鉄道模型のある生活ブログ

鉄道模型にかぎらす、なんでも書いてしまいます。

撮影会

2023年05月21日 | カメラ

舞妓さんの撮影会がありました。

京都は円山公園の奥にある左阿彌という料理屋さんです。

 

八坂神社を通り抜けていると、結婚式に出会いました。 八坂神社で結婚式ができるのですね。

 

左阿彌という店は高台にあるので、京都盆地が見渡せます。 右は知恩院の大きな山門

左に「左大文字」が見えています。他には目立つような名所は見えなかったけれど、高台は気持ちが良い。

 

食事付きなので先ずは先付けから、

こういう由緒ある店(織田信長の系統の織田頼長が創建した寺が起源)で食事はしたことがないので、それも兼ねて撮影会に参加、

 

舞妓さんは安佐子さん

 

この方は2年前にも撮影させてもらったので、顔馴染み?だ。

 

名刺がわりにこういうステッカーをくれるのです。 左が2年前、右が今回。

前回は食事は無く、踊りと撮影だったけれど、今回は食事があるのでお酌をしてくれます。 舞妓さんにお酌をしてもらうのは嬉しい。 そして、安佐子さんも2年経つと舞妓家業も慣れて、とてもフレンドリー。 上の写真だと顔が硬いでしょう、でも今回は気さくに話をしてくれます。

ちなみに、向かいのおっさんは、山で撮影するのが好きなようで、先日も雷鳥を撮ってきたそうです。 総計100kgの荷物で山に上がるとか、これは体重込みの重さで総計と言っているんですが、顔も焼けているし、かなりプロに近い人です。

他の参加者は12〜3名で、鎌倉や東京からの人もいますが、香港の夫婦もいましたが、こちらは大阪に住んでいるとか、そして、インドネシアからもカメラマンらしい人が来ていました。 

 

踊りが始まります。 私はカメラをモノクロに設定して撮影しました。

この構図は撮影後の写真の見せ合いの時に他の人の構図を真似してトリミングしたのですが、その人の写真では左にある皿が威力を発揮して舞子さんとの対比がとても良かったです。 やはり撮影が上手い人がいますが、その人は香港の奥さんでした。

 

少しシャッター速度を遅くして撮影、ブレるようにシャッター速度を変えて試しています。

 

こうやって、舞っているところを撮ってわかったのが、体の軸がぶれていない。

着物は動いていても顔はじっとしている。 さすがです。

 

これが、私の最高作品。 片袖がブレて動きがあるが片袖はきっちり、菖蒲の模様が写っている。

 

そうそう、着物や髪飾りは季節に合わせてものを身につけているんです。 髪飾りは藤。

 

もちろんカラーでも写しています。 カメラを2台持っていっています。やはりこの方が綺麗ですね。

この安佐子さん、祇園歌舞練場のみやこ踊りにも出ているそうです。 見に来てくださいねと言っていましたが、たしかに一度は見に行きたいです。

 

お茶室で撮ったり、これはスマホでの撮影。 スマホの方がよく写る? いやいや人に説明するためです。

だらりの帯の下には家紋があります。 誰かが言っていましたが、これはどこの置き屋の舞子かわかるように家紋がついているそうです。

 

暖簾をくぐるしぐさ。  実は踊りの時に体がぶれないと書きましたが、手、指先、腕など色々な仕草が実に美しい。 指先一本一本にまで神経を使っているようだが、それがもう身についている感じで、気さくに喋っている時にもそれがわかる。

 

改めて写真を見ると本当に決まっている。ギターを弾く身としては、弾いている時の右指左指、音の一つづつに気を遣って決めなければと思って踊りを見ていたのでした。

 

撮影場所を変える時に人力車が来た。 舞子さんと人力車、最高のシチュエーションだ。 だが、その時に参加者の一人が舞子さんの横にいて、皆んなカメラを構えたが、あーあ、という声が。  この方80歳を回っているそうですが、お元気に参加されていました。 

 

滝をバックに撮影。 こういう時、滝の水をどうボカすかを考えるのだけれど、ハプニングが起きた。

 

