東日本大震災の翌年でした。宮城・女川町の小学生がつくった詩が高台に掲げられた横断幕に記されました。「女川は流されたのではない/新しい女川に生まれ変わるんだ」。
変わり果ててしまったふるさと。この詩は復興をめざす人びとへの励ましとなり、支えとなってきました。あれから13年、いま町民をはじめ、ある思いがわき上がっています。これが求めてきた姿なのかと。
今年10月、東北電力は被災した女川原発を動かし始めました。あのとき、原子炉建屋までわずか80センチに迫った津波。ほとんどの外部電源を失い、非常用発電機や冷却ポンプの一部が使えなくなった号機も。火災の発生や多数の損傷と重大事故に紙一重の状態でした。
高まる不安や反対の声をよそに、事故の教訓も省みず避難計画もずさんなままの強行。被災地では初となる再稼働は政府の原発回帰の姿勢をまざまざと。各地の原発も相次いで再開されています。
今月公表された国のエネルギー政策の方向性を示す基本計画案。「原発依存度を可能な限り低減する」との表現が削られ、原子力も最大限活用する方針を。さらに原発の新規建設についても、開発・設置にとりくむと踏み込んでいます。
いまだ終わりのみえない事故を起こしながら、原発にしがみつく政府。そこには関連企業から自民党に流れる原発マネーがあると本紙が報じました。冒頭の詩は「人々は負けずに待ち続ける/新しい女川に住む喜びを感じるために」と続きます。原発のない女川、日本にと。
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