鉄道模型のある生活ブログ

鉄道模型にかぎらす、なんでも書いてしまいます。

1994年 第2回 ヨーロッパ鉄道模型紀行  その2 ビュルツブルグ

2022年11月07日 | 海外旅行

ビュルツブルグで一泊しました。

ビュルツブルグはドイツの中央に近い場所で、南北に走るロマンチック街道の北の端です。

赤い線がロマンチック街道で、日本からのドイツのツアーで最も人気があるルートだと思われます。

南の始点がフッセンという町でノイシュヴァンシュタイン城があるところです。 そこから北に向かい真ん中あたりにローテンベルグがあり、北の終点がヴュルツブルグです。 その近くの主要鉄道路線を黒線で示しました。 フランクフルト・ビュツルブルグ・ニュルンベルグ・ミュンヘンは同じ路線です。 ロマンチック街道沿いには鉄道はないので、私はフッセンとビュルツブルグには行ったけれどロマンチック街道沿いには行ったことがありません。 ちなみに今朝いつもの珈琲店の奥さんと話していたら、ロマンチック街道に行ったことがあると言っていました。 店にはノイシュヴァンシュタイン城の写真が飾ってありました。

ビュルツブルグは昔からの街で、まさにロマンチック感が漂うところです。

 

小さなホテルで、鐘の音で目を覚ますと、窓の外には教会らしき建物が、、

すばらしい街です。 私はここに泊まったのですが、昨日フランクフルトのホテルに電話してツアーコンダクターに外泊することを伝言で頼んだのですが、私の英語が悪かったのか、実際には伝わっていませんでした。 ですから、同室のSKさんは、ドイツ2日目の夜に同室の私が帰ってこないのでとても心配したそうです。 でもツアーコンダクターの佐藤さんは、「あの人なら大丈夫」と言ったそうで、会って2日ほどしか付き合いがないのに私の性格を見抜かれていたようです。

 

さて今日は、レントゲン博士が研究していたビュルツブルグ大学に行きます。 ホテルで聞いたバスに乗って20分ほど。 路線バスでゆくのは言葉もわからないし、かなり不安なのだけれど、まー良いか。

 

大学らしきところが見えたところでバスを下車。 横門あたりから入るが、どの建物が博士が研究した場所かわからない、学生に聞いても知らないという。

ままよと、見当をつけて入った建物が、正解で、

 

このような実験器具が展示している場所がありました。

ここを眺めていると大学の先生らしき人が来て、レントゲン博士に関するコピーをくれました。

ここで、レントゲン博士について紹介すると

ウイルヘルム・コンラッド・レントゲンという名前で、1800年台に大学で教鞭をとり、いろいろな実験をしていました。

当時は上の写真に見えるようながガラスの真空管(陰極管)を使って、陰極と陽極に電圧をかけて陰極線を調べる実験でした。

ある時、部屋を暗くしてこの実験をしていた時に、部屋の隅にあった蛍光体がかすかに光っているのを見つけました。

そして、陰極管にかける電圧を切ると、蛍光も見えなくなる。 そこで、陰極管から何か目に見えない「線」が出ているんだと、黒い紙をかぶせました。 もし電子線ならそれで止まりますが、蛍光体は光り続けている。  この「線」は紙を透過する。

それからいろいろなものを置いて実験して金属は透過しない、光学レンズをおいても光のように曲がらない、などを確認して、今までに知らない「線」ということで「X線」と名付けました。 1895年(明治28年)のことです。 その後すぐにほとんど徹夜で毎日X線の性質を調べて論文にしてレントゲン博士がX線の発見者ということになりました。 急いで研究したのは他にも陰極管でいろいろな実験をしていた人がたくさんいたからです。

X線のことをレントゲン線とも言いますが、特性の一つに写真フィルムを感光させる力があることです。

そこで、博士はすぐに奥さんの手のレントゲン写真を撮りました。 それが上の写真に写っている手の写真で骨が写っています。 指輪も写っています。 体を切り裂かずに、体の内部を調べることができる。 戦争で銃弾を受けた人の検査も簡単にできる。X線の発見は画期的なものでした。 当然、ノーベル賞を受賞しています。