犬が水を飲みに来たのです。 いつもの散歩コースでしょう。 ワンちゃんもしばらく待ってくれていたのですが、気がついた舞子さんがどうぞとワンちゃんに声をかけて水を飲みに降りてきました。 舞子さんも犬好きのようで、撫でにゆこうとしていましたが、さすがにこの姿では裾を水につけてしまいそうだし。

そう言えば、舞子さん草履を履いています。

 

ここでは、背の高いポックリを履いていたのでした。 知らない間に履き替えていた。

 

撮影が終わって、ライカの店に行って、作品を2点ずつ出し合って、写真の先生(同行していた)の評価を受けたのですが。上手に褒めてくれます。 そうそう、冒頭に私が白黒の写真を示したのはこの作品の構図を真似してトリミングしたのでした。これが右の女性の作品です。 多分、今日の最高作品。

 

これはマレーシアの人。 カメラ好きの人のためにこの画像を示しましょう。 彼のレンズの先に丸い鏡のようなものが貼ってあります。 これはフィルターだそうで、私は全くこういうものを知りませんでした。 レンズはタンバールとのことで、往年のライカの名レンズです。 まあ昔のレンズです。 これで写したのがタブレットに表示されている画像。 フワッとしてそれでいて芯があるなんとも言えない雰囲気が良い写真です。

これが大きなモニターに映された時に、皆の口からお〜と、感嘆の声が上がりました。 やはりこういうレンズが欲しいという声です。 でも使いこなすのは至難の技です。 もちろんオートフォーカスではないしズームでもないし。

 

ということで、初めての高級料理と、馴染みの?舞子さんとおしゃべりしたり、皆さんの写真の腕を拝見させていただいて、自分の腕にガックリして帰ったのでした。

 

 

 

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海外旅行 1995年 シカゴ

2023年05月20日 | 海外旅行

 

先日書いたノイシュヴァンシュタイン城やRhBに乗った前の年にアメリカに行っています。

小さな学会、医用画像情報学会(MII)に入っていて、一度アメリカのシカゴ大学内で発表会を開きたいので来ないかと誘われました。 以前シカゴでお世話になったFさんからのお誘いで、人数が集まらなければツアーが成立しなので是非ともとのことで参加することに。 同じ職場の後輩のK君と一緒に行きます。

成田から一気にシカゴに、そしてここは天文台がある岬です。

 

町の方をみると、高層ビル群が並んでいます。一番高いのはシアーズタワーで100階以上あり当時は世界最高。

 

反対を見ると滑走路が見えます。 もちろんオヘア空港ではなくて、民間の飛行場で、個人所有の飛行機が使っているような小さな空港。 私もここからフライトしたことがあります、と言ってもパソコンのフライトシミュレーターですけれど。 湖に突き出しているので着陸が難しい。

その向こうに見える黒っぽい平らな建物が、マコーミックプレイスで、展示会などが開かれる場所で、毎年大きな学会が開かれていて1987年には私も参加(覗いた)した事があります。

 

モーターボート ミシガン湖に出かけるボートで私も観光船に乗っています。

 

船は町中のシカゴ川から出ていて、ミシガン湖とは水位差があるので、全ての船はここで水位の調整を待ちます。 前と後ろの閘門が開いて水位を調整するのですが、ミシガン湖からものすごい量の水が流れ込んで来るので流されないようにボートや船を岸壁にくくりつけています。  そして、水位調整が終わってミシガン湖側の門が開かれて、飛び出しているのが上の写真。

 

ミシガン湖からの景色は抜群です。 ツノがあるようなビルがジョンハンコック。これも100階近くあり世界で2番目。

アメリカについたその足でのクルーズです。 天気は良いし気持ちが良かった、のですが、K君は時差と寝不足で船酔い状態で最悪の時間だったそうです。

 

船はまた、シカゴ川に戻って川に沿ったクルーズです。

 

跳ね上げ橋の下をくぐったりしています。

 

これは時間帯が違うかもしれないけれど、霧に煙るシカゴ川。

手前のような形の観光船だったような気がします。

 

シアーズタワーに上がりました。

 

他のビルが遥か下に見えます、 ミシガン湖岸にはヨットハーバーがあって無数の船が係留されています。

右端に天文台が見えます。 初めにあの近くに行ったのでした。

 

