。
アステカ王モクテスマ2世をコントロールすることによって間接支配を狙ったが、コルテスの留守中にアステカの祭典に恐怖を覚えた兵が虐殺を始め、これに激高した住民が反乱を起こしモクテスマ2世を暗殺した。翌1520年6月30日にコルテス達はやっとのことでテノチティトランを脱出した。
1521年に再度アステカに進攻し、テノチティトランを包囲して3ヶ月以上の攻防の末8月13日にテノチティトランは陥落したが、アステカ軍に捕らえられたスペイン兵が神殿の上に引き連れられ人身御供として神にささげられた光景をまざまざと見たコルテス以下のスペインの征服者は、テノチティトランを徹底的に破壊した。(現在のメキシコシティは、この破壊された瓦礫の上に作られた。)
そして、教会とともにアステカの宗教を邪教として弾圧しキリスト教への改宗をすすめた。
(写真)アステカの神殿
(出典)NHK
アマランスとアステカの宗教との関係
さて、ここからが本題になるが、アマランスはこの宗教と密接な関係があったので、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」的に徹底的な弾圧にあい、スペインの統治が拡大するに従いアマランスの耕作地も減り、忘れられた存在となっていった。
アステカ人を含む中央アメリカの宗教は多神教で、その中でも太陽の神・軍神Huitzilopochtli(ウイツィロポチトリー)がテノチティトランの守護神として崇められていた。というのは、この神が放浪していたメシカ族をワシがサボテンに止まっているところ、後のテノチティトランに導いたからだ。
(写真)アステカの太陽の神Huitzilopochtli(ウイツィロポチトリー)
(出典)Codex Telleriano-Remensis
※ 16世紀にメキシコで描かれたアステカの原画の写本
12月7日から26日までがHuitzilopochtli(ウイツィロポチトリー)のお祭りで、紙旗で家と木を飾りつけ行列を作り歌・踊り・祈りをし、最後のハイライトが人身御供の心臓を神に供えるという。
そして、Huitzilopochtli(ウイツィロポチトリー)の大きな像はアマランスの種と蜂蜜でつくり、これを小さく壊して食べお祭りが終わりとなる。
スペインの征服者にとって見れば、アマランス≒Huitzilopochtli(ウイツィロポチトリー)となるので、アステカ人の主食といえども許すわけにはいかなかったのだろう。
そして、アマランスは400年以上もの間忘れられた存在となり、耕作地ではなく路傍の雑草として時が経過した。
こういう穀物が広がらなかったのは残念ですね~。
前よりもぐっと図鑑のように充実した画面になってて、驚きました。
このところ、多忙と体力の衰えを感じ、PCに向かう時間が少なくなり、月1回の更新でお茶を濁しております。
先月の健康診断では、目と耳が間違いなく悪くなってました。口だけは何とか・・・・・・。