 

そして、今でも世界中どこの病院でも行われているレントゲン検査、そしてX線CTにも使われていて、皆さんもレントゲン博士の恩恵を受けているはずです。

ちなみに日本の島津製作所は、1909年(明治42年)に日本最初のX線撮影装置を発売しています。X線発見後驚異的に早い時期に装置として作っているすごい会社です。

 

レントゲン博士の写真の前で、ビュルツブルグ大学の先生に撮ってもらいました。 

こういう写真があると、仕事を休んでヨーロッパまで鉄道模型のツアーに行っても、帰国後に仕事関係のことも見てきたと言えるし、いろいろな場所で使いました。

そして、レントゲン博士が研究していたのはここだけでは無くて、ビュルツブルグ駅のそばにある建物でも行っていました。

 

この建物で、前年のツアーではこの前まで行ったのですが、この建物とは知らずに見逃してしまったのでした。 壁にレントゲンと書いてあるのを見落としたんですね。

実験はここで行ったので実験器具そのものが並べてありました。 その前に黒いベールを被った若い修道女がその器具類に見入っていたので、面白い取り合わせだと思っていたら、知らない間にいなくなっていました。

 

 

さて、次は

昨夜夜景をみた、マリエンベルク要塞に行きます。

つづく

 

 

 

 

 

 

 

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カトー ナローゲージ ディーゼル機関車の製作 その1

2022年11月06日 | 模型車両

カトーのナローゲージのディーゼル機関車のペーパーキットを買いました。

このキットです。 8800円で動力も接着剤もついているトータルキットで、工作の初心者向きです。

STEAMというシリーズのようで、ナローゲージとなっていますが、1/87なのか1/80なの分かりませんが、酒井のディーゼルをモデルにしているようです。 BILLYという名前がついています。

 

裏に簡単に作り方と完成図があります。 もちろん中にちゃんとした説明図もあるし、ホームページには動画で作り方もアップしてあります。

 

色紙にレーザーカットしたキットで、塗装しなくても作れます。

 

早速、工作開始。 黒い台枠から。

 

接着剤はロケット、カード・グルーと言うのか、木工ボンドよりずっと液体状です。 これを爪楊枝で貼る部分に塗ってゆく。 

この接着剤、単体で買うと結構高い。 使用感はとても良い。 乾燥もあまり時間がかからない。

 

あっという間に台枠完成、実は動力部分の台枠では無く、ボンネットの補強用だ。

 

運転室製作、外は黄色で、この色は運転室内側。 裏表がわかるように丸印が刻印してある。

 

室外、室内を張り合わせ。 ずれないように注意が必要だが、この辺りのテクニックも動画を見るとわかる。

 

運転室の外観ができました。

今日はここまで

つづく

 

 

 

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1994年 第2回 ヨーロッパ鉄道模型紀行  その1

2022年11月05日 | 海外旅行

海外旅行は長く行っていないし今後も行かないだろうから、昔の話になります。

ヨーロッパ鉄道模型紀行というツアー旅行が1993年にモデルバーン主催で企画され、それが第1回だった。 

その記録は私のホームページに載せています。 この第2回もホームページに載せれば整合性が良いのですが、さすがにWindowsのホームページビルダーは、パソコンの反応が遅くて書く気がしないので、こちらに書くことにします。

でも、何回かの連載になると思いますので、同じ日にこの旅行記と普通の記事の2つをアップすることになるかもしれません。

という、前置きで旅行記を書きますが、もう30年近く前のことですので、記憶は怪しいのですが、鉄道模型をメインにした旅行というのは、この旅行シリーズ以外に聞いたことがありません。 また、この時に知り合って今もお付き合いしている方が何人もいます。 ということで、こんなツアーがあったんんだと思って読んでいただけたら幸いです。 

 

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1994年 第2回鉄道模型紀行 その1

前年に行われた第1回の旅行は毎日ホテルが変わり、いろいろな列車に乗り、最後にロンドンでオリエント急行に乗る”豪華”なツアーだった。 でも、毎日ホテルを代わるのは疲れ果ててしまって、今回は フランクフルトで3泊、スイスのチューリッヒで3泊と、ホテルは2つだけで、ユーレイルパスを使って鉄道に乗り模型店を訪ねてまたホテルに戻るという設定になった。 そして目玉はRhBに乗ることだった。