天文台から右方向は飛行場とマコーミックプレイスがみえています。 線路が見ているのはイリノイセントラルの路線。

これで、この日の観光は終わりで、皆でホテルに向かいました。 

K君はバテていたのですが、近くのコンビニで水を買ってきたら、みごと復活、 元気になって良かった。

夕食は全員(約30名弱)でホテルのレストランでした。

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

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新レイアウトの製作 その18  ユーロ部分の路線

2023年05月19日 | レイアウト

石橋ができたのでユーロ部分の路線を作ります・

石橋の上にコルク道床を貼っています。 この工作があるので石橋を作り上げておかなければならなかったのです。

 

道床を貼って下地の色を塗りました。

 

線路を接着剤で貼り付けてゆきます。

 

リバースの部分も線路を貼り付け、もちろん絶縁ジョイントで両ギャップを切っています。 区間が短いので運転どきは忙しそうです。

 

 

こちらの部分も線路を貼って、

 

実は、ナロー用の線路が足りなくて、どこでも手に入れることができなくて、一部は普通の線路です。 それも、ゴルナグラート鉄道で使ったものなので、もう40年ほど前のもの。 きっと生まれていなかった人もいるでしょう。

大昔のものを引っ張り出してきましたがちゃんと使えます。 ただ、枕木のプラが変質して、ポロポロ折れやすくなっています。

 

線路のつなぎ目に枕木を追加しました。

さて、果たして、ナローの枕木と普通の枕木の違いが今後も気になるかどうか?

 

これで、ユーロ部分の路線完成。 ちゃんと走るかどうかのチェックです。

つづく

 

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フランス 電気機関車 2D2 型

2023年05月18日 | 模型車両

電気機関車を買いました。

フランスの電気機関車です。

ROCO社の 2D2 -9128 という形です。

この電気機関車で注目は

 

この足回りです。

動輪が隠れて変な形ですが、ブフリ式駆動装置と言います。 この駆動方式の電気機関車が欲しかったのです。

模型ではごく普通のギヤ電動方式でブフリ式ではありませんが、外観だけでもブフリ式が欲しかった。

これは、大きなモーターを車体に付けていて、そこから車輪に回転を与えるのですが、車輪は線路に合わせて上下します。 ですから、普通にギヤを使うわけにはゆきません。ギヤの間隔が変わっては都合が悪いからです。

 

ですから、当時の電気機関車としては

モーターからロッドでクランク軸に回転を伝えて、そこからやはりロッドで動輪に回転を伝えていました。 これだと車輪の上下に対応できます。

しかしロッド式自体伝達効率が悪いだけではなく、重いロッドでは高速運転ができない。

そこで考え出されたのがブフリ式駆動装置です。

この原理はウキペディアなどで調べたら書いてありますが、私には到底理解できない。

こんな構造というけれど、複雑怪奇です。 昔の人が必死になって考えた方式でしょう。

モーターから車輪の横の大きなギヤに回転を伝えて、大きなギヤと車輪の間に複雑な機構を作って車輪の上下が可能にしてかつ回転を伝えている。

 

これを模型で作った人がいて、模型の神様「原信太郎」さんです。 外観だけではなくて、中の機構も作って、ちゃんとそれで機関車が動くようにされています。 ゲージはOゲージで少し大きめの模型です。(なお、この文章は違うことの説明です。)

 

ということで、私は歴史的なこの機構の電気機関車が欲しかった。 もちろん外観だけですが、それでもブフリー式が欲しかった。

それに機関車全体の形も好きです。 丸窓などいかにもSNCF、フランスという雰囲気がある。

模型としては最新のサウンドDCCで、走行音もブフリ式らしい音です、とは言え本物を知らないのでわかりませんが、まあ、やかましい系統。

問題はファンクションが20以上あって、私のCS3ではファンクションボタンが足りなくて駅の放送など欲しい音が出せません。Z21を買えということでしょうか?