今回も成田集合。 前年にも行っていたのだが、遅れたら困るので東京に一泊して成田に向かった。

今回のツアーコンダクターは佐藤さんという、ツアコンのプロだ。  前年のリピーターも何人かいて、全20名ぐらいだったろうが一気に親しい団体ツアーとなった。 

成田発 14:00のJA407は 18:20にフランクフルトに着いた。 もちろん翌日の夕方であるが、一寝入りすればヨーロッパなのだ。 宿泊は昨年と同じインターシティーホテルで、同室はSKさんだった。私よりかなり若い。ちなみに私は49歳だった。

翌日、ヨーロッパ1日目としよう

このツアーでは各自がユーレールパスを持っているので、特急の1等車でもなんでも自由に乗れるのだ。 だから、勝手にどこに行っても構わない。 ホテルを移動する時だけが一緒でないと困るが、あとは自由行動だ。

でも、この日はほぼ全員で、ニュールンベルグに向かう。 

 

駅にはこんな食堂車が停まっていた。 模型で見るものだが、赤い色で食堂車とすぐにわかる。

 

どこの駅か忘れたが、TEEの客車に103型電気機関車を繋ぐところ。 連結手が電話をしているが、103の運転士と連絡をとっているのだ。

これも前年に見た風景で、初めて見たらこの連結手が機関車と客車に挟まれてしまうではないかと心配するのだが、昨年組は落ち着いて見ている。

 

こうなるのだが、バッファがあるので連結手は潰されない。 この後連結器の鎖とネジを締めるのだ。

この特急インターシティーのコンパートメントに数時間乗ったのだが、

 

同室の仲間たちが列車内を見学に行った時に、このドイツ人と二人だけになった。 

コンパートメントで二人だけというのは気まずいものだ。 この人はまったく英語が話せないようだ。私の英語も片言なのだが、この人が通過する駅名をドイツ語で読んでくれた。 そこで、私が知っているドイツ語の単語、体の部位だが kopf(頭) や Schulter(肩)などと言ったりして、それなりに時間を潰すうちにニュルンベルグについた。

ニュルンベルグではトイメッセをやっているので、なんとか潜り込んだ。

 

こういう、ちょっとした情景が展示されているので、模型車両よりもこういうものに惹かれた。

多分、ファーラーの建物や照明などの宣伝用だったかもしれない。

 

フォルマーのレイアウトで建物がメインである。 これを見るとHOでもこのスペースで作れるんだと、感心する。

こういうものを見てきたので、ヨーロッパ型なら狭い場所でも走らせられるし、HNモジュールの基礎的な考えが湧いてきたように思う。

もちろん、車両模型もあるがそれは模型店でも見られるので情景の方に目がいったのだった。メッセを書くと切りがないのでホームページのメッセを参考にしてもらうとして、

 

皆がフランクフルトに帰るのだが、私は一人ビュルツブルグに向かう。 昨年見られなかったレントゲンの研究室を見るためだ。

ICEから降りて通勤列車を見る。 昨年びっくりした機関車が後押しをしているペンデルツークだ。 電車のような顔をしているが後ろに右に見える機関車がついていて後押しをしているのだ。 これで電車のように機関車を付け替えなくても前後に走れる。 まあ、電車なら簡単なことだが、機関車メインの国なのでこういうことをしている。

そして、レントゲンの研究室を見学しようとしたら、すでに閉まっているので明日でなければ見られないとのこと。

そこで、急遽泊まることにして駅の観光案内でホテルを聞くと街の真ん中の小さなホテルを紹介してくれた。 ドアひとつの幅しかない小さなホテルだった。 そこは夫婦で経営しているらしいが英語が通じない。

泊まりと朝食だけで良いのだが、それが通じない、そこに娘が来て英語でバスはないがシャワーだけで良いかとのこと。それで十分、朝食も頼めて、レントゲン博士の研究していた駅前の建物だけでは無くてビュルツブルグ大学の行き方も聞けて大満足。

さて、フランクフルトのホテルに戻らないことをツアーコンダクターに連絡しなくては。 公衆電話を探してホテルに電話した、 大苦労してやっと繋がったのだけれど、ツアコンの佐藤さんがまだ帰っていない。 そこで、ホテルの人に今日は帰らないと伝言を頼んだ。

夕食を食べに街に出る。 照明が綺麗だ。 でも、日本では考えられないが、普通の店は6時で閉まる。 飲食店だけ開いている。 だから、買い物は6時までにしなければならない。 当時のドイツの常識。

 

小さなレストランで夕食。 言葉がわからないのと料理名を知らないので、スパゲティーを頼む。 ドイツ語でシュパゲティーと言えば通じるからだ。 なお、この旅行では同じ理由でほとんど良いものを食べていない、スパゲティーは何度かある。  この支払いがカードだった。 現金が使えなかったかもしれないが帰国後請求が来なかったと思う。 ただ食いになってしまったようだ。

 

ホテルはこの市電の後ろあたり。繁華街の真ん中だった。

 

夜空に照らされるマリエンベルク要塞。 昨年もこの景色を見たが、明日時間があれば上まで行こう。

1日目終わり

 

つづく

 

 

 

 

 

 

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鉄印の旅 信楽鉄道

2022年11月04日 | 旅行、散歩

信楽鉄道に乗ってきました。

鉄印をゲットしました。

さて、行きはJR西日本の新快速 Aシートに乗りました。

 

一部の新快速にAシート車両があります。 指定席です。

 

中は茶色系の壁でシックな感じ。 背もたれの後ろには指定席のチケットを置く場所もあります。

いつも満員の新快速に座れるのは素晴らしい。

 

草津からは113系、いかにも安上げの色を塗った感じです。 草津線に入ってロングレールもあるのですが短い線路の区間はレールの繋ぎ目の音が実に良い。 カタンカタンと懐かしい音です。

 

貴生川着 近江鉄道の電車が止まっているけれど、今日はこれには乗らない。

 

信楽鉄道のホーム、改札も何も無くてJRの切符のみで乗ります、

空いていると思ったんだけれど、

 

中は満員。 どうも団体客が信楽から乗ってきてそのまま信楽に戻るような気がする。

立ったままで、信楽までゆく。 かなりの勾配を登って信楽高原に行くのだ、 途中、紫香楽宮跡を通るが、それらしきものは何も見えない。

 

信楽到着 みなさんここで記念写真を撮っている。

私はそのまま窓口に鉄印をもらいにゆく。 二種類あって、適当に選ぶ。

駅前に大きな信楽焼のたぬきがあるが、今はハロウィンのカボチャを着せてある。

 

歩いて信楽神社、あうんも陶器でできている。

ちょっとした坂をふうふう言いながら登ると

 

今日の目的地、登り窯があるところに着く。

今は使っていないが、こういうふうに陶器を置いてある。

下にあった電気窯は使っているようだった。

登り窯の持ち主の家が横にあって、喫茶をやっている。

 

その店でコーヒーを飲むのが目的だった、 外のテーブルで休憩していると、犬を連れた人が来た。 私は柴犬が大好きだが、犬はこちらを向いてくれなかった。

 

店の中はギャラリーのようになっていて、もちろん販売している。

うさぎは来年の干支だな。

ここで一輪挿しを買いました。

 

この一輪挿しです。 持って帰ってコスモスを差して、なかなか気に入っています。

横に見えるのはマイセンで買った、陶器の壁飾りです。 

 

ということで、またまた信楽鉄道に乗って帰りました。 帰りは空いていて座れてよかった。

 

鉄印です。 これだけ集まりました。

空いたページがたくさんありますが、これでおしまいのつもりです。

他の鉄道は遠すぎる、 昔かなり乗っているんだけれど、その時には鉄印はなかったし、

 

自作した信楽鉄道の車両です。 

 

では

 

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模型の修理  ジュビリー と グリーンムーバー  おまけに、RhBで100輌編成

2022年11月03日 | 模型車両

鉄道模型も壊れます。

修理です。

1. まずは、イギリス型の蒸気機関車 ジュビリー です。 OOゲージ 

赤い綺麗な機関車です。 ちなみに購入後自分で艶出しのクリアを吹いてピカピカにしています。

 