 

D51の横から出発するSNCF 2D2  貫禄です。

 

快適に走ります。

これに似合うフランスの昔の客車も持っているので、それを繋いで撮れば良かった。

 

最後にもう一度模型としての作りを見てください。 プラの量産品ですが、これだけ細かい構造が作り込まれています。 もし真鍮製なら数十万円は確実にしますが、これはサウンドDCCも組み込まれていて数万円です。

これに少しウエザリングをすれば重厚感も増すだろうし、プラ製品は大好きです。

 

おわり

 

 

 

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中世史 院政の都市

2023年05月17日 | 雑談

中世史で院政の都市を習いましたが、院のあった場所だけ覚えたのでそれを少し。

まずは京の都、平安京です。

平安京は碁盤の目のようになっていて、入り口として羅生門がありそこから朱雀大路が御所まで続いていた。

羅生門の両側には東寺と西寺があったそうですが、先日のブラタモリで、残っているのは東寺だけで、西寺も羅生門も無くなったと言っていました。 そして、西寺が焼けて無くなったそうですが再建されなかったのは、この地域は湿地で人が住みにくいからだったそうです。 そして、左京の方(東側)がどんどん発展していったとのこと。

講義でも平安京はこういう風に作るつもりだったが、完成しなかった。 だから地図でも右京の部分は点線で書かれています。 これはブラタモリを見たのですぐに理解できました。 なお現在の御所はこの地図とは全く違う場所です。

 

さて、院政が始まりました。後三条天皇がその土台を作って、実際には白河上皇から院政が始まったそうです。

その白河院が院政を行った場所は

鴨川を渡った東です。

 

すごくわかりにくい図ですが、法勝寺という高い塔、五重塔どころではなく十三重かもっと高い塔があったお寺だそうですが、その場所が現在の京都動物園があるあたり。 院の建物はこの辺りにあって、現在の平安神宮や美術館などがある場所が、白河殿の場所だそうです。 今度、美術館に行ったらそのつもりで、その辺りを見てみよう、と思っても何も痕跡はないと思います。

 

その次の鳥羽院

こちらは鳥羽離宮です。 

ずっと南の鳥羽です。 ここは先日私が行ったので日記にも書いたと思いますが、現在は城南宮や鳥羽天皇陵、白川天皇陵、近衛天皇陵があります。

 

これまた、わかりにくい地図ですが、大きな池があってその周りに建物があり、船で行き来していた。 池があるのは景観のためです。 場所的には名神高速道路の京都南インターチェンジ付近。

 

次は後白河院、この人は平清盛をもり立てたが、その後頼朝の肩を持って平家を滅ぼしたややこしい人で、先日の鎌倉殿の十三人でも西田敏行さんが演じていた癖の強そうな人です。

後白河院は七条通の東、法住寺と言う所にありました。 今の国立博物館から今熊野あたりです。

そのすぐ北が六波羅で平家の屋敷があり、後白河と蜜月だった時には清盛が後白河に三十三間堂を送ったので、三十三間堂は現在の国立博物館の近くにあるのはなるほどです。 後白河院の御陵はこのそばにあるそうです。

 

後鳥羽院は、鎌倉殿のテレビでは尾上松也さんが演じていましたが、

白河殿や鳥羽殿も使ったようですが、新たな院の場所として水無瀬殿を作りました。 阪急京都線に駅がありますが、京都から大阪に向かう途中です。

何故こんな場所かと言うと、風光明媚だからそうです。 今考えると風光明媚な場所とは思えませんが、住宅や高い建物がなかった時代、南を見ると遠くに生駒山が見えて、近くには石清水八幡のある男山、手前には淀川が見えるので風光明媚だったと思います。 そういえば、これよりもっと昔に貴族たちがこの場所に来て船遊などをしたとは古典で習ったことがあります。

後鳥羽院は北条義時、小栗さんから隠岐に島流しにされて、隠岐で亡くなっています。 天皇になった時にはまだ安徳天皇が生きていて、天皇が二人という事で即位させられ、三種の神器の宝剣も海に沈んだままというコンプレックスを持っていたそうですが、天皇から19歳で院になり、和歌、蹴鞠、武術、水泳など文武両道ですごい人だったようですが、41歳で隠岐に流されそのまま都に帰れずに大波乱の人生を送った人です。 なお、後白河院と系統が違い、自分が正当な系統だということで、白河殿や鳥羽殿を使って、後白河殿は使っていないとのこと、ややこしいことで。

水無瀬を通ったら後鳥羽上皇を思い出してください。

ということで、院の都市と言っても私が興味を持ったのはその場所だけで、今のどの辺りかな?ということでした。

 

 

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