客車に繋ごうと思ったら、この後ろの連結器が無い。 折れてしまっていたのです。

そこで、メディカルアートに電話「ジュビリーの連結器が折れたのでパーツはありますか」「多分あると思います、2種類ぐらいあるので送るので合うものをつけてください」 とのこと。

この機関車はホーンビイだとばかり思っていてメディアルアーとで買ったものだと信じきって電話したのですが、バックマン製で大阪日本橋の上新キッズランドで買ったものだったとは後から思い出しました。 でも、メディカルアートさんは親切に対応してくれました。

 

上が折れてしまった連結器。 下の4個はメディカルアートから送られてきたものです。 長さが違うものが二種類あります。

 

連結器受けです。 連結器を外してあります。

 

新しい連結器を差して修理完了。

 

客車を牽いて走れるようになりました。 電話一本で翌日にはパーツが来て、支払いは振込用紙で簡単でした。

メディカルアートさんありがとうございました。

 

次は

2. カトーのNゲージの市電、グリーンムーバーです。

これです。 南フランスレイアウトで走らせていたら、突然ギヤがガリガリ音を出し、走りもギクシャクになりました。

ギヤが割たか?

分解しようにも小さ過ぎて、そんな気が起こりません。

そこで、購入したカトーの京都店に持ち込みました。 すると、東京に送るのですね。 数日後東京から家宛に送ってきました。

もちろん修理完了です。

交換した動力部分(不良品)がついています。

 

HOの165系と並べると、こんなに小さい。 車輪径など3mmぐらいか。 こんなに小さいので分解する勇気はなかったのですが、これは使用しないので壊しても大丈夫と分解して原因を調べることに。

 

台車を引っ張るとポコっと簡単に外れました。 なんと車軸がギヤになっている。 しかしその細いこと。

 

ダイキャストのしっかりした筐体に小さなギヤがついている、ダイキャストは中央で絶縁されて左右分かれている。

ギヤが小さ過ぎて壊れているかどうか良く見えない。

 

上を見るとフライホイール付きのモータが見えて前にはヘッドライトやテールライトのLEDがついた基盤が見える。 これも小さいのです。

 

モーターは太さ5mmぐらいだろうかとても小さい、ソケットで基盤につながっているので簡単に外せる。

これも異常がないようだ。

 

改めてギヤを回してチャックしていると、黒いゴミのようなものが見つかった。 1mmもない小さな黒い点で何かわからない。

まさかこれが原因じゃないだろうと思いながら、黒いものを取ると。

 

見事綺麗に走るようになりました。 この黒い点のようなゴミが原因だったのだ!

自分で分解してこれを取れば簡単に治ったのですが、あまりにも小さな車両なので恐ろしくてできなかった。

カトーさんには修理代を振り込みで支払いましたが、この台車の修理の仕方を習った費用に感じました。

もちろん、この台車は生きているので、何かに使えると思います。

それにしても、この小さな車両がスムーズに走るのは驚きです。

 

以上

そうだ、昨日のヤフーニュースで凄まじいものがのっていました。

スイス鉄道150年でRhBが何と100輌もの電車を繋いで走らせていたのです

100輌の車両です、長さはとんでも無く長い。 2km-zugとあるので全長2kmの列車だ。

通る場所はあの高いランドワッサー橋はもちろん、ダブルループのぐにゃぐにゃした区間を含むかなりの距離です。

昔私が通った時の写真です、車窓から下の方に今通ってきた線路が見える。 ここをずっとつながって赤い列車が走るなんて想像もできなかった。 

いや、日本人じゃあできないね。 安全は? なんて言われて絶対に許可が下りない。

100輌繋ぐだけでも、怒られてしまうけれど、営業している路線を使っての走行です。 だいたい100輌もこれに使ったら営業運転にも支障があるだろうし、その間他の列車が走ることができない。

模型人としては、脱線しないのだろうかと思ってしまいました。

 

カトーのRhBの車両を100輌買って誰か走らせてみませんか??

 

danke die Rhätische Bahn !

 

 

 

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